第240話 けがれ=気枯れについて。

 ボーっと宙を眺めながら、こういうのって嫌だな、と思うことがある。

 それは、「バラバラ殺人事件」などというキーワードを与えられずとも、惨殺されたであろう遺体の損傷具合などを思い浮かべてしまうことだ。

 実際は見たこともない、文字面だけの情報で、ああだろう、こうだろうというひねくった己の妄想なのだが、そんなおぞましいものを思い浮かべようとするだけで心がけがれていく気がする。

 けがれとは、太古、気が枯れると書いたそうだ。

 気枯れなのだという。

 本当に。

 子供にはそんなものを見せたくないよな……。

 あのとき、保母さんがわたくしを後ろへ隠したのだって、あの子の遺体を見せないつもりだったのだろう。




 なぜ、あの事件を思い出したかというと、外を通りがかった犬が、誤って脱走したうちの猫をかみ殺したりしたらいやだな、と思ったのがきっかけだ。

 飼い主がどうでるかで、慰謝料をふっかけてやる(ぐつぐつ)と、自分の想像に怒りを燃やしていると、飼い主が自分の犬の首を差しだす、という恐ろしい妄想にたどり着いた。

 犬の首を、我が家の玄関に、置いていく、という……。

 犬の首には呪い的な意味があるらしく、人通りの多いところに埋めておいて、百人の人間が通り過ぎたら、呪いが成就するだとか? やばい記述を読んだことがあり、それがあのバラバラ事件に連想して繋がっていったのだ。

 嫌な性分だ。

 しかし、あの事件も犯人には、なにか呪術的な意味合いがあったのかもしれないなと思うにつけ、やっぱりホラーは嫌なのだった。




 今、連想ゲームの一番最初のイメージが、頭から離れない。

 首を犬に噛まれているスコちゃんの顔。

 デスマスクだ。

 なにを考えているのだろう。

 そんなもの、見たくもないはずなのに。

 ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、というのは、人間だけが持つ妄想で、実際考えても仕方がないことだ。

 心を自分の中心において、心をさまよい出させないこと。

 深呼吸をして、雑念は流す。

 さあ、TVでも観ようか。

 アマゾンプライムもいいなあ。

 TV版のZガンダムがいいらしいから。




 Zガンダムの二話目まで観た。

 落ち着かない。

 わくわくする、とも違っていて、そわついている。

 なぜなら、三話目でカミーユが悲惨な目に遭うのを知っているからだ。

 実は劇場版を観ていたのだ。

 そこで、カプセルの中にいた大事な人が、う、その。

 救い出せずに、宇宙の塵と化してしまう。

 それを隠しもせずに、画面で観ることになる。

 地球連邦軍とかややこしいな。

 メリケンじゃないのか?

 しかし初代では敵さんの方がジャポネだった。

 戦争の恐ろしさを見せつけようとか言うので、自爆する兵士がいたのだった。




 Zの世界はどうなっているのか。

 軍の規律が乱れまくり、子供と女性が超個人的な想いで勝手に動き回っている。

 そんなんじゃ、勝てる戦いも勝てんよ。

 大東亜戦争、知ってる人がいたら、解説願いたい。

 しかし、三話、カミーユの慟哭のシーンよかった。

 次はエマの脱走か。


 うん、クワトロ大尉が「君の心変わりが信じられない」っていうから、さらに説得力のある何かをつきつけなくちゃいけない。

 そこで、カミーユが「エマさんは信じられる。いい人だ」って言うから、どうなんだろうなって感じでお話はどっちらけ。

 それでも話は続くんだなあ。




 第五話はカミーユの父フランクリンが脱走する。

 マニアな科学者も困るけど、技師が脱走も困る。

 戦争っていろいろ絡んでくるんだな。

 それにしても、家族ってなんなんだと思わせる演出だ。

「僕は両親に親をやってほしかった」(カミーユ)

 に

「そうだな。俗人はついつい自分はこういう人を知っていると言いたくなってしまう嫌な癖があるのさ」(クワトロ大尉)

 とかいう、赤いすい星その人だったりするから、戦争がドラマチックに見えてしまうので困る。

 困るなああ。

 戦争は嫌なんだよ。




 エウーゴは組織として未熟なのかな。

 カミーユ一人、誰も止められない。

 んでクワトロ大尉が

「個人的感情が」「事態を突破するのに」大事だとか言っちゃうんだ。


 わからんなあ。


 一体ガンダムは何を語っているんだ。

 世界史めためただった人にも、わかるように言ってくれないかな。

 防空衛星、太陽電池、昔の作品のわりに現代チックだなあ。

 しかし、衛星がエネルギー弾撃ってくるのってシュールだ。

 無人なのだろうな。

 すっごくシステマチック。



 新しいシリーズでは弟子がよりかっこいいガンダムを創り出したから、富野監督は安心して任せられるそうだ。


 そういう言い方はしてなかったけれど。




 ZG、かっこいい。

 けど、かっこいいだけで日本中の人間がさわぐものだろうか。

 かっこよさってなんだろう。

 天才科学者がかっこいい時代もあったし、ZGでは天才技術者がかっこよかったりする。

 だけど戦争はだめだ。


 念のためにメモっておくが、舞台が地球含む太陽系の宇宙なのはなんでなのだ。

 単にロボットにビームサーベル振り回させるためか? だったら、怒る。

 戦争の根幹は、汚くて、貧しくて、苦しいから起こるのだ。

 そこはいい。

 じゃあなんで、クリーンで、豊かで、苦しくない方法で解決しようとしない。




 ZGの世界観は宗教がない。

 戦後の日本そのものだ。

 価値観が劇的に変化した、その名残だ。


 戦争を、アイドルの歌で、楽曲の力で解決しようとした作品だってある。

 マクロス。

 あれは感動した。

 しかし、なんでZGは汚くて、貧しくて、苦しい戦いをし続けるのか、そこがわからない。

 たとえば、仏教国で人気のウルトラマン。

 あれは仏様の顔をしたウルトラマンが、怪獣をやっつける。

 仏ばちだというわけだ。

 そういう発想が、ZGにはない。




 ようするに、救いがない戦いが、救いのないところから始まり、主人公はそんな中、戦いにむかってゆく。

 これ、結末に期待できます? どういう風に結論付けるの。

 親が目の前で死ぬとか、冗談じゃない。

 そもそも、ハイスクールの生徒が金属の棒で腹を殴られるとか、それ以前に軍の士官に殴りかかって、あざけられるとか。

 そういうの、怒りしかわかないから。

 本気で怒る。

 あんまりだよ。

 しかも、悲惨な戦いはどんどん規模が大きくなり、連合軍が、反地球派が、とか言いはじめ、初代のホワイトベースがどうとか、引き合いに出して歴史を語り出すけれども、そこに一切の慈悲はない。




 そして、政治の話になるけれども、結局は陰惨な歴史の一ページという扱い。

 うわぁ! これってためになるぅ! ってならないから。

 で、そういう戦記物に触れたいなら、大河ドラマを観ると思うし、家族愛のもつれ具合が見たければ朝ドラ観るから。

 だいたい、ガンダムって、人間が単体では手も足も出ない宇宙で、機動力を誇る白兵戦もできるマシンなわけだ。

 メリケンのモビル・キングダムの象徴じゃんか。

 つらい;;

 現代人の心のなにがしかに、確かに触れるところがあるのであろう、その芸術性と大衆性のまあ、いいとこどりみたいな。

 作品が出来上がった時代背景を勉強しなきゃな部分もあるけれども、ちょっと今から思うと宇宙に夢を託しすぎだよね。




 今、地球上には解決しなきゃいけない問題がいっぱいある。

 おそらく、ガンダムの世界は未来なのだと思う。

「地球上の人々は、そこで子を産み、生活することを当然と」思ってない未来を見てしまいました――はい、アウト!

 ガンダムの世界は、作り直しだよ。

 ちくちょー!






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