第186話 12日は悲しい日。

 なぜだかわからない。

 だけど、悲しい。

 胸に蓋をしたように、重苦しい。

 何をしていても悲しい。

 かなしい!


 夕べスコちゃんが書棚から叩き落した書類の中に、死んだアメショの写真とネガが出てきた。

 ネガが入っているくらいだから、相当古い。

 だけど、変わらず私を見守っていてくれている。


 だけど、ああ。

 わからない。

 私は己の幸福がわからない。

 スコちゃんを見ていると、アメショの子を思い出す。

 心が千々に乱れる。

 アメショ、アメショ、おまえを忘れたわけではないよ。

 時が経って、ようやく立ち直ってきたんだ。

 思い出にできたのに、いざ目にすると胸が苦しい。


 あの古い家で、ふたりしていじめに耐えてきたよね。

 やめて、とも、どうして、とも言わず、ひたすら耐えたんだ。

 お前といることで、耐えてこられたんだ。

 かなしい、かなしい。

 おまえを失って、こんなにもさびしいと思ったのは初めてだ。

 スコちゃんをお迎えして、どうにもならなさを思い出して、少しのことではしゃいだり悩んだりを繰り返して、思い出したんだ。

 おまえは唯一の猫だった!


 おまえの写真を遺骨の隣に押し込んで、過去の思い出にしようとしたんだ。

 だけど、できない。

 スコちゃんは知っているかのように、私の頬を、唇をなめてくれる。

 こんなにも、私は自分の悲しみに対して無力に打ちひしがれるしかないのか。

 幸福を求めるほどに、失った幸運を思うよ。

 唯一の猫だった。

 唯一の存在だった。

 無二だった。


 スコちゃんに、思い知れ、と言われたようなきがした。



 死んじゃった存在は、仏様になって、来期のために修行するんだ。

 死んだ猫が私の不幸を願うだなんて、あるはずがない。

 死んだ者が、生きているものに害をなすはずがない。

 全ては心の問題だ。


 だけど、アメショが死んだことが悲しくなくなるくらいならば、私は立派な悟りなど得なくていいと思っている。

 今が悲しいから、過去の幸運がまれだったことを知ることができる。

 自分の生き方が間違ってなかったことを知る。

 一生懸命、やった。

 アメショは寿命で、天命を、天寿をまっとうしたんだ。

 最期のときを感じつつ、少しも悲しまなかった私は賢明だった。

 愛するものを失っても、私は生きねばならない、そのことに変わりはなかったのだから。

 動物のようにピュアで、子供のように残酷な、それは真理だ。

 私は、知っていたのだ。


 スコちゃんに執着して、信じられないほどの寿命を欲しがって、神にも祈って。

 だけど、おおよそ10何年後かには、また失う。

 私はまた、命を失うのだ。

 あるいは、私の方が先かもしれない。

 だが、スコちゃんは悲しまないだろう。

 彼女はイノセントだ。

 知っているからだ。


 だけど、愛していたこと、愛することを忘れるくらいならば、悟りなどいらない。

 骨身を削って、愛猫に尽くすこと。

 愛猫との愛に生きることで、学ぶことがある。

 他人を大事にできる。

 それで人間関係が良い方に変わることもある。

 耐えがたい夜も、一人でないと思える。

 さようなら、アメショ。

 心残りだったよ。

 気がかりだったよ。

 今それを認めたから、だから私は前へ進める。

 大丈夫だ。

 おまえがいたことを、ああ、忘れない。

 くやしいけれど、私も歳をとったんだ。

 いつでも、そばにいけるさ。

 何度でも泣ける。


 2020/02/12/水記す。






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