第4話喫茶店で働く彼

 といっても、わたくしの彼氏、というわけではない。

 ごくごくたまに通りかかり、気が向いたらリサイクル品を買ったりする。

 そんな、喫茶店の彼は、わたくし最初はただ通り過ぎていた。

(そりゃそうだよ。「知らない人にもご挨拶」というのは小学校の時にならった幻想チックな教えだ)

 しかし、その彼はいつも表に出てくると茫洋とした目で通路を見ている。

 あんまり真ん中へ寄ってきていたので、わたくしは目がよくないけれども、顔を見たので挨拶をした。

「こんにちは」

 すると、彼は「**さん! **さーん! **さん**さん……」

 と体をよじり始めた。

 なにかね、その**さんにはお世話になったのか、恨みがあるのか。陽気な感じなので後者ではないだろう。

 そう思って、今度は無表情で挨拶をしてみた。

 おどろくほどクールな態度で「コンニチハ」と返してきた。

 ちょっと、心が痛んだので今度は、精一杯優しい気持ちで微笑みつつ挨拶をした。

 彼は満足しきった猫のような顔で(ようするにうっとりしていた)「こんにちは」と言った。

 彼もいろいろな表情を持つことが分かった。

 そして、しばらくたつと、かれのはしゃいだ姿は冗談だということが分かった。

「ああ、キミね、おもしろいな」

 と、手を引かれながら言いきかせられていたから。

 彼は冗談が好きらしい。

 リサイクル品を買うと母が言うので、先にレジの方で待っていたら。

「**さん、**さん、**さーん」

 という、あれをやっていたのだが、同僚に腕を引っ張られて座席に連れ戻されようとしていた。

 のっぽな彼。色白で、短髪で、男前な彼。冗談ばっかり言ってる彼。

 わたくしは彼がこちらを見るたびに、うんうん、と頷いた。

 彼は冗談を言って人を笑わせたいのだ、と思って。

 その気持ちはわかるし、冗談を言うのはまじめぶるのが苦痛なんだろう。楽しい夢を見ていたいんだろう。

 実際、彼はひょうきんだった。明るく、渋い演技もする。流し目でこちらの反応をうかがったりもする。

 だから、わたくしはうんうん、と頷くのだ。

 どれだけ伝わっているのかはわからない。この二人だけわかりあったような空気。

 わたくしは前世で彼のママだったのかもしれないし、恋人だったのかもしれない。しかし今は客と店員だ。悶着は起こしたくない。わたくしが理解していればよい。彼はジョークが好きで、ふざけたがりなのだと。

 だから、わたくしは頷く。うんうん、と。

 偽善と思われるかもしれないが、彼とわたくしの間にはなんの利害関係もない。偽善を働く所以がない。ただ、彼のそういうところは知っているよと言う意味で頷いている。

 彼はまるで妖精さんのようだ。

 あらゆる苦痛をものともしない。自由な精神。うらやましい。

 いつでも幸せ、というわけではないのだろう。表情を硬くして接客するときもある。幸せそうに頬染めて挨拶をするときもある。

 彼は個人的なそういった表情を隠さないから、気が楽なのだ。

 天使か。

 あれをわたくしがやったら、精神病院に入れられてしまう。

 ダウン症児の話を大学でしていたが、先輩は「生まれてきた子供がダウン症だったら」という話題で「どうせ長くは生きられないでしょう」と言っていて。そういう人ですよね、とわたくしは生意気に返した。

 小学生の時は特別学級の人をさして「かわいそうだよね?」と同意を求められ「かわいそうじゃない」と返したが。今もって同じ考えである。

 特別学級の人だってなんだって、人生は続くのだ。彼らだけがそれを知らないと言い切れるのか? 生きる歓び、生きる楽しみ、そういったものが、彼らの前にあふれているといいとは思う。しかし、人生はたいてい苦難に満ちている。落とし穴などいっぱいある。だから、人のことはおいておけ、と思うのである。

 少し思うのだが、特別学級の人はまだ自分のことは最低限するけれども、そうでない場合、本人もだが、周りの人が苦労する。

 なにかしら不自由を強いられている人を一人助けるには三人、自由のきく人が必要なのだそうだ。

 だからといって、そういう不自由に暮らす人を迫害しては本末転倒で。

 そんなに不便なのなら、介護ロボットをどんどん発展、進化させればいいじゃないかと個人的に夢想的に思っている。

 これは個人の妄想にすぎない。しかし、妄想が現実になるからこの世はまだまだ捨てたもんじゃないと思える、今はそういう時代なのだ。

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