若き隠遁者の詩【PV10.5K超えvありがとうございます!】

れなれな(水木レナ)

第1話うつくしく整っているだけが能じゃない

 わたくしは五体満足に産んでもらった。感謝している。

 しかし、人間とは贅沢なもので、もらったもので満足できないし、しない。

 鏡を見れば、やれ目が大きい方がいい、一重より二重がいい、鼻がもう少し高かったら……。

 悩みは尽きない。年ごろともなれば相当気にする。

 眉毛にカミソリをいれてみたり、眉墨で細く描いてみたり、アイプチしてみたり、小鼻パックをしてみたり。

 しかし、そういう努力が役に立たないレベルでわたくしには問題がある。

 幼い頃に治せば問題ないレベルだったらしいが、わたくしは左右非対称の顔をしている。

 右と左の耳たぶの形が違う。

 他は、写真に写れば賞に入選する愛らしさだったらしい。親の欲目かとは思うが、そう思っていただけるだけでうれしいし、心底救われる。

 だれも、わたくしをき*い児とは呼ばなかった。自分でも気づかなかった。

 しかし、目の位置が不ぞろいというのは、絵描きになろうとすれば大変なことだ。

 技術が少しあれば、両手の人差し指と親指で作ったカッコの中、画面の切りとり方などをあれこれ構築できる。わたくしは静物画が好きだったので風景はあまり描かなかった。

 描いてみるとわかるのであるが、右目で観た風景と左目で観た風景があまりにも違う。

 物の位置がつかめない。

 幼い頃は視力が1.5以上はあった。しかし、小学校中学年から近視と乱視が出てきた。眼鏡をつくればいいものを、母は「眼鏡をかけるともっと目が悪くなる」といって、眼鏡をつくってくれなかった。もっと高くつくというのに視力回復センターに通うこととなった。

 あまりかまってくれる親ではなかったので、センターに通うときだけ車に乗って一緒にいられるのがうれしかった。

 あの頃は、叱られるのすら、うれしかった。

 話は小三の頃に戻るが、図画工作で自画像を描かされた。これまた描いてみるとわかるのであるが、わたくしは左目が右目より大きく、高い位置にある。残酷なことにわたくしの画力は忠実にそれを描き出しており、また生育期間に養われた目、ものを見る目の確かだったこと。

 わたくしの顔が左右非対称なのは、母譲りだった。遺伝子の怖さよ。

 のちに、人相学を本で読んだら、左右非対称の顔はあるものらしく(マリリン・モンローとか)、そういった顔の人は二重人格者であると書いてあった。

 まあ、あたった。

 わたくしは日ごろはおとなしく、愚鈍であるが、内面には相当激しいものを抱いていた。

 ようするにプライドが高く、自己中心的でわがままだったのである。

 幼い頃はそのプライドが役に立って、知識欲が高かった。おおよそ2歳児からの思い出が蓄積されている。えっへん。しかしあまのじゃくでもあった。まあ、人の性格なんてその日その時の気分で変わったりする。最近の調べでは(ネット情報だが)女性はホルモンの関係で月に四度、人格が変わるらしい。まあ、わかるといえばわかる気もする。

 苦しいとき、切羽詰まっているとき、目の色変えて解決に乗り出す、そのこと自体は悪くないと思う。周囲の人間は、いざというときに人間の本性が出る、などといって怖がるが、それであたりまえだと思うのだ。

 寂しいときに、おやつを一緒に食べたいと主張するのはいけないことだろうか? 他の子供と一緒では一人一人のわけまえが減る。その理屈はわかる。だが、わたくしは人と物をわけあうのが苦ではない性格だった。だから、他者もそうであると信じ切っていたのだ。

 おまえが学童保育に来たら、ポテトチップスの分け前が減るから嫌だ! などとどうして思われると考えつくだろうか? もっと言っておくがわたくしは愚鈍だった。みんなと一緒におやつを食べたかった。少しもズルさをもたない、幼い願望だった。

 どうして幼い頃のことを、今の今まで憶えていなくてはならなかったろうか? あのときの言葉、行動のことをどうして今さら理解しなくてはならないのだろうか? 幼い日のわたくしはただただ、寂しかったのだと今なら素直に認めよう。

 幼いわたくしに周囲は厳しく冷たかった。内面をみようとせず、外見で「気が強い」「乱暴」「プライドが高い」「わがまま」「自分勝手」……ああ、認めよう。それらすべてが己の内にあると。しかし、わたくしの思いやりや、精一杯の努力すらはねのけて、子供の心を凍てつかせたのはわたくし自身の罪なのか。わたくしの心は啼いていた。いつも壊れそうなのを必死で押さえつけていた。その頃の写真を見ればわかる。直立不動で張りついた笑いを浮かべている。真っ白な顔。脅えたような目、ぐっと引き結ばれた口角――見事に人間不信の顔つきだ。それを見て人は言うのだ「生意気」と……。あれほど病的であったのに!

 なぜカメラを向けられると笑うのかというと、親が求め、喜ぶからである。なぜ胸をことさら張っているのかといえば、親にとっての誇りがわたくしだったから、と信じていたからだ。

 わたくしは絵本と物語が好きだった。園児の頃は、組の部屋の絵本を読みつくしたので廊下の本棚まで行って(つまり部屋を抜け出して)年少、年長の絵本まで読んだ。すてきな物語に飢えていた。当然何度も怒られた。

 長いが相棒よ、聞いてくれ。わたくしは言葉に飢えていた。だから本を読んだ。朝起きてから夜寝るまでずっと読み続け、小学校で多読賞をいただいたほどだ。飢えていたのだ。読まずにおれなかった。そういう時期が、当時の人々にはままあったのではないかと思う。だからこそ、本は売れ、文壇の評価が高かったのだ。より多くの人々の暇をつぶした本が名作だ。

 さて……わたくしは今、幸せだろうか? 親の思うとおりに息をして、部屋に閉じこもり、出かけるときは必ず車。当然肌は白く、そばかすもない。一緒に海に行くといった友人もない。結果的にわたくしは孤独に慣れてしまった。ようするに、飼いならされた結果である。

 社畜などというワードが流行っているようだが、わたくしは今もって親の所有物であり、家畜である。少女時代などというものは皆無であり、わたくしの心には幼い子供と、老いた隠遁者が棲む。これは高校時代の友人がわたくしを評して言ったことだが、のちのちも他の人々の口からたびたび聞かされた。――おまえの中には子供と老人がいるが、中間はない、と。極端だという意味もあったらしい。

 子供らしい無邪気さと、老人の知恵。

 うむ、悪くない。ここに小動物を加えれば怖いものなしだ。

 よい方に解釈をして心を慰めようと思う。

 これは幼き魂のレクイエム……(厨二かよ、厨二でしめるのかよ)

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