秋葉原駅電気街口駅前広場に午後一時。
ゆりりんがアリシアになり代わってやり取りをし、『商品の引き渡し』をすると決めた日は、驚くことにその翌日であった。
昨夜、エクスマキナをログアウトした後、ゆりりんが作ったらしいあのエロ動画が頭に焼きついてどうにも寝つけず、『オレカノ』の十八禁MODをいよいよ入れようかと悶々と悩みに悩んだ末、いつの間にか眠ってしまっていたのが夜中の三時過ぎ。
そのため、湧磨が眠りから目を覚ましたのはほとんど正午近くだった。パンツ一丁で歯を磨きながらなんの気なしにパソコンのメールチェックをして、ゆりりんから本日作戦決行という旨のメールが来ていることに歯磨き粉を噴き出し、『秋葉原駅電気街口駅前広場に午後一時』という呼び出し時刻に飛び上がった。
今すぐ電車に乗ればまだ間に合う。湧磨は水二杯のみで昼食を済ませて家を飛び出し、そうしてどうにか午後一時ちょうどくらいに待ち合わせ場所に到着すると、そこには既にアリシアの姿があった。
電気街口北側を出て正面に見える階段、その影の中にぽつんと立っていてもすぐに解った。そのセミロングの金髪は、不愉快な曇り空の下でさえ眩く目立っていた。
アリシアは小花柄の、白いロングワンピースを着ていた。夏が近づくと街中でちらほら見かけるファッションだが、それに身を包んだアリシアはまさしく深窓の令嬢という、格の違う雰囲気である。
声をかけていいものか、なぜか緊張してしまう。だが、ここでまごまごして長く待たせようものなら怒られること間違いなしなので、急いで駆け寄って声をかける。
「早いな、アリシア」
白いサンダルを履いた足元を見つめていたアリシアは、急に話しかけられて驚いたような表情で顔を上げ、それからボーッとしている所を見られてしまったと恥じるように顔を朱くして、咄嗟に反撃しようとするように目を尖らせて、だが全て馬鹿馬鹿しくなったように小さく深呼吸して……
と、数瞬のうちにそれだけの表情を見せてから、言った。
「べ、別に早くなどありませんわ。むしろ、あなたが遅すぎるのですわ。普通こういう時には、男性が女性よりも早く来て待っているというのが礼儀ではなくって?」
「こういう時って……俺たちはこれから遊びに行くんじゃないんだぞ。と、それはともかく、ゆりりんは? ゆりりんも今日は来るんだよな?」
つい今の今まで考え忘れていたが、もしかしたら自分は今日、ゆりりんの『中の人』と初めて会うことになるのだ。そう思わず緊張と不安に駆られながら周囲を見回すと、
「ゆりりんは風邪で来られなくなってしまったそうですわ」
と、アリシアが肩をすくめて言う。
「は? 風邪?」
「ええ。今日の朝、そう電話があって、ついでに、宅急便でこんな物が届けられましたわ」
と、アリシアがパールピンク色のミニバッグから取り出したのはイヤホンとピンマイクのついたケーブルである。続いて渡されたメモには恐ろしいほどの丸文字で、
『清里くん。携帯電話に繋いで、ゆりりんに電話してみゅん。イヤホンとマイクは、なるべく目立たないようにつけること。』
と書かれてある。やけに本格的だなと思いつつケーブルを携帯電話に繋げ、それを上着の中を通してから装着。ふとアリシアを見て、
「お前のは?」
「そのような物をつけていては相手に不審がられるに決まっているでしょう。わたくしはもうゆりりんから詳しい作戦を聞かされていますわ」
そうか、と頷いて、ゆりりんに電話をかける。すると、すぐにゆりりんは通話に出た。
「もしもし。こんな時に急に風邪を引くな……と言いたい所だけど、大丈夫か?」
『うん、ありがとう。ゆりりんのことを心配してくれるなんて、清里くんは優しいみゅん。それに、ホントに申し訳ないみゅん。でも可能な限り力にはなるから、この通話はずっと切らないでいてほしいみゅん』
「ああ、解った……けど、なあ、ゆりりん、今日、ちょっといつもと声が違わないか?」
イヤホンをしているせいかもしれないが、エクスマキナで聞いていたものよりも、わずかに声が低いような気がする。それに、なんとなく声が二重になって聞こえなくもない。
『そ、そんなことないみゅ。いま風邪を引いてるから、きっとそのせいだみゅん。けほっ、けほっ、熱もあるけど、喉がヒリヒリするくらい痛くて……』
「そんな重い風邪のクセに、アリシアの家に準備よくイヤホンとマイクを届けることはできるのか」
『流石にそれくらいは頑張らないとって思ったみゅん。それより、もうそろそろチーターと待ち合わせの時間だみゅ。場所はアリシアが知ってるから案内してもらってみゅん』
実はただ本当の姿を俺たちに見せたくないだけだろうと怪しみつつも、確かに今はそのような話をしている場合ではない。気分を切り替えて、尋ねる。
「アリシア、待ち合わせの場所、もうゆりりんから聞いてるんだって?」
「ええ、ある程度の下調べもしてありますわ。では……行きましょうか」
当然だが、怖いのだろう。隠し切れなかったように、アリシアの声が硬く強張った。待ち合わせ場所があるらしい方向へと身体を向けて、だが、アリシアはその場から踏み出さないまま、俯き加減に言った。
「湧磨、お解りですわよね。わたくし、あなたのことを信頼していますのよ」
急に何を言い出すんだ? そう訝ってしかし、湧磨はすぐにその言葉の意味を理解する。
「ああ、もちろんできるだけのことはやるが……っていうか、ゆりりん、これから何をするのか、俺は全く何も知らされてないが」
『大丈夫だみゅ。作戦指示はゆりりんがしっかり出すから、清里くんはそれに従うだけでオッケーだみゅん』
「従うだけって言われても、やれることには限度があるぞ。いや、まあ、だとしても、一人で逃げ出したりは絶対にしないが……」
ゆりりんと通話をしているこちらを、珍しいほど不安げな表情で見つめてくるアリシアの目に気づいて、湧磨はつけ足すように言った。が、嘘ではない。俺は何があっても逃げない。その覚悟は、ここへ向かってくる電車の中で既に固めていた。
こちらだって当然、緊張しているのだが、そのことにちゃんと気づいてくれているのかいないのか、
「全く……頼りない言葉ですわね」
とアリシアは溜息をつくように言って、その足を踏み出したのだった。
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