アルテ(5)
ふと目覚めると、白い天井でゆったりと回っているプロペラが見えた。
夢から覚めた直後のような感覚で湧磨がそれを見上げていると、視界に鬼のような表情をしたアリシアの顔がぬっと現れ、
「このエロ男! アバターが女だろうと、ちゃんと戦いなさい! あなた、この戦い(オークシヨン)に何がかかっていたのか忘れましたの!? どういたしますの、わたくしの大事なファーストキス!」
「そ、そう言われても、あんなのに勝つなんて無理だろ……。っていうか、何度も言うが、俺が勝ってたとしても、それはそれでお前のファーストキスは奪われる運命にあったんだぞ」
「それは、まあ……あなたが勝てば、なんやかんやで、なかったことにできますし……」
「おい」
お前は『やると言ったらやる』んじゃなかったのか。ツッコみつつも、案の定のことだったので嘆息しつつ、どうやら戦い(オークシヨン)で『殺される』と転送されるらしいホームのソファから身体を起こし、パソコンデスクの前に座ってこちらを見ていたゆりりんに問う。
「そうだ、ゆりりん。あのアイテムはなんなんだ。あんなもの、一体どうやって作った」
「みゅ? アレがどうかしたみゅん? ゆりりんは何も知らないみゅ。あれはたまたまネットで拾ったものだし」
「そんなわけがあるか。いや、ウィルスだけならまだしも、あの動画は明らかに――」
「動画って?」
と、アリシアが小首を傾げる。マズい、余計なことを口走ったと口を押さえると、ゆりりんが完全にシラを切った表情で尋ねてくる。
「ウィルスには動画が添付されてたんだみゅ? でも、アレには感染してないはずの清里くんが、どうしてそれを知ってるんだみゅん?」
「それは、その……アルテに見せられて、訊かれたんだ。これは格闘技か何かか、って」
「ぷっ……! にゃははははははっ! 格闘技って……ぷっ、まさかそう来るとは思わなかったみゅん! にゃははははっ!」
「おい! やっぱりアレを作ったのはお前かっ!」
「ねえ、湧磨。ですから、それはどのような動画でしたの?」
「じゃあ、あの子はかなりアレに興味を持ってた様子だったみゅん?」
と、ゆりりんはアリシアの問いを押しやって訊いてくる。
「ま、まあな……。でも、どうしてゆりりんはあんな余計なモノを仕込んだんだ。その目的はなんだ」
「そんな怖い目で睨まないでほしいみゅん。ゆりりんは見ての通り、純情可憐な美少女みゅ。あんなの、ただのイタズラ。全然、何も企んでなんかないみゅん」
「二人とも、どうしてこのわたくしを無視するんですの!? わたくしにもそのウィルスのことを教えなさい、湧磨!」
と、縦一本の細い布に押し潰されている胸を揺らしながらアリシアが迫ってきて、湧磨はむしろ言葉を失う。と、助け船を出すようにゆりりんが話を進めた。
「結果がどうだろうと、こうなってしまったからには仕方ないみゅ。むしろ、今のゆりりんたちはこれをチャンスと考えなきゃいけないみゅん」
「チャンス? この状況の一体どこがチャンスだと仰るの? ピンチもピンチ、わたくしの純潔が絶体絶命のウルトラピンチですのよ!」
「だからこそ、逆にチャンスでもあるみゅん」
もしや、と湧磨はゆりりんの不敵な笑みから察して、
「チート野郎に直接会って、報復でもするつもりか……?」
問うと、ゆりりんは小動物のように円らな目を細めて、そのあどけない顔に酷薄な笑みを浮かべる。沈黙をもって是となしたその答えに、アリシアはそのスイカのように巨大な胸の前でポンと手を合わせ。
「なるほど。確かに、わたくしたちはチーターに正義の制裁を加えるチャンスを得たとも言えますわね……」
「いや、でも待て。やっぱり、直接、会にいくなんて危険すぎないか。もし理屈も何も通じない危ない奴だったりしたら――」
「だとしても、チーターは断固として許されるべき存在ではないみゅん。ゴキブリと同じで、それを見つけた人間は決して放置しちゃいけないっていう義務があるみゅ」
「ええ、その通り。チーターは一匹残らず地球上から駆逐してさし上げるべきですわ」
アリシアは解るとして、ゆりりんはチーターに何か深い恨みでもあるのか? 裁判官のように厳然とした顔つきで頷き合う二人に湧磨が呆然としていると、
「では、明日はお休みですけれど、わたくしは今日はこれで帰らせていただきますわ。湧磨、あなたもさっさと帰ってお勉強をしておきなさい。あなたがあんまりおバカさんだと、わたくし、恥ずかしくって、あなたに話しかけることもできませんわ」
「俺の成績は並だ。別に恥じるようなほどじゃない」
たぶん。という湧磨の言葉を鼻で笑いながら、アリシアは髪で背中が隠れている以外はほとんど全てさらけ出している後ろ姿を見せながらリビングを出て行き、エクスマキナをログアウトしていった。と、
「ところで……」
アリシアがいなくなるのを待っていたようなタイミングで、ゆりりんが口を開いた。
「さっきの戦い(オークシヨン)の最中、珍しいことがあったんだみゅ」
「珍しいこと?」
「うん。君があの子にウィルスを貼った直後、君ら二人の動作が三秒ほどフリーズしたんだみゅん。ゆりりん、エクスマキナであんなの見たのは初めてだったんだけど……清里くんは、自分がフリーズしたっていう自覚はあったみゅん?」
「フリーズ……? いや、俺は普通に動けてたぞ。青い海の上みたいな、妙な場所に行きはしたが」
言うと、ゆりりんはすっとその目つきを険しくして、
「……もしかして、君があの子と『格闘技』について話したのって、その時?」
「ああ、そうだ」
「ふみゅぅ……それはちょっと興味深いみゅん。なんだろう? 未公開のフィールドか何かかな?」
白い太ももを見せてデスクチェアの上でアグラを掻きながら、ゆりりんは難しい顔で腕を組む。
――チーターに会いに行く、か。面倒なことになったな……。
そう思いつつ、湧磨も今日は帰ることにしようかとソファから立って、不意に閃いた。
「なあ、ゆりりん」
「んみゅ?」
「もしかして、俺のパソコンに妙なメールを送ったのはお前か?」
どうやら、その方面にかなりの技術と知識を持っているらしいゆりりんなら、あんなことができるかもしれない。そう思って尋ねたのだが、ゆりりんはポカンとした顔で、
「ゆりりんはメールなんてしてないみゅん。ゆりりんの名前でウィルスメールでも来たみゅん?」
「いや、そういうわけじゃない。悪い、俺の勘違いだったみたいだ。じゃあ、俺も今日は帰るが……ゆりりんはまだいるのか?」
「あと三十分くらい、十一時くらいになったらゆりりんも帰って寝るみゅん。睡眠は美容の大敵。美少女ゆりりんはその辺、抜かりないみゅ」
「そ、そうか。じゃあ、おやすみ……」
そうだった。ゆりりんには中の人がいるのだった。つい忘れてしまっていたそのことを思い出しつつ、湧磨はエクスマキナを後にしたのだった。
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