地を割る







 シルビアは、アルバートと二人でアウグラウンドの首都を出た。首都を出てしまえば、後は捕まる可能性は低くなる。

 アルバートがアウグラウンドの制服を身につけているからだろう。誰に見とがめられることもなく、ひたすら馬を駆った。

 途中、シルビアたちのためというより、馬のためにささやかな休憩を入れたところで、シルビアの髪を染めることになった。

 このまま戦地のイグラディガルの陣に戻るつもりなので、髪色がこのままなのはまずい。服は戻れば何とかなる。


「アルバートさん、私、自分で出来ると思います」


 ジルベルスタイン家で使用人がやってくれていたのを、ずっと見てきた。あのようにやればいいのだろう、とシルビアは、アルバートに手を差し出した。

 アルバートは、メアリからもらった髪染めが入っている小さな瓶を一度開けかけて、見ていた。シルビアの言葉に、アルバートが瓶から視線を上げた。


「自分でやると、見えない部分の方が多いだろう。俺がやる。……そうじゃなくな」

「?」

「髪染めは、ものによっては髪も肌にも副作用のようなものが出るものがある。これはどういうものかと思った」


 メアリを疑っているのではないが、彼女自身が良いものではない、と言っていたことを思い出したのだという。

 アルバートはシルビアの髪の感触を確かめるように、手に取る。


「今までも大概強いものを使っていたから、荒れる可能性は低い、か」

「大丈夫です。染める効力があるのなら、今は他のことを言っていられないと思いますので」


 髪質は、侍女が丁寧に手入れしてくれているので申し訳ない気もするが、今は二の次にならざるを得ない状況だろう。

 アルバートの手から、髪が最後の一筋が離れ、灰色の目がシルビアの目を見る。


「……それもそうか」


 アルバートは、髪染めの蓋を開けた。

 しかしアルバートの手に異常をきたすのはまずいと思い立って言うと、彼は呆れたように笑って、最後にシルビアの頭を髪を撫でるように一撫でした。


 結局のところ、髪にも肌にもさしたる異常は出ず、黒髪を靡かせ、シルビアはまた馬を走らせる。

 戦場に着いたのは、もうすぐだと夜の間も馬を走らせ続けて、夜が終わり、朝がやって来る頃だった。

 ちょうど、山の向こうから空が明るくなってきている。

 太陽はまだ見えず、戦場は暗いが……。


「朝か。伝令が着く前に戦が始まってしまうな」


 兄は、戦を一時的にでも止める伝令を彼らの自陣であるアウグラウンド側に送ると言っていた。だが、首都を出たのはシルビアとアルバートの方が先だ。

 あれから兄が本格的に事を起こす前に伝令を出したとしても、追い越されたとは考え難い。

 朝が来て、辺りが見えるようになればどちらからともなく戦は再開される。

 シルビアとアルバートが先に着いても、そこに影響は及ぼせない。

 シルビアは、まだ暗い中にある戦場を遠くから見下ろした。空を見ると、確実に明るくなっていく。戦場には、まだ先日のような光景は広がっていない。

 だが、始まれば、人が死ぬ。

 短い時間でも、人が確実に死ぬ。


「地を割ります」

「……何?」


 アルバートに視線を向けると、アルバートはすでにシルビアを見ていた。

 地を割ります、とシルビアはもう一度言った。


「戦を画策していた人間が止められるのなら、戦は続行されません。物理的に隔てれば、兄様が対処するまでの時間が少しでも稼げるはずです」


 この地を隔てる。

 イグラディガルの側と、アウグラウンドの側の間を、簡単には通れないほど割る。長く、広く、深く。


「今なら、誰もここが見えず、気がつきません」


 遠い。顔を判別することは不可能だ。


「それが、出来るんだな」

「はい」


 出来る。想像が出来る。

 あとは手を講じられない間に、停戦が間に合うことを願う他ないけれど。これからの戦が止められ、そのまま戦の終わりまで繋げられるのなら、今の最善だろう。

 戦で犠牲になった人々は戻って来ないが、新たな死人は防ぐことができるはずだ。


「……分かった」


 それは、短い許可の言葉だった。じっとシルビアの目を捉えていた彼は、シルビアの心中が分かったように、頷いた。

 視線が、戦場を示す。

 シルビアは、戦場を見据え、手を天に掲げた。

 一つ、息を吸う。


「『我が剣よ』」


 ──私には信仰がない。私は神の民ではない。信仰する神を持たない。

 ゆえに、私の剣は、神から授けられたものではなく、剣である。

 私の剣。地上にあるものなら、思うままに何もかもを貫くことの出来る剣。


「『地を穿うがて』」


 手を振り下ろすと、空から一筋の光が走った。

 天が、地上を穿つ一撃。

 朝陽よりも地上を照らす光は、雷のように、しかし音もなく地に落ちた。

 シルビアが思っていた場所に正確に落ち、地を割る。地が割れる音だけが聞こえるという、摩訶不思議な光景であった。

 その光景が一体どれほどの時間広がっていたか。少なくとも、雷よりは長かった。

 強烈な光は突然、ふっと消えた。


 後には、深い亀裂の入った地だけが残った。


 あれならば、十分だろう。

 亀裂の大きさを黙視し、アルバートを見ると、彼は頷いた。


「目の色は戻しておけ」


 シルビアとアルバートは、その場を離れた。残る距離はあと少し。

 陣営に着く前に、アルバートは元の制服に着替え、シルビアはアルバートに隠されるような形で陣に入った。

 地に落ちた光のせいか、亀裂があると判明したか、騒がしかった。騒がしさに紛れ、王太子のいるだろうテントに向かった。


「戻ったか」


 テントの中は、人払いがされていた。

 王太子は椅子から立ち上がっており、まずはアルバートを。それから、傍らにいるシルビアを見た。


「成功したようで何よりだ」


 アルバートが軽く一礼した。


「時に、今何やら騒がしいのは、先ほど『雷』が落ちたようだからだ。どうも地に巨大な亀裂が出来ているようでな──ただの雷が地を割るかと思っていたところだ」


 青い目が、シルビアのみに向く。


「あれは、お前の仕業か」

「……互いに容易に渡れないほどの亀裂があれば時間稼ぎになると思い、割らせていただきました」


 シルビアは、そう肯定した。


「割ったとは、簡単に言ってくれる。……なるほどな。やろうと思えば、国の一軍くらいひっくり返せるか」

「……やろうと思えば、出来るのだと思います」


 やれるかと問われて、やれないと思わなかった。

 むしろ、出来るのだろうと思った。その光景が、一瞬頭に過った。

 ぎゅっと拳を握る。出来たとしても、そうしたいとは思えなかった。

 かつて自分と同じように『女神』と呼ばれた存在であり、力を持っていた人がいたという。その人は、なぜ、そうしたのだろうか。


「『本物』だな」


 シルビアを見ての言葉に、アルバートが口を開く。


「やらせる気か」

「いいや。少なくとも今は必要がない」


 あっさりと王太子は首を横に降り、椅子に戻った。


「ヴィンス殿下がいないのは、彼があちらの人間だから不思議なことではないが、どうなったか聞こうか。シルビアが『時間稼ぎ』と言ったのは、どういうわけだ」


 どうなったか、というのは、奪還の過程という意味ではない。過程など関係なく、シルビアはここにいるという結果がある。

 そのため、アルバートは地下通路で話した『今後の話』だけを王太子に伝えた。


「これからヴィンスが王権の奪取を試みる。兄弟はシルビアの奪還の過程で制圧。残りは王のみ。アウグラウンド陣営に一旦止まるよう、ヴィンスが伝令をやることになっている。その間にヴィンスが上手くやるだろう」

「戦中にクーデターか。反逆の見本のようだな」


 王太子は、少し面白そうに唇に笑みを浮かべた。


「テレスティア側からも、手が引かれる」

「それなら、どちらの戦も決着をつけずともそろそろ終わるということか……。地は割れ、こちらだけでなくあちらも右往左往しているところだろう。なるほど、時間稼ぎか。一応は警戒しつつ、あちらからの使者でも待っておけばよい、と」


 そういうことだ、とアルバートが頷く。


「クーデターが上手く行けば、だが」

「悲観するなとは言わない。どうであれ、警戒しながら待っておけばいい、だろう」

「その通りだな。他の者にも伝えに行くか……」


 と言いながらも、椅子から立ち上がる様子はなく、王太子は視線をアルバートやシルビアに向けるでもなく、地面の辺りに向け、何やら考えている様子だ。


「王権の奪取……。こちらには不都合に狂った人間が排除され、ヴィンス殿下が王となる……か」


 王太子は唇に笑みを描き、うん、と何度か一人で頷く。


「いやいや、どの首も差し出してくる気概を見せてもらった上を行くな。一番理想の形だとは思っていたが、まさか同時に成してしまおうとするとは……」


 戦場には似合わない笑いだった。茶会か何かの催しの場で、何か楽しい話でも聞いたような様子。

 王太子の様子を見つめていたシルビアは、アルバートをちらりと見たけれど、アルバートは王太子から目を離さなかった。


「彼が舵取りをするなら、前のような関係に戻れるだろう。……ふむ、そうか、そうか。ヴィンス殿下が王に」


 シルビアが王太子に視線を戻したとき、ちょうど、青い目がシルビアの方を過るところで、目が合った。

 王太子の青い目は、通り過ぎる様子を見せたが、戻ってきてシルビアに定められた。笑みがなくなっていく目が、静かに、シルビアを見る。


「色々、考えることが出来そうかもしれないな」


 シルビアに話しかける声音ではなかった。

 やはり独り言の様子で言い、王太子の目はふっとシルビアから逸れた。







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