理由不明理解不能








 自陣に戻ったアルバートは、王太子を探した。幸いにも、城と異なりさすがに彷徨いておらず、すぐに見つかった。作戦会議用のテントだ。

 用があることを無言で示し、王太子を連れ出しテントを移動。視線で人払いを要求した。


「アルバート、何だ」

「シルビアが連れて行かれた」

「は?」


 呆けた声を出し、王太子はアルバートが何を言っているのか、分からない表情になった。一文字足りとも意味を理解できなかった、という顔だ。

 しばらくして、開いたままの口が閉じていき、ぽかんとした表情が引き締められていく。


「連れて行かれた、とは、アウグラウンドあちらにか」

「そうだ」


 些か雑に椅子に座り、王太子は眉間をもんだ。


「……彼女は、その身を渡すことのないように努める約束をしていったのだが」

「不測の事態が起きた」

「と言うのは?」

「ヴィンスが現れた」


 王太子は青い目を丸くした。


「──本当か」

「ああ」

「生きていたのか」


 瓶詰めにされた目玉のことは、父から王の耳に入れられ、王太子の耳にも入っていたのかもしれない。もしくは、元々生存確率が低いと考えていたか。

 アルバートも、そう考えていたが。

 だが、生きていた。

 生きていたとも。

 あの友の姿を何年ぶりに見ただろう。生死不明で、二度と会うことがあるかどうかも怪しかった友は生きていた。

 だが、手放しに喜べる事態ではない。


「それで? ヴィンス殿下の生存がシルビアが連れて行かれたこととどう関係がある。まさか、のこのこついて行ったわけではないだろう?」

「茶化すのはやめろ」


 その発言を冗談だと流せる気分ではない。睨めば、王太子は大人しく、悪かったと反省の意を示した。


「何があったか詳しく聞こう。ヴィンス殿下が生きていたことは喜ばしい。だがなぜ連れて行かれる。他の兄も現れたか? しかしそうだとしても狼狽うろたえないようにと約束していったはずなのだが……」

「ヴィンスがシルビアを斬った」

「……何だと?」


 そして、他の連中に連れて行かれたのだと伝えた。


「……彼は、演技でシルビアを斬ることが出来る人物か?」

「俺が知る限りではあり得ない。ヴィンスがシルビアに剣を向けること自体、あいつがそんなことをするはずがない」


 あり得ない。あるはずがないのだ。

 そうだった、はず。

 理由はある。明白だ。


「大体、あの場であれほどの演技をする理由が見当たらない」

「ふむ、一度彼女を連れて戻らなければならない状況にあったとか。脅されたとか。もしくは……後は何だ。こちらとの繋がりを疑われないように、斬ったとか」


 何であれ、そのために演技で斬ったのではないかという理由付け。

 しかし、アルバートは首を横に振る。その理由では納得できないし、あり得ない。そんな理由で、シルビアを斬らない。


「どれほど脅されようと、ヴィンスはシルビアを差し出さないはずだ。シルビアを斬るはめになるくらいなら、自分が被害を被る。そういう人間だ」

「では、偽物ではないのか?」

「違う。あれはヴィンスだ」

「それほど似ている兄弟がいるとか」

「……それはない」


 アウグラウンドの王子全員に会ったことがあるわけではなかった。元々顔を知っていたのは、ヴィンスのみ。そして先日もう一人知った。

 しかしヴィンスには兄弟が四人いると聞いていて、あの場での三名と捕らえている一人を合わせれば四人だ。余分はない。三人の内に、従兄弟の類いが混じっていなければ。

 しかし、あの三人の内に兄弟ではない者が混じっていたとしても、あれは、ヴィンス本人だと思うのだ。


「全て否定されると、理由がつかん」


 アルバートにも、よく分かっていた。

 矛盾している。

 あれがヴィンス本人で、確かにシルビアを刺した光景を見て、止めを刺すがごとく振り下ろされる寸前の刃も見たのにも関わらず、ヴィンスはそんなことをするはずがないと否定する。

 理由がつかないどころか、矛盾しているのだ。


「理由は本人を揺さぶってやらないことには、決めつけられない」


 いっそ、その点は置いておくことを提案した。

 本気で揺さぶってやりたい。今目の前にいるか、あの場であいつに手が届いていれば確実に揺さぶっていた。──どういうつもりだ、と。

 あの光景と推測の全ては、これまで捉えていたヴィンスの像を根底からひっくり返すには十分だ。うっかり認めてしまえば、それこそ訳が分からなくなる。


「そうだな。理由は二の次でいい。そうなのだ、起きてしまったことが問題だ。……事だな。シルビアには最終手段含めて抵抗する術があるから、まあ大丈夫だろうと送り出したのだが」


 城から、わざわざ許可を得てシルビアを連れて来て、戦場に送り出した王太子は、嘆息した。


「ヴィンス殿下のことがあったとしても、その場だけは耐えてもらいたかったな……。せめて戦線離脱してもらえれば……」

「無茶言うな」


 それが理想だが、理想は理想だ。

 あれが、どれほど予想不能で、問題の事態だったか。


「……シルビアが、どうして戦場に来たか知っているか」

「『自分が発端で起こっている戦』だからだろう。ゆえに、逃げてはいけないし、逃げないと」

「そうだな。シルビアはそうも言った。実際、それを自覚してしまった以上、この場に駆り立てた理由はそっちの方が大きいのかもしれない」


 たとえ大まかに事実だとしても、自覚などしなくとも良かった。自分のせいだと思わない方が幸せだ。

 シルビアのせいではない。周りが勝手に動き、彼女を奪い合っている。周りの勝手であって、シルビアが戦を起こしてくれと頼んだわけではない。


 ただ、もしも将来『その機会』に恵まれたなら、力になりたいとシルビアは願っていた。ただ生きるだけではなく、強くなっておきたいと望んだ。

 そして、戦という最悪の状況だが、その機会もやって来た。


「……シルビアには、望みがある。今回の戦に臨む理由の大部分が他のものになろうと、この戦の先には元々の望みが叶えられる可能性がある」

「ああ、そういえばシルビアもそんなことを言っていたな。望みのためにも、この戦から逃げたくはない、という感じだったか。その望みが何なのかは私は聞き損ねたが。──何だ」

「ヴィンスとの再会だ」


 再会という些細な願いにして、取り巻く状況から遠い願いだった。

 再会自体は、今日、叶ったと言える。ただし、形だけ。望みもしなかっただろうし、予想なんてしなかった形で。


「どうしてだ……」


 どうしてシルビアに刃を向けるばかりか、刺した。あれでは、殺していてもおかしくはなかった。

 あの男が妹に刃を向けることなんて、この世で一番あり得ないことのはずなのに。


 一連の出来事が、シルビアにどれほどの衝撃を与えたか。

 シルビアは、あのとき、何を感じていたのだろう。事態を理解できていたのだろうか。

 地に膝をつき、ヴィンスを見上げていた光景が瞼の裏に焼き付いている。あのとき、目の前にいるのがヴィンスだと分からなかったはずはない。

 アルバートの衝撃も大きかったのだ。ではシルビアはどれほどの衝撃を受けたろう。


 あの国に戻されて、シルビアはどうなる。

 戦う術は教えた。だが、それが発揮できるかどうかは別の話だ。


 ──心が、負けなければ


 確かに、シルビアは戦うことを覚えた。この戦場で、戦う覚悟を示した。

 だが、同じ環境に戻ってしまったとき、果たして捕われずにいられるか。過去に戻ってしまわないか。

 そうだ。同じ環境に戻されてしまう。

 戦のきっかけである、侵入者と対峙した夜を思い出した。アウグラウンドの王族、シルビアを奪い返しに来た男。

 あの少しの時間で、狂気を感じたのだ。シルビアはどうなる。


 同じ夜、ヴィンスのものだと暗に示された瓶詰めの目玉を思い出した。

 あれを誰のものだと示されているのか理解し、シルビアは震えていた。

 あれで兄の身の安全と生死の不明さを察してしまったシルビアは、誰よりヴィンスの無事を願ったはずだ。

 再会を望んでいたのだから。


 アルバートは、ぎり、と歯を噛み締めた。

 訳が分からないという状態が占める思考が、徐々に一つの感情に染められていく。

 怒りだ。悔しさも混じる。

 悔しさは、シルビアを連れていった者たちへのものだ。そこへ怒りはない。ただ悔やみきれないほど、悔やまれる。


 そして、怒りは、第一にヴィンスへ。

 戦場でヴィンスの姿までも見えなくなった時点で、この怒りは湧いていた。

 どういうつもりだと、胸ぐらを引っ付かんでやり、問い質したくて仕方なかった。お前が、よりにもよってお前が何をやっていると。


「──」


 拳を叩きつけたい衝動に駆られるが、堪え、強く握りしめる。

 何より怒りを覚えるのは──


「どうあれ、手を打たなければな」

「……ああ」


 返事は、意識しなかったせいかかなり低くなった。その声を聞いた王太子が、あまりにじっと見てくる。


「……何だ」

「いや、いきなりとても低い声を聞いたから驚いた。落ち込んでいるか?」

「落ち込む? 馬鹿言え」

「だろうな。なぜか私が身の危険を感じるほどに、怒っている声だ」


 分かっているなら、聞くな。


「今から戦場に出れば、一振りで刃が当たった者を確実に皆殺ししそうだ。冷静ではあるだろうな?」

「問題ない。理性を失っての八つ当たりはない。ただ、シルビアを連れていった奴等に会えば全力で潰しにかかるだろうし、全部片付いた後には絶対にヴィンスを揺さぶってやる」


 確実に。


「では、対処のことだが、案は二つだな。一、戦に勝って取り戻す。二、今から精鋭のみを連れて奇襲する」

「どちらにしても難しくはなるだろうな」

「そうだな」


 一も、二も。

 二は、奇襲とはいえ、敵陣に突っ込むという荒業だ。敵陣の戦力の度合いによるが、まず侵入してから任務達成まで絶対に見つからないということはあり得ないに等しい。必ず見つかると思った方がいい。

 そんな状況下でシルビアを見つけ、敵陣から連れ出すまでとなると、難易度は言わずもがなだ。

 敵陣が手薄であれば万々歳だろうが、あの連中がいるはず。

 総力でぶつかり合う戦を普通にした方が良い部分がある。

 だが、やれる可能性があるならやった方がいい。


「第一に、シルビアがあちらに渡ったことでこちらの切り札はないどころか、あちらに切り札が出来たことになる。元々戦力差があったのが、あちらにシルビアの力を使用させられればどれほど勝利に近づいていても厳しいかもしれない」


 王太子は一の案の欠点を、自分で言った。

 元々、こちらとあちらの兵の差、戦力の差がある。もしもあちらが今の戦況に焦れ、今すぐ総力を投入すれば、かなり厳しい戦いになるだろうと予測される。

 そこをどうにかしても、相手がシルビアを使ってくるという可能性がある。地道に戦の決着をつけようとすると、負ける可能性が濃い、と言っているのだ。


「『女神』の力とは、どれほどのものなのだろうな」


 呟くような言葉に、王太子の方を見たが、王太子は他所を見ていた。


「急に何だ」


 いきなり何の話を差し込んでいるのだと聞き返すと、王太子の視線がアルバートに戻り、彼は笑った。


「急でもないだろう。確かにシルビアの力自体大きいことは知っているし、どうも影響力が己のみに限らないと予測できる事象も見た。何より『伝説』に伝えられる力がある」


 しかし、と言う王太子はごく真面目な表情になる。


「──本当に『伝説』にあるように、国の一軍を彼女という一存在でひっくり返してしまえる力はあるのだろうか」

「周りが信じすぎているだけ、だって言いたいのか」

「いやもちろん『女神』であることは本当だと私は思っている。証と他にない力があるのだからな。だが、『伝説』が誇張されている可能性を考えたことはあるか?」


 問いを向けられたアルバートは、黙る。それに対し、王太子がぱっと顔を明るくする。


「おお、あるのか? 仲間だな、アルバート」

「……何嬉々としてるんだ」


 何が仲間だ。


「信じ難いっていう感覚は分かる。今戦っていて敵に切りがないと感じることがあるからだろうな」


 これを一撃で?と。


「誇張されているかもしれないと思っていて、シルビアを切り札に使おうとしていたのか」

「それは、まあ、人より力を持っていることには変わりはないだろうから、その力を補助に攻め、盤上をひっくり返していければいいなという感じだ」


 どういう感じだ。


「まあ、まあ、いいだろう。今はこちらにない切り札の話をしていても虚しい。それを取り戻す作戦が──」

「失礼致します!」


 出入り口の布が勢いよく退けられ、飛び込んできた者がいた。

 様子は、明らかに余裕がない。外からまず呼び掛けるのではなく、中の会話を吹っ飛ばさんばかりの呼び掛けと飛び込みようだ。


「何があった」


 さすがに一気に緊迫した空気を纏い、王太子が立ち上がる。


「は、今しがたアウグラウンドの者が捕らえられたのですが──」


 伝令は、後半に至る頃には、完全にアルバートの方を見ていた。

 伝えられたことに、王太子が目を見開き、彼もアルバートの方を見た。アルバートも瞠目しかけたが、きつく眉を寄せる。

 ──何のつもりだ

 そう思ったのは、アウグラウンド側の思惑へと、来た『本人』に。


 現在戦の真っ只中にある敵国から、一人の男がこちらの陣地にやって来た。

 すぐに捕らえられた男は、信じ難い正体を名乗ったという。そして、「アルバート・ジルベルスタイン同席の上で、指揮官と会いたい」と言った。


 報告が行った騎士団の上層部の反対がありながらも、王太子が説得し、王太子が責任者として彼と会うことになった。

 テントの中、アルバートは、王太子の側についていた。

 位置は、どちらかと言えば出入口に近い。王太子に近づけないように距離を保たせるためであり、妙な真似を見せれば取り押さえるためだ。


 そして、緊張が張り詰める場に、彼は姿を現した。

 がちゃがちゃと、音がするのは、彼が拘束されているためだ。神官により、神通力の封じも施されたという。その全てに従順で、逆らう様子はなかっと言う。

 唐突に現れたときも両手を挙げて、武器も持っていない状態で、いかにも捕まえてくれと言わんばかりだったそうだ。


 裏切り、投降、それとも他の思惑が。

 誰もが、意図を計りかねていた。

 アルバートもそうだった。


 テントの中に通された男は、入ったところで座らされた。それにすら、抵抗ない。

 すかさず、高らかに杭が地面に打ち付けられる。杭には、男の動きを制限する鎖が繋がっていた。

 連行してきた男が去ったところで、彼が顔を上げ、顔が明らかになる。

 髪色、片方だけとはいえ、目の色、顔立ち。右目を覆う眼帯は見慣れないものの、知った顔だった。


「……ヴィンス」


 戦場で、久方ぶりに見たばかりの友だった。




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