突然の話






 家に帰り、とりあえず着替えてから養父の部屋に向かうよう言われた。

 話とは何だろう。

 帰り道の話の流れと関係あるのだろうか。それなら、アルバートの結婚の話?

 ニーナとの縁談が破談になったとき、養母は出来れば今年中に、と言っていた。でも、アルバートは帰り道で、お見合いかと聞くと自分ではないと言っていた。

 ……自分ではない。その言い方に、思い出した今、若干の引っ掛かりを覚える。でもそれ以上は分からない。


 養父の書斎の扉をノックすると、養父の声で返事があった。

 入ると、中には養父と養母、そして制服姿のままのアルバートの姿があった。養父が正面、養母が右の壁際、アルバートが左の壁際だ。


「お父様、お久しぶりです。お帰りなさい」

「私も久しぶりに顔を見られたような気がする。ただいま」


 それから、シルビアもお帰りと言われて、シルビアもただいまと言う不思議なやり取りとなる。


「お話とは何でしょう」

「……そうだな。先延ばしにせず、話をしよう」


 仄かに笑顔が浮かべられていた顔から、笑みが消える。


「シルビア」

「はい」

「王太子殿下との結婚の話が持ち上がっている」

「……? 殿下と、どなたのでしょう?」


 単純な疑問に尋ねながらも、胸がざわざわとした。アルバートの結婚の話のときと似ているようで、異なる。また感覚だけで、説明はつかない。

 けれど、理由はおそらく、予感だったのだ。


「シルビアと、グレイル殿下の、だ」

「私と、グレイル殿下、の」


 言われた内容を、口に出して繰り返した。

 繰り返して、口を閉じてからも、頭の中で繰り返して。


「…………私が、結婚…………?」


 理解し難いことを、ようやく、何とか読み取って養父を見つめる。


「驚かせることになり、すまない。……実はこの話は前々からあったものだった」

「前々、とは」


 いつから。

 どうして、や、どういうことか、など他にも聞きたいことがあったが、ここは順に。戸惑いを抑え、一つに留める。


「下手をすれば、シルビアがこの家に来た当初からだ」


 それは、何年前のことになるだろうか。

 驚き、目を見張り、無意識に同じ部屋の中にいる養母とアルバートを見た。二人は驚いた様子はなく、黙ったまま。

 今日のこの場の少し前に聞いていたのではなく、養父が言う『前々』から知っていたのだと感じた。シルビアは知らなかった。

 判明した事実に、戸惑う。

 いや、いつから、はひとまず置いておこう。もっと重要なことがある。


「なぜ、ですか」


 なぜ、そんな話が前々からあったのか。シルビアは問うた。

 養父は唇を開き、「それは」と言ったが躊躇ったように言い淀み、先程のようにすぐに答えは返ってこなかった。


「……お前という存在がこの国に『絶対性』を与え得るからだ」


 声は、左から。

 養父の話の流れを黙って見ていたアルバートが、この部屋で初めて口を開いた。

 シルビアが彼を見ると、アルバートは微かに口を開いて閉じかける動作をしたかと見えたが、表情を変えず続きを言う。


「殿下はいずれ王になる。この国の王の隣に、『特別な象徴』となれるお前がいることは『特別な意味』を持ち、その力は他国との戦になってもこの国の優位どころか勝利を約束するだろう」


 このときからか。シルビアの思考が鈍ってきたのは。それとも、すぐには理解できない話が始まってからか。

 しかし、確実にこのとき、思考はろくに動くことをやめ、驚きなどといった感情も鈍った。鈍らせなければならないと、どこかの器官が判断したようだった。


 アルバートが、わずかに瞠目し、何か言おうとしたが、シルビアは彼から視線を外した。


 シルビアは、自分で、自分の身の上だからこそ、ずっとジルベルスタイン家で生きていくのだと思っていた。『ジルベルスタイン家のシルビア』として。

 けれど、違ったらしい。身の上ゆえ、いや、もっと根本的な性質ゆえにそんな話が存在していた。

 なぜ、という問いに対する答えに何も言うことが出来ずにいる間に、「それでも、本当はもう少し話は泳がされておくはずだった」と前から聞こえた。

 視線の動きすら、鈍っている。ゆっくりと正面を見ると、養父と目が合った。


「先日、テレスティアから使者が来ただろう」

「……はい」

「同盟云々の話はまだ正式に結論は出ていないのだが、アウグラウンドの絡む話ともなれば、将来的なことを考えて陛下は同盟に近い関係をテレスティアと結ぶ決断をされるはずだ」

「将来的なことを、考えて……」

「そうだ。いずれ、どんなことがあってもいいように」


 どんなことがあってもいいように。

 シルビアは拳を握る。


「その関係を結ぶに当たり、テレスティアの貴族の女子が王族としてこちらに輿入れする可能性が考えられる」

「はい……聞いて、います」

「しかしその場合、殿下の妃としては迎え入れることは出来ない。どこの国も同じだ」


 そんな話があった。

 そんな、話が。

 確か……神に近き血筋である王族に、他の神を信仰する他の国の血を混ぜるわけにはいかないとか……。

 そこで、僅かながらに思考が明確になる。曇った思考でも気がついたことがあったのだ。


「建前として婚約者がいるというのが一番無難な断り文句だということと……他国と結び付き、この先のことを考えるのなら元々『その話』があったため、やはり決定的な位置に据えていた方がいいのではないということで、『その話』──結婚の話も進めておくことになった」

「ですが、……ですが、私も同じになるのではないでしょうか。血を混ぜることが避けられるのなら──」


 養父は、首を横に振った。


「別だ。考え方が別になる。彼女たちとシルビアは『存在の見方』が決定的に異なる」

「……存在の見方……」


 言い方は、まるで無機質な示し方に聞こえた。

 限定的に明確だった思考も、再度鈍る。力なく、声が溢れた。


「前々から存在していた話を今まで言わなかったのは、シルビアを戸惑わせたくなかったからだ。家に来た当初のシルビアはそれどころではなかったし、その後シルビアが騎士団に入る予定になり、別の道を作ることに陛下も同意なさった。──だが、話が変わってきてしまった」


 話は確定ではなかった。最初の頃は確かにシルビアはそれどころではなかった。そんなことを言われていても、どんな反応をしていたか。どんな反応もしなかったか。

 言わないうちに、今度はシルビアは騎士団に入りたいと言った。戦う術を身に付け、そのように生きていきたいという意思を示した。

 心配をし、懸念しながらも、彼らがシルビアを結局は支援してくれたのは、それが別の道になると思ったから。

 アルバートが「可能な限り自由な道を選んでいい」と言ったのは、決して嘘ではなかったのだ。その時点では。

 シルビアの知らない間に、進んだり留まったりをしていた話は、シルビアが知らない間に道を定めようとしている。


「シルビア、いずれその話が本格的に進む可能性がかなり高いことを頭に留めておいてくれないか」


 シルビアがどうこう決められる自由のある話ではないのだ。

 これもまた、匿われている身の上を考えると、どうこう言う権利がないとシルビアは感じる。

 そもそも、万が一何か言っていいと言われて、何を言うと言うのか。分からない。今、自分はこの話に何を思っている。どんな感情が生じている。

 頭の中が真っ白というより、灰色で、戻らなくて。


「………………はい」


 と、返事だけして、全ての感覚が鈍るまま、ぼんやりとしていた。

 このままの方がいい。

 感覚を鈍らせてくれているものが晴れてしまって、なくなってしまったら、どうしようもない感覚に襲われるような気がする。

 だから、このままの方がいい。

 何も考えず、感じず、思わず。決まることは、決まること。


 大丈夫。ここに来てから、色々なことを教えてもらって、数えきれないほど外に出た。この前は海にまで行った。

 言葉通り、可能な限りの道を行かせてもらった。本当は、騎士団に入りたいということすら、躊躇われたのだ。どうしても捨てられない望みがあって、言って、努力してきたけれど。

 充分、良くしてもらってきた。








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