報告
首都、城に戻った。
戻ってやるべきことは、報告のみ。海賊は引き渡して居らず、怪我人もいない。馬は厩舎に返し、世話をしてやれば帰ってもいいことになっていた。
報告は隊長であるアルバートがする。
厩舎から戻る道は、しん、と静まり返っていた。この時間だ。城に来ていた者は、ほとんど帰っているはずだ。
時刻は夜、辺りは灯りなしでは歩けないほど暗かった。と言うのも、月灯りさえないのだ。
空は曇り、月も見えなければ、もちろん星も見えない。
シルビアは、灯りを持ち、厩舎からの道を戻ってゆく。
これまでにないほど、疲れている気がした。体が心なしか重い。筋肉痛とかいうものではない。単に、疲労。
一度、第五騎士隊の部屋に戻るつもりで、城の中に入った。アルバートはもう帰っているだろうか。
「シルビア!」
廊下で、大きく呼ばれて、ぴたりと足を止めた。
声は、人気のない廊下によく響いた。
「おと──総帥」
声が飛んできた方には、養父がいた。服装は家では見たことがあるが、未だに城では遭遇することがなく見たことがなかった。
アルバートの父、ルーカス・ジルベルスタインは騎士団の頂点に位置する地位に就いている。隊長の上が団長、団長の上が総帥だ。
そんな総帥の隣には、隊長であり息子であるアルバートの姿が。
「総帥と呼ばれると意外と落ち込むな……」
近くまでやって来て、養父は眉を下げる表情をした。
「お父様」
言い直すと、「やはりそちらの方が落ち着くな」と表情を明るくした。
「今回は疲れただろう。海に落ちたと聞いたぞ。可哀想に。さぞ疲れたろう。食事は? お菓子を……」
矢継ぎ早にシルビアを労い、養父はごそごそと衣服のポケットを探る。探る。探る……。
「……手持ちがない……! 家ならあるのに……!」
何とも悲愴な顔であった。
顔立ちの元はアルバートと似ているのに、表情の振り幅が異なると、こういうときに感じさせられる。
そんな父を隣に、アルバートが胸元のポケットから小さなものを取り出し、黙って養父に差し出した。
「……」
鮮やかな包み紙。差し出された飴を見て、養父は自らの実子を見つめる。
「何だ、父上」
「いや、お前にこんな習慣がつくとは。改めて目の当たりにして、改めて驚いている」
「……今さらだな」
それに父上も父上だ、お互い様だろう、とアルバートはもはや父親に渡すことをやめ、シルビアに飴を差し出した。
「ありがとうございます」
養父は満足そうに大きく頷いた。
「よし、シルビア、私と一緒に帰ろう」
「お父様も、お仕事は終わりなのですか?」
「終わりだ。明日からは忙しくなりそうだから、早く帰ることが出来るときに帰っておく」
テレスティアの使者が来るからか。
養父は、騎士団の総帥でもあるが、ジルベルスタイン家の当主として、国政にも関わっている。
「アルバートさんは」
アルバートの仕事は終わっているのだろうか。シルビアは、彼を見上げる。
「俺はまだ──」
「帰れ帰れ。私が許す」
「それでも総帥か」
「報告の詳細は明日以降でいい。任務は完了したことが重要だからな」
「もしくは帰り道に聞こう」と今すぐ帰る気満々の父親に対し、アルバートは反論しなかった。
「分かった。報告は帰りにする。だが、それとは別に、話がある」
「話?」
「シルビアのことでだ」
養父は、海に落ちたことは聞いていた風だったので、それ以外に何かという様子で首を傾げた。
飴は、この土地に来てから馴染んだ味がした。
家に帰ると、出迎えに養母がやって来た。彼女はアルバートとシルビアの姿に目を輝かせた。
「アルバート、シルビア! お帰りなさい!」
「フローディア、私は?」
「もちろん、ルーカスもお帰りなさい」
夫にもしっかりと言い、抱擁し、キスをして、養母は「二人とも、疲れているでしょう」と言ってから何やらアルバートとシルビアをじっと見る。
「怪我はない」
「そう。信じるわ」
直後、養母の視線はシルビアにのみ注がれる。
彼女は、シルビアの頬に手を添え、顔を色んな角度からくまなく見る。
「怪我は、ないわね」
「はい。私もありません」
怪我確認だったようだ。
それから、帰って来たシルビアたちは軽く着替えに行って、食事をした。養母はにこにこと嬉しそうにしていた。
養母は、帰りを待っていたのだ。シルビアも、騎士団に入るまでそちら側だった。
帰れないときや夜会に行くときを除いて、そんな習慣のある家だった。
シルビアには、その習慣が世の中でも当たり前なのか、それとも養母の人柄なのかは分からないけれど。
食事が終わった後だった。養父が話題を切り替えた。
「シルビアについての話とは何だ。これは帰ってからということだったが」
そんな話を知らず、養母は不思議そうにする。
アルバートが食後のお茶を飲んでいたカップを置き、話しはじめる。
完遂してきた任務の中で、と。すでに報告した任務内容を養母のために補い、本題に入る。
「魔物がシルビアを狙った」
「魔物が狙った……? わざわざシルビアを、ということか」
「そうだ」
「……思い過ごしではなく、か?」
「魔物は人間を襲う。周りにはただでさえ他の神を信仰している神通力持ちがいたんだ。そこを無視して、離れていたシルビアを海に引き込み、その後も狙っていた」
「う、海に!?」
養母は今前置きがあるまで、任務の実際の様子を、一切聞いていなかった。海に落ちたことは前置きに出て来ず、信じられないことを聞いたがごとく、青い目を見開いた。今にもシルビアの元に寄って、肩を掴みそうな目付きになっている。
けれども、今はそこは問題ではない、とアルバートが制する。
「怪我はしなかった。濡れただけだ」
次いで、アルバートは、自らの父を見る。反応を待つ。
養父はというと、しばらく黙った。考え込む様子で、眉を寄せている。こういう顔は、アルバートに似ている。
「……なるほど。納得できる要素はあるな」
やがて、養父は頷いた。
納得の仕方は、任務の先でアルバートが納得したのと同じような様子だ。「陛下のお耳にも入れておこう」と、養父は内容の了解の意を示した。
「他に判明したことはあるか」
「判明したことと言うより出来ると分かったことだが、浄化は出来た。……が、シルビア、あのときお前は少し妙な様子だったな」
話の先を向けられ、シルビアは背筋を伸ばす。真剣な空気の漂う中、全ての視線を受け、言われたときのことを思い出す。
「少し、嫌な感覚に触れられた気がして……。一瞬だったのですが」
「嫌、か。──そういえば、魔物が出る前もそんなことを言っていたな。それに、『嫌なものが近づいて来る』って言っていなかったか。それのことか?」
「いえ、海賊の方とは別で……。後から感じた方は、魔物のせいだと思います」
魔物が出てきて、近づいてくる嫌なものはあれだと確信した。
シルビアの言葉に、アルバートと養父は、顔立ちは微妙に異なりながら、そっくりの表情をした。まるで、同じ事を考えているような。
「……魔物も敏感だが、魔物だけではなく、シルビアも敏感なのかもしれないな」
そう述べたのは、養父だ。
「そうか。なるほどな、そういうことになるのか」
分かった、と養父はアルバートに「他にもあるか?」と尋ね、「以上だ」と返ってくると、その話題をここで切り上げた。
「私は海に落ちたことをもう少し詳しく聞きたいのだけれど……。シルビア、最近訓練は順調だと聞いているけれど、言っていないだけで、すごく怪我をしたりはしていないかしら?」
「『すごく』の度合いが分からないのですが、怪我の具合は家での稽古と遜色ありません」
「そ、そう?」
「はい。……あ」
訓練の話の影響か、唐突に思い出したことがあった。
「そうでした」
海賊のことで、しばらくバタバタしていて、失念していた。
シルビアは、突然の「あ」に身を乗り出しかけている養母を中心に、とある報告をする。
「『友人』ができました」
という報告を。
海賊が出たという報告が入った日、神剣の訓練のとき、イオと嬉しいやり取りをした。
「まあ、友人が!」
養母は一転して、我がことのように嬉しそうな声をあげた。
「どんな子? お名前は?」
「名前は『イオ・セトラ』です。イオは……真剣で、私が転んだりすると気遣ってくれた、優しい人です」
アルバートとは異なる、優しい人。
「転んだ」
またも、主要でない内容に引っ掛かったらしい。養母は一言を繰り返した。転んだのはそれこそ大分前のことだ。入団入隊初日。
と、シルビアが言おうとする前に。
「セトラ家の子……男の子ね……。その子は友人、なのね」
「はい」
嬉しさとくすぐったさを思い出して、微笑む。
主要なところに戻ってくれ、シルビアに尋ねた養母は、シルビアの微笑みを見て……。
「そう」
微笑んだ。
途端に、シルビアは首を傾げそうになった。養母の微笑みに、何だろう、違和感のようなものを感じた。
見つめていると、養母もシルビアを見つめて、口を開きかけて、止める。
けれど、代わりに養父の方を見てから、今度こそ口を開いた。
「テレスティアの使者が来たのよね」
養父が無言で頷く。
「彼らが持ってきた内容によっては……いえ、そうではなくても」
「フローディア、落ち着きなさい」
「けれど」
「先走るな。深読みしすぎるな。『そう』であっても」
「あっても?」
「待つんだ。何でも教えることが良いことではない」
「……」
「それから、話もまさにそのときが来たとしたらと話し合ったな」
「……ええ」
ええ、と、養母はもう一度呟いた。
養父母の抑えめの声でのやり取りは、これまでにない雰囲気を持っていた。
シルビアは、特に養母を案じる。彼女は大抵微笑み、真剣なときは真剣な顔をしている人。けれど、今の様子はそのどちらでもないから。
「お母様……?」
「……気にするな。十年に一度あるかどうか分からない痴話喧嘩だ」
アルバートが、カップに口をつけ、言った。
彼の様子は、いつも両親のやり取りを最低限だけ認識し、それ以外は流しているときのものだった。
十年に一度あるかどうか分からない。十年とは、シルビアが見たことがなくても当然だ。
アルバートが特に気にした様子はないため、シルビアはまだ少し気にしつつ、余計な口を挟まないことにした。
「それより、友人が出来て良かったな」
アルバートは、微笑んだ。
彼の微笑みには種類がある。にやりとした笑みや、穏やかさも漂うような優しい微笑み。今のは後者だ。
「はい」
「お前には、騎士団でも続く友人が出来る学院をすっ飛ばさせたからな。……知識だけにならなくて良かった」
友人。アルバートが、その言葉の意味を教えてくれた。
そうしてアルバートと話していて、ふと気がついたときに、養母がシルビアに微笑んでいた。
その微笑みにも違和感を覚えるのも、「痴話喧嘩」のせいなのだろうか。
「痴話喧嘩」は、どれくらいで終わるものだろう。養父母が早く、いつもの様子に戻ってくれるといいと思った。二人には、そちらの方がずっと似合っているとひしひしと感じたのだ。
「……場合によっては、報告のこともある。前線から遠ざけて、例の話がこの機会に進むやもしれないな……」
ルーカス・ジルベルスタインの、今日得た情報と国の現状による呟きは、お茶に流され喉の奥に消えていった。
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