新たな事実





 後から聞いたところによると、海の魔物退治では、船の上で戦うのも限界があるため、海に潜って対峙することがあるのだという。

 海面に立つことは、誰にでも出来ることではない。シルビアも今日してみて、神通力の消費が激しい行為だと感じた。

 それに、最後のように海に沈んでしまうと、潜る他ないだろう。


 魔物は消滅。他に出た魔物は小さなものが一体。それも退治すれば、海賊による影響の封じもしたため、新たに魔物が出る可能性は限りなく低い。

 ようやく、船に一段落、一安心という空気が生まれた。


 海に潜っていた人員が、船に戻ってくる。

 アルバートは一番最後に上がってきて、タオルを手渡す係を買って出ていたシルビアは、彼の元に行く。

 シルビア自身は船に着いたときに、タオルを渡されて拭ける範囲の水分は拭っていた。


「アルバートさん、どうぞ」

「ああ、シルビアか」


 濡れた黒髪を後ろに撫で付けていた手でタオルを受け取り、アルバートは短く礼を口にした。


「失礼、隊長殿」


 アルバートに声をかけた人は、神官だった。

 見ると、他の、海から上がってきた隊員全員の元に神官が来ている。


「お怪我は……ないようですが、念のため。魔物の毒は受けておられませんね」

「ああ」


 魔物に傷をつけられると、毒を受ける。毒とは言い表すが、実際は呪いであるため、薬の類いは一切効かない。神通力による癒しのみが、唯一の治療手段だ。

 神官は、アルバートの怪我の有無を確かめ、傍らにいるシルビアに目を留めた。髪が湿っている様子か、服の具合で思ったのだろうか。


「あなたも海にお入りに?」


 魔物退治のために海に入ったのかと尋ねてきた。


「いえ、……あ、いいえ」


 自分は魔物退治をしていない、と首を横に振りつつ言いかけて、でも海には入ったという事実を思い出した。結果、意味不明な返事になってしまった。


「シルビア、怪我はないな?」


 見かねたのか、アルバートが助け船を出してくれた。神官にとって重要なのはその点だ。シルビアは「はい」と返事をした。怪我はしていない。


「怪我をした者はおそらくいない。──いないな。神官は海の浄化に入ってくれ」

「承知致しました」


 その神官は、神官たちをまとめる役割にある人だったようだ。彼は、神官たちに指示を出しはじめた。


 魔物退治の後処理は、あと一つ。

 来ていた神官が全員小舟に乗り、海に出た。白い服装の集まりが、青い海に浮かんでいる様は、何とも不思議な光景だった。

 騎士団の船の上からは、騎士団の者が彼らを見守っている。


「海の浄化を行います」


 静かとなった海上で、その声はシルビアにも聞こえてきた。

 一人の神官──おそらく隊で言う隊長の役割にある神官──が小舟の上で膝をつくと、他の神官全てが揃って、流れるように膝をつく。頭を垂れ、手でそっと水面に触れる。


「『イントラス神に祈る。──邪悪なる神の力を浄化する力を』」


 一斉だった。

 神官の手に淡い光が生まれ、その光が、海の上をさあっと撫でていく。広がり、きらきらと光り、海に溶け込むように消えていく。


 邪神信仰者によって魔物が出現したということは、邪神の力がここに生まれてしまったということ。さらに、魔物の血自体が毒である。

 その毒を、消し去り、邪神の影響を消す。


 神官とは、神に祈ることを職とした人々である。

 しかし一日中神に祈り続けているわけではない。イントラス神について民に解くこと、魔物の被害が出て、毒を受けた民がいれば治療、場所によっては普通の病なども受け付ける治療院と化した教会もあるとか。

 神官の仕事は一概にこれとこれだとは言えず、いる土地によって異なり、特殊な仕事も出てくるのだ。


 特に、神官の中でも特別な枠組みがある。まず、神通力持ちの神官は、神通力を持たない神官とは異なる重要な役割を担う。神通力により魔物の毒により侵された人々、大地を癒す。

 騎士団の中、特に魔物が出れば出動する第五騎士隊は無論神通力持ちが大半を占めるが、騎士団と神官の神通力持ちが得意とする神通力の扱いは異なる。

 今日のように、騎士団の者も浄化を行えるが、質が高く最も得意としているのは神官の方だ。

 城の神官職はさしずめ、戦闘には向かない、神通力の扱いに特化した集団に育てられている面がある。

 地方にも対魔物被害のために神通力持ちの神官がいるが、地方の神官の神通力持ちは、城の神官たちに比べると圧倒的に数が少ない。


 また、城の神官は貴族がなることが少なくなく、政治の面での繋がりも強い。城での政治の会議にも出席するなど、神官の中でも、城の神官たちの仕事は地方と比べると特殊なものが多い。


「よし。港に引き上げるぞ」


 港に戻ると、海賊たちは連行されていく。後は護送担当の地方騎士団と、収監場所の神官の仕事だ。


 ──海賊の処罰は難しい。

 彼らを、わざわざ首都に連れ帰ることはない。魔物の影響が万が一にも懸念されるからだ。

 彼らは、国に一つのみある収監場所、教会の一つに連れていかれる。

 そもそも教会は、神域と呼ばれる場所に作られている。

 この国で言えば、イントラス神の影響がより強く出た場所で、邪神の影響をはね除けるため、魔物が出ない。

 首都の城も、神域に建てられている。城は最も質の高い神域で、首都は、城や教会の土地には濃度が劣るが土地全体が神域という、最大の神域に作られた都だ。

 海賊たちが送られる教会は、教会の大きさでは大きめで、質のよい神域が当てられている教会だ。

 なお、この教会は当然普通の教会とは少し異なる。海賊を収用するための教会だ。騎士団施設が併設しているため、警備に関しては問題ない。

 ただ、稀に脱走して魔物出現の原因となってしまうことがある。

 教会に送られた海賊たちの後の処遇は、分からない。海に返すことは絶対に出来ないはずだ。


 仕事は終わり、海賊の引き渡しが終わるまでやることがない。帰る準備はそんなにやることはないし、そもそも行きほど急いで帰る必要はないのだ。

 ささやかな休憩の時間となっていた。

 シルビアは、遠くの騒がしい方向とは別の方向に歩いていく。

 海は、穏やかだ。

 太陽は真上からずれたところにあって、相変わらず暖かな気候を地上に届ける。そのおかげで、寒くなくて済んでいるのだろう。


 シルビアは、真っ直ぐ見ていた視線を動かし、海のある方角を見る。


 あの海賊たちは、なぜ、邪神という忌まれた存在を信仰するのだろうか。


 今日、海賊という存在を初めて見た。それも、邪神信仰者だった。仲間がいるのに、構わず砲撃をした。

 魔物を見た。聞いたところによると、魔物は邪神信仰者がいても構わず危害を加えてくるのだそうだ。それなのに、今日、海賊たちは逃げる手段である舵を壊していた。

 自分たちも襲う魔物を生み出し、その魔物に襲われることも厭わない気持ちとはどのようなものなのか。それが、彼等の信仰なのだろうか。


 信仰、とは、何なのだろう。


 それぞれの国の民は、その土地ゆかりの神への信仰心を持ち、生まれてくる。当たり前に祈ることを知り、信仰する。

 今日の海賊のように、国を持たない者も、邪神という信仰先を持っている。

 自分は、何に祈ればいいのだろう。望みを抱き、すがりたいとき、何に祈れば。

 神は、自分の望みを叶える力をくれるのだろうか。


「いたっ」


 強制的に、首を回され、顔を戻された。

 予想もしない動きに、首が悲鳴をあげ、シルビアが驚きに目を丸くして背後を確認すると。


「悪い」

「アルバートさん」


 アルバートだった。

 シルビアの顔から手を離して、彼は珍しく決まり悪げにした。


「首が捩切れるかと思いました」

「大げさだな」


 確かに捩切れるは大げさだ。


「海賊の引き渡しの方は……」

「まだかかる。静かに慎重にやってるからな」


 事情があるのだ。


「まだ湿ってるか」


 アルバートは、シルビアがまとめている髪を手に取り、触れた。

 拭いたけれど、すぐには乾かなかった。


「髪は、大丈夫そうだな」


 色のことだろう。


「思い出して心配になっていたのですが、大丈夫ですか」

「元々水には強いからな。帰りに雨に降られても、もつ」


 それだけ強いものを使っているのに不思議なものだな、と彼は呟き、髪から手を離した。

 髪は、毛先まできっちり黒い。


「魔物が、お前を狙ったことを少し考えなければならない」


 シルビアは、自分の髪を見ていた目を素早く上げた。

 今日、海の上で魔物に執拗に追いかけられた。アルバートは、シルビアを狙っていると言った。


「偶然では、ないのでしょうか」

「偶然じゃないと考えるべきだろう。納得出来るところはある」


 その「納得出来るところ」という中身は、口にされなかった。


「偶然ではないとして、あの現象が起こるのはあれが強い力を持った魔物だったからか。力の弱い魔物でもそうなるのか。どれくらい引き寄せられるような力があるのか」


 力量に関係なく、魔物に狙われるとすれば……。第五騎士隊は、魔物退治が仕事の一つだ。やはり、支障が出てしまうのだろうか。

 視線をそっと、落とした。海は、緩く波を立てている。


「……私は、第五騎士隊に、いられますか」


 呟くように聞いた。

 もしも第五騎士隊は駄目になれば、どうなるのだろう。騎士団には……。

 頭に、重みがかかった。

 前触れを感じず、予想してもおらず、頭が前に傾きかける。

 シルビアが上を見ると、灰色の目と、目が合った。


「どうせ魔物と戦うことは仕事だ。お前が魔物に狙われるのだとしても、お前は魔物と戦える能力がある。充分にな」


 アルバートの手が、シルビアの頭を重く撫でる。


「実際に外に出て、やってみないと分からないことがある。それが、また分かっただけの話だろう」


 予想は立てられ、シルビアが騎士団でもやっていけるだろうとされた。神剣も可能性として、とされ、実際神剣の使い手となった。

 今日だけでも、浄化が出来た。海面に立てた。

 そして、予想されていなかったことで、魔物が、シルビアを狙ったように思える行動をした。

 新たな事実が判明しただけ。

 彼はそう言うが、小さなことではないはずだ。

 もう十分に自由だけれど、これ以上自由に生きることは、やはり、難しいのだろうか。成したいことを、成したいと思うことは、我が儘になってしまうのだろうか。


 シルビアが視線を落として、しばらく、沈黙が漂った。


「海賊の方はどうだった」


 どうだった、とは、とシルビアが聞かずとも、アルバートは具体的な問いを重ねる。


「斬ったか」


 海賊と戦ったときのことだ。


「はい」


 手応えもなく、軽かったことを思い出した。神剣の切れ味ゆえだろう。

 あまりに簡単に斬れ、血が出た。

 実践は、今日が初めてだった。どれほど訓練を重ねようと、あれほど深く人を斬るのは初めてだった。

 そして、


「……命を奪いました」


 その海賊は死んだ。

 命が消える瞬間を見た。


「よく、分からない心地です。……こういうとき、どうなることが正解なのでしょう」


 シルビアには分からなかった。

 人が死ぬこと、人の命を奪う、殺すこと。覚悟をしたはずが、覚悟したタイミングではなく突然で、色んなことが起こったせいだろうか。

 そのときは大いに驚いたが、今はその驚きに勝る重みが感じられていなかった。


「命を軽く見る人間になれとは言いたくない。だが、重く見て、斬る度に後悔したり抱え込むような人間にはならなくていい」

「命は、重いものではないのですか」

「そうだ。絶対に軽いものじゃない。だが、一つ一つ重く見すぎるなら、向いていない」


 この仕事に向いていない。人を殺してしまうときもあるのだ。


「辞めたくなったか」

「いいえ」

「そうか」


 辞めたくはなっていない。


「向き合いたいと思います。人と戦うこと、時には殺めてしまうこと、魔物に狙われるかもしれないことも。そうして、第五騎士隊で頑張っていけるようにしたいです」


 騎士団にいること、第五騎士隊にいることはシルビアに強さを与えてくれる。担う仕事が意味するところを受け止め、実行していくことは、間違いなく、シルビアが必要とする力を与えてくれる。


「……俺は、お前に向いていて欲しいとは思えない」

「え」

「──それはそうと、テレスティアの使者団に被害が行かずに済んで良かった」

「そうですね。海賊も、魔物も無事対処出来ましたね」

「ああ。……殿下は結局あのまま対応するはめになったな」


 王太子は、近衛の制服のままテレスティアの使者に会いに行くことになった。結局、船がそこまで来ていたので、無視して先に戻るのも何だと、騎士団の船が一隻先導役になったのだ。

 王太子はほぼ同時に港に到着し、向かったため、海賊と魔物退治に来るためだったとか言うつもりらしい。

 海賊の引き渡しが静かかつ慎重に行われているのは、テレスティアの使者団が同じ港にいるからだ。


「海賊の引き渡しが終われば、すぐに首都に戻るぞ」

「殿下はよろしいのですか?」

「殿下の護衛は近衛隊がいる。俺達は海賊と魔物退治に来ただけであって、殿下の護衛は厳密に言えば元々仕事にない。ゆっくりしていると、テレスティアの使者一行に先に出られて回り道して戻らなければならなくなる」


 一応、帰りも出発自体は急ぐ理由があったようだ。








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