二人きり






 第一騎士団第五騎士隊の部屋へ戻ると、扉の前の廊下に複数人、騎士団の制服を身につけた人が立っていた。

 第五騎士隊の人間ではない。その中の一人を見て、頭が判断する。

 分かった理由は、第五騎士隊の全ての所属員の顔を覚えているからとか、タイが示す所属が違うとか、よく見ると実は制服のデザインが違う特別な所属だとか、そんな要素はあとから。

 違う所属の人だと、何となく覚えていた人だった。


「……確か」

「あ。や、シルビアちゃん」


 王太子の近衛隊の隊長がシルビアに向かって、ひらひら、と手を振った。


 最近気がついたことだが、近衛隊の制服は騎士団の多くの者が身につける制服と若干デザインを異ならせていた。

 所属を示すタイのデザインはもちろん、ボタンのデザインなど、細かな部分が違う。

 シルビアは今まで、大まかな全体像しか認識していなかったので気がつくのが遅れたようだ。

 彼らの制服のデザインがそのように異なる所以は、近衛隊だから。王族の近くの勤務ゆえだと、レイラが言っていた。ちょっと見映えよく作ってあるのだと。


 と、いうことで、制服が異なること、近衛隊隊長本人であることが明らかになったため、第五騎士隊所属ではない。

 その人の前まで来た。


「シルビアちゃん、本当に第五騎士隊なんだなぁ」

「……? はい」

「ああ、ごめんね。仕事中だよね。どうぞ」


 シルビアがまともな何かを言う前に、近衛隊隊長が扉の方を向いたので他の近衛隊の人たちが退き、近衛隊隊長がそのままシルビアの返事を待たずして手ずから扉を開いてくれた。

 扉は第五騎士隊の部屋の扉で、シルビアはまさにここに戻るのだったので、笑顔で見送られつつ中に入ることになった。


 教官からアルバートへという書類を届けるべく、室内の第五騎士隊所属の面々が机についていたり、そこらで話し合っている中を通り抜け、一番奥にある隊長室へ向かう。

 しかし、近衛隊隊長はなぜここにいたのだろう。内心首をかしげる。

 おそらく普段ここにいるはずのない人だからだろう。違和感が拭いきれない。


 まあ気にしても仕方ない。

 やるべきことをやらなければ、とシルビアは着いた隊長室の扉をノックする。


「はーい、どうぞ」


 扉の向こうの部屋から、入室を許可する声が返ってきた。


「……?」


 シルビアは途端に訝しい表情になり、思わず部屋のプレートを確かめた。

 隊長室。間違いない。

 だが誰だ、この軽い返事は。声からして絶対にアルバートではない。

 返事があったため、とりあえず戸惑いながらも扉を開いてみる。


 中に、最初に見えた後ろ姿。椅子に座っている人がいた──が、その時点でアルバートではない。彼は、正面の机にいるはずなのだ。

 それに、その人物は黒髪ではなく金髪。その輝かしい金髪が揺れ、「誰か」が振り向く。


「──失礼しました」

「おや、入ってくるといいよ」


 王太子だった。

 瞬時に一礼し扉を閉めようとしたが、直前にそう言われてしまい、止まることになる。


「……いえ、殿下のご用をお邪魔するわけにはいかないので、仕事中でもあるため出直します」

「アルバートは席を外していてね。すぐに戻ってくると言ったからにはすぐに戻ってくるだろう」


 部屋の中にアルバートはいなかった。

 机の向こうの椅子は空。

 待つといい、と笑顔で手招きされては部屋の中に入らざるを得ない。

 一歩、中に入る。ぱたん、と扉が閉まった。

 それ以上足は進めない。扉を避けた壁際で待機する。


 それにしても、道理で近衛隊がいたのだ。

 予想するべきだった、と今さら思う。彼らは王太子の近衛隊なのだから、王太子がいる場所に近衛隊がいる。


「騎士団はどうだい?」


 予想して入るべきではなかったと思っているシルビアに、そんな問いかけがなされた。

 もちろん、王太子だ。椅子の肘掛けに肘をつき、こちらを見ていた。王太子の目と、視線が交わった。

 青い瞳は、養母の持つ色と同じ色だ。しかし、全体的な雰囲気となると異なる。

 苦手だと、思う。けれど、避けたいと思っているのはこの人ではないと分かっている。


「どう、とは」

「ああ、漠然としすぎていたか。うーん、そうだな。入団してそれなりの期間が経ったわけだが、大変じゃないか? とか」

「大変では、ないかと」

「ほう。では、神剣の訓練の方は」

「まだ、一人前にはほど遠いですが、励んでいるところです」

「問題なく使えているようで何よりだ」


 王太子は深く頷き、微笑んだ。

 まともに言葉を交わすのは、ほぼ初めてだ。思えば、過去には、必ずアルバートや養父が共にいて間に入ってくれていた。

 今会話してみて、王太子の接し方があまりに軽く、重なっていた像とのずれを感じたようで──アルバートがいない場で、初めて、まともに青い目を見返した。

 けれど、王太子の方が斜めにこちらに向けていた体を戻したことで、合わなくなる。


「そういえば、この前アルバートの見合いが破談になったことは知っているか」

「──はい」


 話題が、予想もしないところに飛んだ。

 王太子の顔は後方斜めから見える程度で、彼は手元で何かいじっている、のだろうか。その状態で、シルビアに話しかけ続ける。


「破談になった理由は知っているか」

「……聞いた限りですが」

「私も聞いた限りだ。アルバートには探るなと言われたが、気になるものは気になる。さらっと探った」


 アルバートには言わないように、とそのときだけシルビアを見た顔が笑う。しーという仕草が添えられて。

 アルバートが以前した見合いは、破談となった。理由は、相手であったニーナという女性に「忘れられない相手がいた」からだとか。


「ミュート家は、ジルベルスタイン家よりは劣るが、良い家柄の家──ジルベルスタインと同じくらい古い家柄だ。信用の順番で言えば相当上位で、まさに申し分ない家だった」


 王太子は再び、手元に目を落とし話す。


「相手方の理由が何であれ、一度話を受けた以上は普通なら最後まで話は進む。しかし今回は破談となった。……我が兄と慕う男ながら、未だに分からなくて、不器用な男だよ。単に、今回は親切か」

「……?」

「残念なのか。どこか安堵したのか。腹立だしいのか。よく分からない心地だ。──お前は、どう思った」

「え……」


 独白のような言葉を聞いていると、急に問われた。シルビアが戸惑いの声を溢すと、王太子がゆっくりと視線を上げ、軽く振り向いた。


「残念だったか、安堵したか、それとも他の感情か。もしくは、何も思わなかったか」

「殿下、あの……」


 何の話を。何を問いかけているのか、追い付いていない。

 戸惑う雰囲気が出れば、王太子が一旦口を閉じ、止まった。


「……お前に問うても仕方ないか。アルバートに対する問題……いや、どちらにしてもただの八つ当たりになってしまう」


 苦笑した。その様子がこれまで見たものと異なったものに見えて、これにも戸惑う。

 この王太子──グレイルという人は、掴み所がない。満面の笑顔は、何と言おうか、その笑顔を剥がせば違うものが隠れていそうで。笑顔が薄くなればなるほど、その感覚も薄くなっている気がして、でも完全にはなくならない。

 今の様子は、何なのだろう。この王太子は普通は複数人が持っているような雰囲気を、一人で有しているようだと、今思った。


 そんなことを分析していたから、次の発言が唐突に思えたわけではないだろう。


「お前は、もし自分が好きでもない相手と結婚するとなったときどう思う」

「……自分が、結婚」


 次なる問いはまた難しかった。

 聞き取れはした。だけれど、その内容があまりに現実から遠い気がしたのだ。自分が結婚?

 シルビアは知らず知らずのうちに眉間にシワを寄せる。


「ああ、そうか。まだ──」


 シルビアが聞き返しも答えもしない間に、王太子が自己完結して言いかけたときだった。


「待たせたな」


 シルビアの横で前触れなく扉が開き、同時に声がした。

 シルビアはびっくりして、体が一瞬跳ねたのちに、扉の方をみる。

 シルビアが見ることと、入ってきた人物が扉の脇に誰かいると気がつくのは同じくらいのタイミングだった。


「シルビア」


 ノックなしの前触れなしに入ってきたのは、アルバートだった。この部屋は彼の部屋だから、ノックがなしは当たり前か。

 扉を閉めたアルバートがなぜここに、という顔をしていたので、シルビアはとっさに手にしている書類を彼に差し出した。


「これは?」

「教官から書類を。隊長に渡すようにと」

「なるほどな。いなくて悪かったな」

「いえ」


 シルビアから書類を受け取ったアルバートは、ちらっと部屋に視線を向けた。


「アルバート、待ちくたびれたぞ」


 視線の先では、王太子がにこりと笑った。


「お陰で退屈しのぎに素晴らしい絵を完成させてしまった」


 王太子は、手元にあるものを持ち上げた。シルビアと話している最中に手を動かしていたもの──紙を掲げた。


「素晴らしい……? 何だその化け物は。モチーフは魔物か? 趣味が悪いな」

「何を言う、馬だ! 私の愛馬がモデルだぞ!」


 紙には、黒いインクのみで「何か」が描かれていた。

 憤慨する王太子曰く馬だそうだが、とてもそうは見えない。のは置いておいて、何かをいじっていると見えたが、ペンを動かしていただけか。


「どうでもいい。それより、書類の裏に書いていないだろうな」

「え? いや、どうだろう。机の上の一番近いところにあった紙を拝借しただけだから」

「おい」

「冗談だ。きちんと確認した。白紙だ」

「ふざけるのも大概にしろ。まあいい、話の続きをさっさと終わらせるぞ。その絵は置いていくなよ持って帰れ。──シルビア」

「何なら、彼女もいてもいいと思うが」


 青い目が先に、それから灰色の目がシルビアを見て、シルビアはアルバートが答える前に言う。


「出ていきます」


 用は済んだ。元々この場には王太子がいて、彼はアルバートと話をしていたようだ。シルビアは邪魔になるだけだ。

 だからシルビアは言うや、一礼し、扉に向かう。

 アルバートも頷くのを見た。のだが、


「──待て、シルビア」


 シルビアの後ろから、アルバートの声がして、腕が回った。

 腕は、シルビアが前に進むのを阻み止めるばかりか、後ろに引き寄せた。

 シルビアは覚束ない足取りで後ろに一二歩下がることになり、目を白黒させる。

 一体何事だと思った直後、扉が勢いよく開いた。

 鼻先を、ひゅっと扉が通りすぎ、風が通った。ギリギリ。あと半歩前にいたなら、鼻どころか頬を強打されていただろう。


「隊長!」


 押し開かれた扉と、飛び込んできた者がいた。

 出ていこうとしていたシルビアは扉の正面にいたわけであり、入ってきた人と正面から出会うこととなる。

 騎士団の制服、第一騎士団第五騎士隊所属、つまり先輩だ。


「ノックをしろ」

「し、失礼致しました」


 シルビアにとっては背後からの注意に、先輩は直立不動になり詫びた。


「それで、何があった」


 飛び込んできたのだ。何かあったか、と聞くまでもなく何かがあった。

 ゆえに、アルバートは内容を尋ねる問い方をしたのだろう。

 直立不動の第五騎士隊隊員は、その姿勢のまま、


「海賊が出たそうです」


 と、報告した。







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