お茶会






 お茶会の日は、良い天気だった。

 空は綺麗に青く染まり、薄く伸びる雲は陽光を遮らない。

 首都には各地から貴族が集まり切ったとも言ってよいくらいで、本日、ジルベルスタイン家ではお茶会が開かれる。

 ジルベルスタイン家のこのお茶会は、年に一度、社交界の始めに女性のみならず、男性含めを招待する。

 女性のみのお茶会や、男女招待する夜会はよくあるものだが、ジルベルスタイン家の伝統らしい。


 庭の一角、見事な庭を観賞しながら、招待客が歓談する。

 庭師が育てた花はもちろん華やかなものだが、淑女達のドレスと日傘が色とりどりで華やかだった。

 人が多くいるのは同じでも、騎士団とは雰囲気がまるで異なる。


 シルビアはこんな場に出るのは、初めてだった。見慣れた庭が見慣れない景色になったように思えた。


「ルーカス殿、美しい花を連れていらっしゃるな」


 ドレスを身につけたシルビアは、養父と共にいた。

 また一人、主催者である養父の元に招待客がやって来て、シルビアは養父の紹介を受ける。


「養女のシルビアだ」


 シルビアは挨拶をする。

 やって来た人は、声をかけたのが男性で、隣には夫人と思われる女性がいる。


「話は最近腐るほど聞いている。今日会えて、友の妄言ではなかったと信じることが出来た気分だ」

「腐るほどだ、妄言など、言い方を選ぶ気はないのか?」

「これは失礼」


 養父と大層仲が良さそうな男性が笑い、養父も笑う。


「しかし本当に、こんなに美しい娘御を隠しているとは。これからは社交界に?」

「今日限定だ。夜会の類いには出かけないし、出ない」

「おや、なぜ」

「騎士団に入ったことであるし、それで表にも出た。今はその必要性があまりない」

「嫁入りさせずに、ずっと手元に置く気か? もしくは、すでに婚約者が決まっているとか」

「今は、と言っただろう。機会があれば可能性はある」


 養父は相手の詮索を煙に巻いた。


「ふむ。では、今のところは、かのジルベルスタイン公爵の可愛がる娘御を目に焼き付けておかなければなりませんな」

「おっと不躾な目を向けるのは止めてもらおう」


 ははは、と笑い声が上がり、周りの視線を集める。

 主催者の元には、ひっきりなしに人が来るため、その人たちもしばらくしてまた後でと去っていった。


「シルビア、疲れてはいないか?」

「はい、大丈夫です」


 養母は一旦邸に戻ったあと、別の場所で招待客に掴まって中々戻って来られていない。

 アルバートも、別の場所にいる。


「お、シルビア来たぞ」


 来たぞ、とあまりに直接的な言葉は、こちらに近づいてくる三名を示していた。

 男性、女性、女性。


「ジルベルスタイン殿」


 男性が一家の長、落ち着いた雰囲気の女性が夫人。

 そして──。

 これまでと同じく、挨拶の流れが始まり、その人が名乗った。


「──ニーナです。ジルベルスタイン公爵閣下、本日はお招きありがとうございます」


 可憐な女性だった。

 すらりとした姿は、瑞々しさを感じる、緑色のドレスに包まれている。彼女が唇をほころばせば、場が華やぐ。そんな笑みだった。

 ニーナ。彼女が、アルバートと結婚するであろう女性。


「時に噂の令嬢は美しいですね」


 美しい、と記号のように聞こえる賛辞が耳を通りすぎる。


「自慢の娘だ。さて、早い話、ニーナに少しシルビアを任せてもいいか」

「ええ。──ニーナ」

「はい、お父様」


 目の前で何やらやり取りが交わされ、養父が「ニーナと話してきてみてごらん」とシルビアに囁いた。

 シルビアは、そうだ、これはニーナ・ミュートという人を知るための場だと思い出した。

 彼女がどんな人が知れば、アルバートが見合いだと聞いたときから生まれた調子はきっと落ち着く。

 シルビアは上の空で返事をし、養父たちが少し離れていったことで、ニーナという女性と二人残る。


「改めて初めまして、ニーナ・ミュートです」

「初めまして。シルビア・ジルベルスタイン、です」


 可憐な微笑みが、シルビアにだけ向けられている。


「アルバート様から少し窺っていましたが、こんなに美しい妹さんだなんて」

「いえ……」


 微笑むニーナは、会話を広げていく。

 改めての名前以外の簡単な自己紹介、シルビアが騎士団に入っていると聞いていること、おそらくシルビアの返答から派生して神剣の使い手であることへの賛辞。

 共通の話題として、アルバートのこと。

 ニーナの流れるような話し口は、単に慣れているのでもあろうが、その中には思いやりが感じられた。

 相手が返答に困らないであろう話題、質問。気まずくならないように、途切れさせない。

 シルビアも何事か、答えていた。口が動く。けれど、内容は半ば自覚がない。


 会話をするたび、彼女がどのような女性か感じるようだった。苦手な要素はなく、接しやすい人だ。話しやすい。


 けれど、シルビアの胸がざわざわして止まない。

 ニーナはいい人だ。顔も分かった。人柄も第一印象で柔らかだと感じる。不安要素などありはしない。

 それなら、胸のざわめきは消滅してもいいはずだ。近衛隊隊長の言うとおり、まだ見ぬ人だからそのようになっていたのなら。


 まだ、初対面だからだろうか。

 でも、それにしては。


「アルバート様」


 彼女が、共通の話題として、義妹だから和ませるために出しているアルバートの名前を口にするたび、胸がざわめく。

 彼女が名を呼ぶことが、胸をざわつかせる。


 収まるどころか、酷くなる。悪化する。

 どうして。

 初対面でも、状態がただ続くなら未だしも、酷くなるのはおかしい。理由が違ったのだろうか。まだ見ぬ人だからではなかった。

 だとすれば、理由は。こうなっている理由が、また分からなくなる。


 この感覚は何なのだろう。初めての感覚だ。

 かつて、「嬉しい」という感覚、「嫌」だという感覚を理解する前のように。

 兄ならば、教えてくれただろうか。兄ならば、この感覚が何か。

 アルバートは。


「アルバート様が兄という姿は思い浮かばないので、彼は普段どういう兄なのか聞きたいですわ」

「『兄』は、優しいです」

「優しいのですね」

「はい……剣の稽古のときは厳しいですが、優しい『兄』です」


 ニーナは騎士団に入っているのですものね、と、アルバート様に教わっているのですね、と相づちを打った。


「昔──もう幼い頃の話ですけれど、アルバート様や兄が剣を振っているところを見ていました」

「ニーナ様は」

「ああ、どうか『様』は。……それとも」


 ニーナの方は、と、どうにか自分からも話を広げようとしていたら、やんわりと止められた。

 そして、彼女は、呼び名について少し言葉を区切ったかと思えば、言う。


義姉あね、と呼ばれるのは少し早いかしらね」


 悪戯っぽく、これまでと異なる顔と口調が覗いたが、シルビアは気がつかない。

 胸が、ざわざわ、ざわりと、新たにざわめいた。

 義姉、という単語が、別の方向から何かを知らしめたようで。


「──ニーナ様」

「何でしょう?」

「あなたは、とても『良い人』です。今日初めてお会いした私にも、分かります」

「まあ、ありがとうございます」


 ニーナはお淑やかに微笑む。


「アルバートさんと、ニーナ様が結婚されるのはお似合いだと思います。私は、昨日までまだ見ぬ人であったニーナ様と会って、話し、不安はありません」


 あなたという人に抱く不安はないのだ。

 口に出すとわかる。分かっていく。

 このニーナという人が、アルバートの隣にいるときっとお似合いだ。お似合いの二人だ。

 シルビアが思うのもおこがましいくらい、似合っている。

 そう思う反面。思っているのに、矛盾が生じる。


 どうしよう。こんなことを、アルバートと結婚するこの人に言うべきではない。

 だけれど、シルビアは苦しくて仕方ない。アルバートには言えそうになくて、養母や養父にも言うのを躊躇いそうな感覚がある。

 胸で渦巻く感覚が苦しくて、シルビアは出口を求めている。


「それなのに、なぜか、私は、あなたが、アルバートさんの名前を口にすると、とても苦しくなります」


 なぜ。

 分からない。

 こんなに、今すぐにでも誰かに教えてほしいと思う感覚はなかった。

 シルビアは流れるままに、その時々ゆっくりと生きてきたから。


 しかし、言ってしまってから、しまったと思った。言うべきことではなかったからだ。

 相手が気分を害してもおかしくない。

 案の定、ニーナは意表を突かれた表情をして、シルビアを凝視して、


「貴女──」


 シルビアは謝るべきだと思った。

 胸の苦しみは押し込めて、一早く謝るべきだと。

 けれど、ニーナがビクリと震え、即座に全く別の方を見た。


「閣下、お招きいただきありがとうございます」

「固い固い。お前は、こういう場でくらいはもう少し砕けていけ」

「は」


 シルビアがニーナの視線を追った方には、養父がいた。

 まだニーナの両親と共にいる養父は、別の招待客に声をかけていたようだった。


「よく来てくれたな。ゆっくりしていけよ、ヒューバート」


 シルビアには見覚えのない人だったけれど、


「……え」


 ニーナは、その人の方を見ていた。







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