晴れ姿は目に焼き付けて
初日は午前中で終わった。
内容は、騎士団の仕事、第五騎士隊についての説明、部屋の備品の説明、騎士団施設の案内だった。
元々知っていたことと、今日で分かったこととして、第五騎士隊は比較的人数が少な目の隊であること。レイラ含め、第五騎士隊には神剣の使い手が所属していることを認識した。
神剣の使い手が所属していることは、この隊の特徴であり、他より比較的人数が少ない理由にもなる。
午後になると、今日の業務時刻は終了となった。いつもは夕方と夜くらいまでの仕事時間であり、今日は遠征から帰ってきたばかりだから特別なのだ。
「予定では明日の帰還だと聞いていたので、今朝驚きました」
帰り道、アルバートと歩く。彼は最初の紹介以降、隣の部屋に籠っていたり一度部屋を出たりしていた。ゆえに、話すのは朝以来。
さらに数日前から仕事で首都から出ていたのだ。ゆっくり話すこと自体数日振りになる。
「お前が入隊するのに、肝心の隊がいないんじゃ何だと思ってな。間に合わせようと思えば間に合わせられるものだな。まあその強行軍もあって今日は休んでもいいことにしたんだが」
「それは──帰ったら、ゆっくり休んでください」
「そうする。それより、やっていけそうか」
シルビアはちょっと考える。
「まだよく分かりません」
「それもそうか。まだ初日だ」
「でも、やっていきます」
アルバートが「そうだな」と言った。
「お前が言ってから、そのために鍛えてきた」
「はい。頑張ります」
ここはシルビアのスタートだ。自分で選んだ出発点。自分の望みを自分で掴み取れるようにするための。
「あ」
「ん?」
「アルバートさんと同じ服を着て、同じ仕事場にいるのが不思議で、アルバートさんが仕事をしている姿を見られるのが初めてで、新鮮です」
彼がその服を身につけている姿は、邸で幾度となく見てきたから知っていた。
けれど、自分も同じ服を着て、彼が仕事をしている姿を見ることが不思議な感じがした。
見上げ、言うと、アルバートが笑む。
「そうだな」
と。
そして、シルビアの頭を軽く撫でた。
「ああ、そうだ。マントの裾を上げないとな。今日また転ばなかったか」
「転びませんでした」
「そうか。あと、剣を背中に背負えるようにしてやるから」
帰って着替える前に、とアルバートが言ったときだった。邸の周りを囲む柵の角を曲がり、邸の正面の前を通る道に出た。
門の前に止まる馬車があった。
見たところ、門が開けられるのを待っているのだろう。
馬車には公爵家の紋章がついていた。ジルベルスタイン家の紋章だ。
「母上だな」
まさにアルバートが呟くと同時。
馬車の窓から覗いた顔があった。彼女はアルバートとシルビアの姿を認め、嬉々として手を振った。
シルビアは身に付いたもので、手を振り返す。一方、隣にいるアルバートは振り返す素振りは欠片もない。
馬車が先に門の中に入り、シルビアがアルバートと後から入ると、邸の前で彼女は待っていた。
結い上げられた金色の髪は艶やかに、青い瞳は輝く。すらりと高めの身長がドレスを着こなす姿の放つ華やかな空気は圧巻だ。
フローディア・ジルベルスタイン。アルバートの母親で、ジルベルスタイン公爵夫人。
ジルベルスタイン家の養女のシルビアからは、養母に当たる人になる。
「まあまあまあ」
玄関扉の前で待ち構えていた養母は、実の息子より養女に目を留めて、高い声を上げた。
帰りましたと挨拶をしようとしていたシルビアは、視線を受けて、立ち止まるに留まった。
「母上、そんなところにいずにせめて中に入っ──」
「シルビア、何て凛々しいのかしら……!」
アルバートの言葉は、感極まったような声に遮られた。
ちらっと遮られたアルバートを見てみると、彼は黙って口を閉じた。止めるのはすぐに諦めたようだ。
一方、目を前方に戻すと、養母が手で口元を覆っている。
「今朝は全部身につけた後はすぐに出掛けてしまったから、見られなかったけれど……」
「あ。すみません」
「シルビア、お前が謝る理由がないだろう」
横から、アルバートが何に謝罪するのかと口を開いたかと思うと、それだけで閉じた。
「よく似合っているわ、シルビア」
「ありがとうございます、お母様」
素直に嬉しくて、シルビアは微笑んだ。
「ルーカスには見せた?」
「お父様にはお会いしなかったので、まだです」
彼は仕事終わりの時間はいつも通りだろう。養母のこの反応では、それまで、身につけておくべきなのだろうかと考えはじめる。
「待たなくていい。どうせこれから毎日着て、城で父上に会うこともあるかもしれないんだ」
時々、アルバートも心を読めるのではないかと思うときがある。こちらが思っていることへの答えを絶妙にもたらすのだ。
「まあ、アルバート、あの人は見られないと残念がるはずよ」
「だから今日じゃなくとも明日から見られる。と言うか今朝はちらりとも見られなかったのか」
「今朝は朝議の前にする仕事があるからって早めに出たのよ。それに、自分だけ見られないときっと、もっと残念がるわ」
「子供か」
シルビアは、彼の服を引っ張り注意を引く。アルバートがシルビアを見下ろす。
「私が着替えずにいればいいことなので、大丈夫です」
「止めておけ。午後からそのままで過ごすとなると、画家でも呼び始めるぞ」
「画家?」
「俺のときがそうだった。画家はものの例えだが、とにかくあまり言うままにしておくと──」
「いいわね、画家!」
本日二度目。アルバートの言葉は、またしても実の母親によって遮られた。
養母は両手をぱちんと合わせ、いい案が浮かんだように、満面の笑顔になる。
「この凛々しくも可愛らしい姿は絵に残す他──」
「母上」
養母の言葉を遮ったのは、アルバートだった。
珍しいことだ。普段は遮られても、慣れたことと遮り返すなんていうことはしない。
しかし今、母親の言を途中で遮った彼はあくまで真面目な顔で「ものの例えだって言っただろう」と言う。
「ただでさえシルビアは初日の慣れない場所に行ったんだ。休ませられるなら、休ませるべきだ」
例えに出した自分も悪かったが、という息子の言葉に、母親は。
「そうね」
はしゃいだ雰囲気を収め、頷いた。
「この機会に私が絵を習ってシルビアを描くのはありだけれど、とりあえず今は絵にするより目に焼き付けておきましょうか」
「俺のときもぜひそうしてもらいたかったな」
彼らの会話をじっと聞いていたシルビアは、この流れで一つ思ったことがあり、そのまま聞いてみる。
「絵が、あるのですか?」
アルバートと養母が、シルビアを見る。
「アルバートさんの絵?があるということなのでしょうか」
自分のときがそうだったと言い、自分のときもそうしてもらいたかったと言ったアルバート。
つまり、今の流れと異なり、アルバートは画家を呼ばれ、絵に残された事実があるということでは。
純粋に、読み取ったことを確認する感覚で尋ねると、途端にアルバートが苦い顔をした。聞いてはいけないところだっただろうか。
「あるわよ」
答えたのは、養母だった。
にこにこと微笑む彼女は、考え込む所作をする。
「そうね、直近のことで言えば……と言ってもここ何年かは全くなのだけれど、それこそ騎士団に入るときだったり、学院の制服姿も描いてもらったりしたのよ。でも、飾らせてはくれないのよね」
「当たり前だ。玄関に飾ろうとされて、どうして来る人間来る人間に見せられなければならないんだ」
「どうせなら見てもらいたいじゃない」
「未来永劫、物置の肥やしにすればいい」
どうやら、アルバートは絵が嫌いらしい。
新たな事実を発見したシルビアだったが、ぽろりと口から単語が零れ落ちる。
「学院」
すると再び、シルビアより背の高い二人が反応して、シルビアを見下ろす。
「学院のときの肖像画、見てみたい?」
見てみたいと聞かれると、見てみたい気がする。
それは、シルビアが知らない頃のアルバートの姿であり、学院というシルビアの知らない場所を感じさせてくれそうだと思ったからか。
シルビアは、首を横に振った。横に。そして「いいえ」と言った。
「そう? アルバートのことを気にしているのなら、この子がいない間にこっそりと言ってちょうだい。こっそり見せてあげるから」
「鍵は俺が管理することにするか」
アルバートが断固として見られたくない様子で、今度こそそちらに意識が向く。
「アルバートさんは、絵が嫌いなのですか?」
「好きじゃない」
別にこれと言って具体的な理由があるわけではないが、好きではないそうだ。自分の容姿が嫌いということは、彼の性格からしてないだろうし。
「それはそうと、そろそろ中に入らないか」
「あら、そういえば外だったわね。お帰りなさい、二人共」
タイミングとしては今さらかもしれない言葉を、彼女はとても麗しく口にした。
開かれた扉を通り中に入ると、養母は自分が帰って来てちょうどだったという話をきっかけに、どうして外出していたのかを話し始めた。
「もうそろそろ社交の時期でしょう? 邸にお招きする人も増えるから、お茶やお菓子をと思ったのよ。普段は来ていただくのだけれど、たまにはこちらから行くのもお出かけついでにいいわねと思って、お出かけしてきたのよ。茶器も増やそうかしらと思って、今度──」
「シルビア、マントを脱げ」
「はい」
養母が話している傍ら、アルバートに言われ、シルビアはマントを脱ぐ。
それを受け取ったアルバートが近くにいた使用人を呼び寄せる。
「少し裾を上げておいてくれ」
「かしこまりました」
アルバートが自分の母親の話をまったく聞いていない横で、シルビアは、養母の話にじっと耳を傾けていた。彼女の話は廊下を歩いている間では終わらず、団らん室でお茶をしながら聞くことになった。
結局、いつの間にか逸れていた、制服を着替えるか着替えないか問題は、逸れてしまったがゆえにうっかり着替えてしまった。
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