そして時は経つ





 周りの環境が変わり、新しい日常になるときは何回でも慣れない。

 あの日、雨の中、初めて馬に乗り外に出たとき。知らない土地、知らない邸に来て、知らない人たちばかりの場所で暮らすことになったとき。

 また一度、新しい日常がやって来る。

 今度は、自分で決めた日常だ。



 朝、起きると、薄暗い室内が目に入る。

 窓にはカーテンがきっちりと引かれており、布の向こうに淡い陽光が見てとれる。

 寝台に横になっている少女が身を起こすと、黒い髪が艶やかに動く。朝は得意ではない。眠気が残る体を意思で動かし、カーテンを退けないまま、朝の支度を始める。

 ちらりと時計を見ると、まあまあ時間に余裕はある。時間が迫っていれば、誰かが起こしにきただろう。


 寝巻きを脱ぎ、真新しい白いシャツ、黒いズボン、黒いベストを身につけていく。

 鏡の前に行き、髪を解く。ゆっくり、ゆっくり、黒い髪をまんべんなくくしけずる。

 解かし終えると一つにまとめ、仕上げに鏡に映る顔と顔を合わせ、一度目を閉じ、開く。


「よし」


 一度部屋には戻ってくるため、朝食を食べに部屋を出た。

 食堂に向かうと、会った使用人が「おはようございます」と朝の挨拶を口にし、続けて「本日からでしたね」と、微笑む。

 テーブルの上に朝食が並べられ、淹れたての紅茶が香りよくカップに注がれる。


「アルバート様が早朝に地方からお帰りになったと連絡がございました」

「そうなのですね」


 どうやら、数日前から仕事で王都を出ていた『兄』は戻ってきているようだ。魔物退治だと聞いていた。間に合うかどうか分からないとされていたのだが……。

 わずかに、ほっとする。


 少しすると、食堂に『母』が現れた。

 共に朝食を食べる。テーブルは、客人が来たときのように長すぎるものではなく、家庭の人数に合わせたほどよい長さのテーブルだ。こだわりであるらしい。


 朝食を終えると、部屋に戻る。紋章の縫い付けられた上着を身につけ、マントを羽織り、フードを被る。

 最後に手袋をして、極限にまで肌を晒さないような服装を鏡で確認し、また部屋を出た。


「行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」


 ──シルビア・ジルベルスタイン

 ジルベルスタイン公爵家の養女であるシルビアは、今日から騎士団の一員として働きはじめるため、家を出た。



 *



 シルビアが出た邸は、国の中で最も栄えた土地、首都にある大きな邸だった。邸と土地を所有する家名を「ジルベルスタイン公爵家」、高位貴族である。

 国中、もしくは国外からの人間が最も集まる国の中心部とはいえ、邸自体は閑静な区域にあった。

 少し道をいけば賑やかな通りがあり、食材、消耗品など、どんなものでも手に入る。

 そして、シルビアが向かう先には、青い空によく映える城がある。首都を象徴し、国をも象徴する建物──王が住まう場所である。


 場所柄、大きな門には怪しい者を見逃すまいとする睨みを効かせた門番がいる。しかし、シルビアの身につけている服であれば、門は難なく通ることができる。

 他に入る人々に混ざって門の中に入ったシルビアは、無闇に中には入らずに、きょろきょろと辺りを見回す。

 話では、門に入ったところで……。

 それらしき素振りのある人が見つからず、シルビアは少々困り果てる。今からどこに向かえばいいのか、全く分からないのだ。

 もう少し待ってみようか。と、シルビアが周りに視線を向けつつ待つことしばらく。


「あなたが『シルビア』?」


 横の方から、呼ぶ声があった。

 聞き間違えなく、声の方を見ると、城の方にそれらしき人が。シルビアが振り向いたとみて、手を振りながら、駆け寄ってくる。

 女性だった。

 シルビアと同じ制服を身につけ、しかしマントは着ていない。つまり顔は露で、横の方で一つにまとめた髪は明るい茶、瞳は黄緑。明るい表情と雰囲気で、活発そうな第一印象だった。

 背丈は、彼女の方が高い。少し見上げる。


「こんにちは。いや、まだおはようか。まあいいや、私はレイラ。第五騎士隊所属で、これからあなたの先輩になるのかな」


 手が差し出されたため、シルビアは手を取りながら、一応名乗り返す。


「シルビアです」


 とうに呼んで名前は知っていただろうレイラは、「うん」と頷いて手を握った。


「隊長にあなたを案内するようにって言われていたのに、ちょっと遅れちゃった。ごめんね」

「いえ、ありがとうございます」


 出来ることなら手を煩わせることがなければいいのだが、何分、初めての場所だ。案内無しではどこに行けばいいのか迷うだろう。何しろ城は、巨大で、広いのだ。

 そのため、前もって案内人を使わすからという話で、レイラがその案内してくれる人だということだった。


「実はすぐに見つけられるか心配していたのよね。フードを被っているからすぐに分かるだろうって言われたけど……」


 握手を解いた手で、フードをひょいと避けられた。

 急に視界が陰なしになり、大きく瞬く。


「な、何か?」

「フード、こんなに大きかったら邪魔にならない? 視界を塞いだ、り……」


 黄緑色の瞳と、目が合った。

 彼女の方が背が高いため、覗き込んでくる目は、フードの陰をまともに見たきり瞬きをしない。

 動きもそれ以上は止まり、石にでもなったか、時間が止まってしまったようだった。


「レイラさん?」

「──あぁ」


 急に動かなくなって声をかけると、レイラは突然動きだした。

 瞬きをして、動きは戻ったが、彼女はシルビアをまじまじと見る。

 そして、シルビアが困っていると、「ごめんなさいね」といそいそとフードを戻した。


「あのアルバートの妹だものね。アルバートだって、目付きの悪さを抜きにすると顔がいいみたいだし、まずお母様がお綺麗だもの。……あまりにも美少女でびっくりしちゃったわ」


 何かについて「うん」と一人頷き、レイラは納得している。

 一方、シルビアは彼女を見上げ、話しかける。


「レイラさん、時間は大丈夫でしょうか」

「時間? ──あ」


 その「あ」が全てを語っていた。

 ここから見られる時計はあるだろうか。







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