2.(わたし) LINEが使えない! / 仲直り

 ハネムーンという言葉がある。結婚したふたりは、はちみつハニーのように甘く、幸せな月日を送るということだ。でも、この言葉には恐ろしい、かくされた意味があった。それは、ハネムーンが過ぎたら、はちみつのように甘くはなくなる、ということだ。

 わたしとMADOSMAのハネムーンは、突然とつぜん終わった。

 このスマホは、LINEラインが使えないのだ。

 小学校で、友達の美優みゆちゃんとIDアイディーの交換をしようとして気が付いたのだ。そもそもわたしのスマホには『LINEアプリ』が入っていないということに。わたしの驚きは、いかばかりか。皆さん想像してください。

 美優ちゃんもあかりちゃんも、心底しんそこあきれていた。

 「のぞみっちぃー。そのスマホ、買った時から壊れてたんやない? お店に持ってかな、あかんよ!」

 「望美ちゃん、災難さいなんやね……悪いお店やったら怖いから、お父さんといっしょがいいよ?」

 勇也ゆうやくんは、えらそうにわたしをしかり始めた。

 「お前なあ……ゲーム機でも、LINEは、できるんやで?」

 なんでわたしが勇也に叱られなきゃいけないの!?

 わたしは冷静さをかき集め、ひとりで校庭の藤棚ふじだなのかげに行って、清治おじさんにこっそり電話した。

 「あのね、前にもらったスマホ、LINEができないんだけど」

 「ああ。最初からできないようになってる。別にこわれてないよ」

 わたしは、文句を言いたい気持ちをぐっとこらえた。

 「どうやったら、できるようになるの?」

 「LINEの運営会社うんえいがいしゃが、『Windows10ウィンドウズテン Mobileモバイル』に対応すれば、できるようになる。まあ、当分はのぞうすだね」

 「どうして?」

 「Windowsスマホの売れ行きが良くないからだよ。使う人が少ないスマホのために、手間ひまやお金をかけることを、LINEの会社はためらっているんだろう」

 わたしの胸に、怒りの炎が点った。

 「知ってたんだ……」

 「まあ、最初にだまっていたのは、ちょっと悪かったかな。でも、おじさんは、LINEというアプリを、そもそもあんまり好きではないんだ」

 怒りの炎が、大きくなってきた。

 「望美のような小さい子が、電話番号や自分の名前を、広く公開してしまうことを、おじさんは良いことだと思っていない。それは、危険なことかもしれないんだ」

 「――美優ちゃんもあかりちゃんも、LINE使ってるよ? ふたりとも、危ない目になんか、会ってないよ?」

 わたしの声は、のどがからんだように低くなった。おじちゃん、早く気付いて……!

 「運試うんだめしに昨日きのうも勝ち、今日も勝ったからって、明日も勝てるとは限らないんだよ?」

 おじさんの声が、歌うようになった。清治おじさんの声の色がこうなったら、ひとりで話し続け、わたしの話を聞いてくれなくなる。わたしはそのことを、経験から知っていた。

 怒りの炎は、めらめらと燃え上がった。わたしは深呼吸しんこきゅうし、両足で地面を強く踏んづけた。

 「いいかい? 美優ちゃんやあかりちゃんとは、メールでやり取りしなさい。ちゃんと説明すれば、ふたりとも分かってくれ……」

 「おじちゃんの、バカァーッ!」

 わたしは火山の爆発のような大声で叫び、電話を切った。周りの子が、驚いた顔でこっちを見たけど、気にしない。わたしは足早あしばやに、藤棚を去った。


 わたしは、自分で自分と約束して、それを守っている。名付けて『望美ルール』。

 望美ルールその1は、「往復おうふくで終わり」だ。清治おじさんはわたしの話を聞いてくれなかった。『往』だ。わたしは大声で怒鳴った。『復』だ。これでおしまい。めでたしめでたし。どっとはらい。

 こんなことを決めたのには、理由がある。わたしはある日、自分ってねちねちした性格だなあって、気が付いたんだ。そんなのはいやだから、このルールを決めて、守ることにしたんだ。

 その週末に、清治おじさんはわたしを三宮さんのみやさそい、ハーゲンダッツのアイスクリームを3個も食べさせてくれた。わたしはウィンドーショッピングに、おじさんを2時間も連れ回した。わたしが何を欲しいと思っているか、おじさんにはよく、分かってもらえたこととと思う。

 その後ふたりで、『六甲ろっこうハーブえん』に行った。六甲山の山腹さんぷくを切り開いて、ハーブの花壇かだんを楽しみながら、ゆるやかな上り坂をお散歩できるように造られている。足の弱い人のために、ロープウェイもある。上から降りて来られる仕組みだ。

 おとずれたお客さんは、ハーブの葉っぱをそっとつまむことが許されている。そうすると、ハーブのさわやかな香りが指先に付くから、その指を鼻先に持っていけばいい。ラベンダー、ミント、カモミール、ローズマリー、レモングラス……。

 「おじちゃん、大声出したりして、ごめんね」

 「いや、おじさんこそ、思い浮かんだことをぺらぺらしゃべり過ぎるんだよ。良くないくせだと思う。ごめんね。

 望美、新しいスマホ、買ってあげようか?」

 わたしは、少し考えた。

 「わたしがおじちゃんにMADOSMAを返したら、MADOSMAはどうなるの?」

 「中古屋に売るだろうな。人気機種ではないから、安く買い叩かれるだろう。いっそ売らないで、押し入れにしまっておいたほうがましかも……」

 その時、わたしは、そんなのは嫌だと思った。

 「わたし、MADOSMA使うよ」

 「いいのかい?」

 「これも何かのえんだよ、きっと。美優ちゃんたちとは、メール使って連絡れんらくするから」

 わたしたちは、山頂さんちょうまで登り切った。そこには小さなレストランがあった。おじさんはハーブステーキをごちそうしてくれた。しっかり歩いた後なので、わたしはおなか一杯食べることができた。

 こうして、清治おじさんとわたしは、仲直りしたのだった。


 それから2年ほどの歳月さいげつが流れた。

 LINEの運営会社は、Windows10 Mobileに対応した。わたしは、MADOSMAでLINEを使えるようになった。清治おじさんは、あることでITアイティー技術の会社をクビになり、次の仕事を探すことをあきらめてしまった。

 そしてわたしは、小学五年生の夏をむかえようとしていた。

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