おい雄太、元気か。
折内光哉
第1話 勝正①
人は簡単には死なない、僕はそう信じていた。
歳を重ねれば違ってくるけど、人間は簡単に、少なくとも安っぽいパニック映画やホラー映画みたいにあっさりと死ぬものじゃない。そう、思っていたんだ。
陽が顔を出したばかりの寒さが痛む朝、何度かアラームを繰り返したスマホに起こされる。
寒さにたまらず顔をしかめながら台所へ向かい、社会人になって以降すっかり日課として飲んでいるコーヒーを淹れる為、ケトルで湯を沸かす。
ドリップ作業に入り、半分ほど淹れ終わった辺りでスマートフォンから馴染の音。
ラインだ、すっかり電話やメールの代替品となったラインの着信音。だれだろうか、まだ七時にもなっていない、友達ではないだろう。
なら、職場かな。
少しの溜め息を吐いてドリップ作業を止め、ベッドに置いていたスマホを手に取り相手を確認する。
相手はお母さんだった。今の職場に不満があるワケでは無いのだけれど、ホッと胸を撫で下ろす。
そもそも職場の人からなら携帯会社の電話サービスを使うことに気付き、まだ目が覚めていないことを自覚し今日のコーヒーはブラックにしようと決めた。
さて、一体何の電話だろうか。
僕は高校を出てすぐ就職した。一人暮らしで介護職に務めている。地元から出勤するには少しばかり無理がある場所なので、弟とお母さんを残してきたのだ。
そう言えば弟、雄太の誕生日が近い、帰って来れるかどうかの電話とかかな。
画面をタッチして、もしもしと言う。
僕はてっきり、いつものお母さんの気の抜けたおはようが聞こえると思っていた。でも違った。
「……ゆうちゃんがね、ゆうちゃんが」
そこまで言って、お母さんは口を止める。
何かを堪えているような、唇を噛みしめているのが電話越しからでもわかる。
普段とは明らかに違う母の様子で、僕は察した。雄太に何かあったんだ。
「お母さん? 雄太がどうかしたの? 大丈夫?」
お母さんの返事を待つ。
だけど何の説明も返ってこない。代わりに聞こえてくるのは「ううん」と唸り絞めるような泣き声だった。
「お母さん落ち着いて、何があったの? 大丈夫、すぐそっち行くから」
もちろんこの時代、内容によっては仕事を優先しなければならないのだけれども、今はお母さんを落ち着かせる為だ、少しの嘘はしょうがない。
少しずつ泣き声を弱めていくお母さん。十分くらい経っただろうか、コーヒーの匂いが部屋の空気と一体化したあたりで、お母さんはゆっくりと言う。
「ゆ、ゆうちゃんがね……お、起きない、のぉ……」
言って、母はまた電話越しで泣き始めた。
携帯からは、嗚咽に近い母の声と、携帯に身をすり合わせているようなノイズが聞こえていた。
「わかった! すぐ行くから! 大丈夫だから!」
携帯を切るべきか迷ったけど、両手が空いていた方がすぐにお母さんと雄太の所に行ける。
「一回切るよ! 一時間くらいで着くから!」
お母さんからの返事は返ってこなかった。返事をする余裕も無いんだろう、最後にもう一度すぐに向かうと言って電話を切る。
時計を見る、今実家に帰ったら仕事にはまず間に合わないな。遅刻の連絡は車の中でしよう。そう考えながら服を着替えて、ドリップ途中の生ぬるいコーヒーを一気飲みする。苦い。
スニーカーの踵を踏んだまま外に出て、車を発車させる。
一つ目の信号で上司に電話をかけ、家族関係で遅れると伝えた。僕の素行が悪ければ怒られたのだろうけど、仕事は真面目にしている。それが功を奏して、また電話しろと言われるだけで済んだ。
なるべくスピード上げて運転する。一時間と言ったけど、時間帯的には丁度通勤ラッシュ。実家の都城あたりはかなり込み合っているハズ、そうなると一時間は厳しい。
車を走らせて五十分弱、次第に住宅が増え始め、都城と書かれた標識が目に入る。
住宅と一緒に増えて来たのは殆どが通勤だと思われる車だ。
そして、あっという間に満足にアクセルを踏めない交通量となった。ここからが長い、近道は学生の通学で通行止めになっているし、待つしかなさそうだ。
喉が渇き、昨日の仕事帰りに買ったまま放置されていたお茶のボトルを開けて、飲む。
ふぅ。
何も考えず来たけども、一体雄太に何が起きたと言うのだろうか。
動かない? 痙攣? 足が攣った? いやいや、足が攣っただけで電話してくるハズが無いし、泣くわけもない。
だとしたら痙攣、何かしらで体が硬直?
わからない。お母さんが取り乱している以上、詳しくを聞くのは難しいだろうし。
考えている途中、一番最悪な考えが頭を過ぎったけど、すぐに振り払う。
有り得ない、雄太は体が丈夫ってワケじゃないけど、何日か前にも喋ったしファミレスにも連れて行った。
冬休みに入ってすぐだからお腹でも壊したんだろう、食いしん坊だし。それがちょっと重かっただけ。
お母さんもお母さんだ、それくらいで取り乱す必要なんて無いのに、とにかく――
大きくて長めのクラクションの音、しまった。急いでアクセルを踏み、前の車に近づく。
とにかく、行けばわかるさ。
なんだか妙に空気が悪くなったような気がして、車の窓を開け実家へと急ぐ。
車の中に舞い込んできた風は、とても冷たかった。
冷え切っていた。
その冷たさは、今日僕が初めて握る事になる手と、同じ冷たさだった。
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