第2話Photograph

あれから2カ月ほど歳月が過ぎた。


「織部君。顔色悪いけれど大丈夫かな?」


そう担任が言うと、雪乃は言った。


「彼、いつもこんな感じなんで平気っスよ。中学の時は明るかったんですけどね。」


ああ。俺の中学時代は、自分で言うのも難だが、明るく、人気者であった。常に体調も良く、無遅刻無欠席であった。病魔に侵されていた小学時代からの反動か、時間の価値は、人一倍尊厳していた。


「この明るいクラスにいれば、必然的に性格も変わるだろうけどね。」


私は、いつも通り着席をし、一校時目が始まる。


「今日は、課外授業だ。」


懐かしい。軽快な線路の音が聞こえる。トンネルを抜けると、夏が広がっていた。雪乃は、車窓に頬をつける。彼女の息で少し車窓が曇る。頬を離し、曇った車窓を手でこする。彼女は遠い水平線を見つめいた。彼女の潤んだ瞳には、午前10時の孤独な浜辺とは別の世界が映っていた。


 七里ガ浜駅に到着する。彼女は私の手を取った。彼女の手は柔らかく、優しい。私のくすんだ心を抱擁するような、温かい手。しかしその根底には、強さもあった。私は彼女の弱さをまだ知らない。このまま彼女に一方的に支えられるのか、という不安感を抱えながら、彼女と共に歩いた。浜辺沿いの歩道を歩く。潮騒、磯の香りと明るい空の下、炎天下の中で、熱い雪乃の手を握っている。少し手が湿っていた。今まで無言で歩いてきた中、雪乃は放った。


「覚えてるかな。16年くらい前の夏、君は私をここに連れて行ってくれた。本当は内気な君が、私を常夏に連れてきた。嬉しかったよ。でもまだ物足りなかった。」


16年前の夏?まだ生まれてもいない話だ。物語の話か。私は話を合わせ、何の物語かを聞いた。


「そうね。傍から見たら幻想物語かもしれない。悲劇のヒロインに優しい王子様が手を差し伸べる。でもね。その王子さまは真の優しさを持ってる。同じ弱さ、苦痛を知ってるから。」


その後の話を聞いた。


「悲劇のヒロインは、恩返しに行くのよ。その先はまだわからない。」]


その瞬間、彼女の弱さが垣間見えた。底知れぬ不安感、苦痛、喪失感。しかしその感覚は、自身の身にも、憶えているものがあった。潮騒と彼女の拍動がシンクロする。浜辺の思い出と彼女の生命が重なるように。


「楽しい思い出、作ろうね。」


浜辺への階段を下る。生徒達は、心の芯から発散するように、はしゃぎ叫んだ。孤独だった浜辺に、「ただいま」と帰るような、そんな暖かい居心地と安心感があった。雪乃は女子とともに水遊びをする。普通の女子高生であった。そんな享楽に浸る彼らの世界に、私は一人疎外感を感じる。


「徹!」


私を呼ぶ声があった。生駒の声であった。彼は同級生には「コマ」と呼ばれているらしい。しかし、自分も仇名で呼ぶのは馴れ馴れしい気がする。私は彼の名前を呼ぶことはなく、ただ、「ありがとう」と思いながら、彼らと遊んだ。彼らの純粋でしかし、芯に秘めているものは、主体的で強いものだった。

気が付くと、夕日が私の目を刺して、時間の通過を感じさせる。雪乃は私の手を取った。


「”さようなら”って言わないとね。いや、”いってきます”だね。32回目の夏は、まだ始まったばかりですもの。」

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