32回目の夏

鍵雨

第1話What a Friend We Have in Jesus

少女は言った。


「私が見ている君と、君が見ている君は、絶対に違うものなんだよ。それと同時に、私が見ている私と、君が見ている私も絶対に違うものなんだ。客観的な人間など存在しない。」


さっぱりわからなかった。哲学?無知の知か?なぜ藪から棒に放ったのか。しかし、それらの言葉は、適当に言ったようなものではなく、自身の経験や考えが、秘められていたものだった。


「どういうことだ?」


「私が見ている世界と、君が見ている世界は違うということだよ。認識という概念は、人間が認識する能力があるから。認識が違えば、当然、人との接し方も変わる。クラスの根暗な秋元君だって、裏では人気者のyoutuberかもしれない。君だって、実は世界を救う救世主だったとしたら、誰もが君を尊敬するだろう。そういうことだよ。」


彼女の潤んだ目からは、訴えかけるものがあった。それは、私の人生や彼女の人生に対する、重要な事柄に見える。


何時の会話だったかは、覚えていない。しかし、大事な話だった気がする。


 海冬高校入学式の日が訪れる。この高校は県内トップの進学校で、身内にも私は期待されていた。その所為か、とても体調が悪い。周囲の生徒も同様に、足取りが澱んでいる。薄暗い最悪の空気感の中、果たして明るい青春を謳歌できるのだろうか、という不安感も同時にあった。そんな中、太陽のように明るく、一際目を引いている人物がいた。私の幼馴染、雪乃であった。彼女は、笑って私を導くように放った。


「転校しようか。」


何を言っているのか、彼女は。まだ入学式すら始まっていないのに。彼女は、何を思い、何を考え私に言ったのか。しかしながら、彼女の常に内に秘めている何かが、珍しく表に出ていた。その表情には、何かを悟ったような達観した強さがあった。


「こんな暗いとこじゃ、青春は送れない。高校生活はたった3年。いこっ!」


彼女は私の手を取り、走った。体調の悪い私には、抵抗の余地が無かった。周囲の視線が気になる。彼女の温かく、柔らかい手が私の手全体を包んだ。優しい手だった。


「もう転校するクラスは決まってる。1-C組、みんなとても明るい。クラスのムードメーカー、芦田君、スポーツ少年遠野君、クラスのマドンナ綾瀬さん、君みたいな性格の子もいる。生駒くんとか。」


彼女の話は続いていった。どこで知り合ったのだろうか。まだ入学式も始まっていないのに。私と彼女はずっと一緒にいるが、まだ謎は多いままである。きっと、明るい彼女には、見えている世界も広いのだろう。


 校舎が見えてきた。月の山高校というらしい。校門をくぐり抜けると、高い水の束が飛んでくる。生駒と遠野といったか、彼らはとても明るく笑っていた。ずぶ濡れになった私に彼らは近づく。生駒は、にやついて言った。その笑顔は、美少女のようで、とてもかわいかった。


「ごめんね。徹、いや織部くんだっけ。ごめんねっ。ごめんねっ。ありがとう。」


何故か礼を言われる。彼女と同様におかしい奴らなのだろう。しかし、どこか、懐かしい。私は彼女からタオルを受け取り、そして、教室へ向かった。教室では、明るく談笑している生徒達がいた。その声は、ジェットマシンのように大きく、太陽のように眩しく、キリストのように優しかった。


「あっ、徹!来たか!」


芦田の声であった。その人当たりの良さと、明るい印象は、どこか違和感を憶えた。


「おかえり。」


その言葉に違和感を憶えた。一度も来ていないというのに。

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