第16話「傷物の、赤」

 ネルトリンゲンの古い町並みは、平成太郎タイラセイタロウを中世の浪漫ロマンへと誘う。

 だが、城壁で防ぎきれなかった砲弾が、何発か着弾したのだろう……あちこちで石造りの建物が崩れ、人々は不安げに復旧作業に追われていた。

 そんな中を、成太郎は早足で歩く。


「じっとしてられんたちらしいな、まったく……」


 ヨハン少佐は、臨時司令部になっているホテルのスィートルームを提供してくれた。

 防衛省特務B分室ぼうえいしょうとくむビーぶんしつブルームB-ROOMの仮の宿舎である。

 部屋が足りないらしく、成太郎も四人の少女達とここで休むことになってしまった。そして、意外にもうら若き乙女達は拒絶反応を示さなかった。

 戦争という非日常が、徐々に日常を侵食し始めている。


「さて、エルはどこだ? まあ、待機してろとは言わなかったからな」


 成太郎が各部署を回ってからスィートルームに到着すると、頼れる仲間達が出迎えてくれた。気が休まるのか、朱谷灯アケヤトモリは持参した竹刀しないで素振りをしていた。緋山霧沙ヒヤマキリサはキッチンで夕食の準備中、そしてクレナイすおみは入浴中。

 そこに咲駆サキガケエルの姿はなかった。

 三人の話では、ちょっと周囲を散歩してくるとのことだった。

 そんな訳で、エルを探して成太郎はネルトリンゲンを歩く。


「酷く目立つ奴だからな。すぐ見つかるとは思うが……うん?」


 ふと、歩く先に人だかりができていた。

 野戦服のドイツ兵達も、人手を集めたいのか口々に手助けを叫んでいる。

 そして、その奥から聴き慣れた声がハキハキと響いてきた。


「もう少しです! あとちょっとなんです! むぎぎ……ふぎーっ!」

「おいおい、お嬢ちゃん。無理すんなって……てか、無理だから」

「そうだぜ、気持ちは嬉しいが少し待とう」

「今、軍の方から重機を出してもらうからな」


 間違いない、エルの声だ。

 慌てて成太郎は、人混みを掻き分け前へと進む。

 視界が開けると、そこにはエルの背中が見えた。彼女は軍人達に囲まれながら、目の前のひっくり返った装甲車へと向かっている。そう、立ち向かっている。

 ちょっと女の子がしてはいけない顔で、エルはのだ。

 成太郎のみならず、周囲の者達にもわかっている。

 少女の細腕で持ち上がる質量ではない。

 だが、エルはひたいの汗をぬぐいながら、周囲に向かって声を張り上げた。

 何故なぜか彼女は、こんな時でも笑みを絶やさない。


「みなさんも手伝ってください! この下から声がしました。誰かが下敷きになってるんです!」


 兵士達も街の人々も、顔を見合わせ困惑する。

 だが、すぐに彼等は行動を選択した。


「どいてな、嬢ちゃん! 生存者がいるなら、助けてやらねえとな!」

軍曹ぐんそう、ひとっ走り行って兵隊を集めろ! 残りは全員で力仕事だ!」

「ちょいとおどきよ、ほらっ! アタシャこう見えて気が短いんだ、ちゃっちゃと片付けるよ!」


 あっという間にエルの周囲に、人々が集まり出した。

 誰もが汚れるのも厭わず、転がる装甲車の残骸ざんがいへ手をかける。

 気付けば成太郎も、周囲に使えるものはないかと首を巡らせていた。残念ながら、往来には車の姿はなく、軍の車両もいないようだ。

 ならばと腕まくりをした、その時だった。

 不意に背筋を、冷たい衝撃が突き抜ける。


「無駄よ……つまらないことに力を使うのはおよしなさいな。被検体零号ゼロごう


 てついた、声。

 この場の熱気を忘れさせるような、絶対零度ぜったいれいどの言葉が成太郎を振り向かせる。

 そこに立っていた一人の少女を見て、思わず彼は絶句によろめいた。

 かろうじて絞り出した声が、一人の女声の名をつぶやく。


「レ、レッド……! あ、いや、違う……お前は」


 そこには、赤い長髪の少女が立っていた。くすぶる炎のような、暗い赤……その頭髪は矮躯わいくかかとのあたりまで伸びている。そして、その服装も奇妙だ。なんと、大戦中のドイツ親衛隊SSの制服を着ているのだ。

 手に長いほうきを持った、どこかあやしげな美貌の女の子。

 よく見ればそれは、あの日別れた女性とは全く違っていた。

 なのに、一目見て成太郎は、レッドの名を口にしてしまった。

 赤髪のつやや輝きも全然違うのに、不思議と面影が両者をへだててくれない。


「はじめまして、零号。私は……そうね。スカーレット。スカーレット・ブラッドベリよ」

「スカーレット……?」

「そう、傷物きずものの赤。全てを傷付け、血の色に染めるの」

「その格好は、お前は……まさか!」

D計画ディーけいかくって、旧大戦の亡霊なんでしょう? そのあるじとして、まあ、亡霊らしい格好を選んでみたの。似合うかしら? やっぱり世界の破滅をみちびく者には、髑髏どくろ紋章もんしょう相応ふさわしいもの」


 スカーレットは小さく笑って、その場でくるりと一回転してみせた。

 そして、彼女の口から語られた言葉に、成太郎は震撼する。

 D計画の名を知るものは、ごく限られた少数だ。実際に戦っていても、ヨハン少佐も成太郎が説明するまで知らなかったのである。勿論もちろん、一般人ともなれば存在すら知らない。このネルトリンゲンでも、人々は何に襲われているかを知らされていないのだ。

 だが、スカーレットは自らその名を出した。

 更に、自分がその主だと明言したのである。


「単刀直入に言うわ、零号」

「俺をその名で呼ぶな……名ですらない、その番号で!」

「あら、そう? まあいいわ。で、零号……私と来なさい」


 一瞬、耳を疑った。

 謎の少女スカーレットは、そっと手を差し伸べてくる。

 まるで成太郎を導くように、うっそりと目を細めて微笑ほほえむのだ。

 だが、成太郎は即決、即断、そして即答する。


「断る。今からお前を拘束させてもらうぞ。話はあとで詳しく――」

「まあ! いけない子ね……D計画が生み出した子達は、全て私のものだわ。私はその全てを継承したの。つまり、D計画で造られた貴方も、私のもの」


 それだけ言うと、スカーレットは歩き出した。

 振り返る誰もが道を譲る中、転がる装甲車を見上げる。

 その横では、多くの民と一緒にエルが必死の形相で力を振り絞っていた。

 スカーレットを交互に見て、成太郎は……迷ったものの、エルの隣で金属の塊を持ち上げようとする。車体はまだ熱くて、先程まで戦闘の真っ只中にあったことが伝わってきた。


「あっ、指揮官さん! ありがとうございます! もうちょっと、もう少しなんです!」

「エルッ、なにをしてるかと思えば……確かに下に生存者がいるんだな?」

「はいっ!」

「ッ! く……おいっ、スカーレット! 話はあとだ、お前も手伝え!」


 当たり前だが、十人や二十人で持ち上がる重さではない。重機を待って作業する方がいいはずだ。だが、それまでなにもしないではいられない、そういう人達の熱気が成太郎を突き動かす。

 そして、冷ややかに見詰めていたスカーレットの前で、異変が起こった。


「ん、エル……お、お前、身体が」

「んぎぎぎぎっ! もぉ、ちょい、ですぅ!」


  エルの赤い髪が、風もないのにふわりと浮き上がる。そして、彼女の全身がほのかな光を帯びていた。

 信じられないことだが、肉眼で確認できるほどの魔力が湧き上がっている。

 だが、それを放出する少女の肉体は、あまりにも細く小さい。

 周囲の者達も唖然あぜんとする中で、エルは必死に歯を食いしばる。

 見かねたように溜息ためいきをついて、スカーレットがヒュン、と箒をひるがえした。


「……力の使い方を知らないのね。ま、しょうがないかしら?」


 スカーレットは周囲の人間をどけさせると、瓦礫がれきと装甲車の間へと箒を差し込む。

 咄嗟とっさに成太郎は、テコの原理という言葉を思い出した。

 木製の細い細い、ごく普通の古びた箒でそれが可能なのか?

 その答を容易に、スカーレットは演じてみせる。


「魔力を物理的な力に変えるためには、触媒しょくばいの存在が有効よ。そこの零号のハバキリより、使いやすいでしょう? コクピットを大きく改装したムラクモは」


 スカーレットもまた、魔力を身に宿した人間……魔女だった。その証拠に、彼女の魔力が箒に宿って、はっきりと光を放つ。

 スカーレットはついと指一本で、箒をじくに装甲車を持ち上げてみせた。

 誰もが驚く中、開いた隙間へとエルが叫ぶ。


「今です! 出てくるです! 大丈夫ですからっ!」


 なにかが猛スピードで飛び出してきた。

 同時に、スカーレットは小さく笑って箒を引き抜く。

 再び装甲車が、重量を思い出したように落下し砂埃を舞い上げた。

 そして、成太郎は決死の救出劇の、その結果に目を丸くしてしまう。


「……要救助者、確保……か。それより、スカーレット! お前は……っ!?」


 周囲を見渡すが、スカーレットの姿はいない。

 あの趣味的な軍服を着ているので、絶対に目立つ筈だ。

 だが、放心ののちに笑い出す人達の中に、赤い髪の少女は一人しかいない。

 へたりこんで大の字に転がるエルの上で、救われた命が声をあげていた。

 それは、だった。


「よかったですぅ……指揮官さん、ほら! みなさんも! ワンちゃん、元気です!」

「は、はは……おいおい、犬かよ!」

「いやまあ、いいじゃないか。助かったんだからな」

「で、さっきのお嬢ちゃんはどうした?」

「妙な軍服を着てたな……どこなで見たような……昔、教科書かなにかで」


 成太郎はとりあえず、子犬を抱えたエルへと手を差し出す。

 先程、爆発的な魔力の高まりを見せたエルは、今はいつものゆるい笑みを浮かべていた。そして、握ってくる手は温かく柔らかい。どこにでもいるごく普通の、ありふれた女の子だ。

 彼女を立たせて話を聞くも、エルはスカーレットのことは知らないという。

 謎の少女は謎を残したまま、成太郎の胸に暗雲を運んで去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る