マナー違反

やっちゃいけないって知ってる。

マナー違反だってのもわかってる。

でも、ちょっとでも眠っていたいんだよね。

だから、わたしは車内でメイクをしている。

メイクってのも本当は好きじゃない。でも、やらないと会社の先輩に怒られる。

接客もするのだから、身だしなみは整えなさいって。

お金はかかるし、面倒だし。

そういえば、友達が言ってた。メイクは異性の為にするんじゃない。同性と張り合うためだって。

一理あると思う。


いつも通り、電車の車内でメイクをしていると、よれよれのTシャツを着たおばさんが近づいてきた。

ガラケーをむけてカシャカシャと写真を取りだした。

小心者のわたしは正直怖かった。

背中に変な汗が流れた。

たぶん、おばさんはマナー違反をしているわたしをさらしものにしてやろうと思ってるのだろう。

悪いのはわたしで、正しいのはおばさん。

少なくともおばさんの中ではそうなってるのだろう。

わたしは黙って耐えていた。

悪いのはわたしなのだから……

「やめないか」

突然、男のひとが、わって入ってきた。

見覚えがある。

いつも同じ電車に乗ってる人だ。

ぎろりと濁った目でおばさんは、その男の人を睨んだ。

正しい行為だと思ってやったことをとがめられて、怒っていた。

ムスッとした顔でおばさんは違う車両にうつった。

「大丈夫ですか」

男の人は声をかけてくれた。

わたしはカクカクと頷くしかできなかった。


それ以来、なんかトラウマみたいになってその男の人が、乗ってくるまで恐くて車内でメイクをできなくなってしまった。

その男の人は私が乗る駅から二つ目の駅で乗ってくる。


とある晩、わたしは友人と飲みに行くことになった。

たぶん、愚痴を聞かされるだけだと思うけど。

チューハイを呑みながら、友人の会社の先輩にたいする悪口を聞き流していると、聞き覚えのある声がした。

近くのテーブルであの男の人が同僚っぽい人と楽しそうに笑っていた。

だいぶ、顔が赤い。

かなり、呑んでるようだ。

楽しそうなのがうらやましい。

「ねぇ、どこみてんのよ」

友人が言った。

「知ってる人がいるの。名前も知らないんだけどいつも出勤するときに見る人」

「ふぅん」

友人は気のない返事をした。


次の日、いつもの電車に乗り、あの男の人を待っていた。

あの人が来たら、メイクができる。


次の駅で乗ってくるな。

窓から見える景色を見ながら、ぼんやりと思った。


事件が起こった。

突如、悲鳴があがった。耳が痛くなるほどの大きな悲鳴だった。

悲鳴の方向を見ると、セーラー服を着た女の子がかえり血で真っ赤になっていた。

女の子の前には包丁を持った男のひとが首からいっぱいの血を吹き出させていた。

わたしも悲鳴をあげたかったができなかった。

ハァハァと渇いた声しかでなかった。

混乱する頭で次の駅につくと文字通り転がるようにして車両から飛び出た。


しばらくわたしは、震えながら立っていた。だんだんと駅員や警察官がホームに集まってくる。彼らは自殺だ、自殺だと叫んでいた。

「何があったんですか?」

ふりかえるとあの男の人がいた。

少しだけだか、落ち着いた。

「車内で人が死んだみたいなの。自分で首を刺して……」

少し想像をいれたが、たぶん間違ってないだろう。

わたしは、こたえた。


数日後、電車はいつも通りのダイヤで運行している。

あの人もいつもの駅で乗ってきた。

「あの……この前はたいへんでしたね」

そう言い、わたしは男の人に声をかけた。

死者を利用するわたしはやはりマナー違反だ。


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