第12話 月

 電車を降り、駅の改札抜けたところで思った。

 お腹が減った。

 多分居酒屋では気を使い過ぎてあまり食べられなかったのだろう。自分のことながらその辺の事はさっぱり覚えていなかった。子頼さんもお酒ばかり飲んでいたように思える。


「お腹空きませんか?」


 そう言ったのは僕ではなくて彼女の方だった。


守一しゅいちさんがおそばの話をするのでなんだかお腹空いてしまいました。もちろん守一さんがお腹いっぱいなら無理にとは言いませんが」

「僕もお腹空いていました。はこそば寄って行きましょうか」


 そういって踏切を渡り、行きつけの箱根そばを目指すが、シャッターが下りていた。この駅は乗降者数が少ない為、近くの店の営業時間も短い。そう言う訳でこの辺りでは唯一の飲食店であるこの店も21時を過ぎるとシャッターを下ろしてしまうらしかった。


 残念そうに箱根そばのシャッターをじっと見ている子頼さんに次の提案を持ちかける。


「そこのコンビニでカップ麺でも買っていきますか?」


 ぱあっと咲き誇った笑顔。その笑顔がそのまま僕の心臓の中に入ってきて、体中をぽかぽかと温めた。


 コンビニでカップ麺やジュース、お菓子などを選び、上機嫌にカゴにポイポイと放り込んでいく子頼さん。


「なんだか楽しいですね。こういうの。もう一日が終わるのに、これから始めようとしている非日常、ファンタジー感が堪りません。ワクワクします」

「それ、わかります」


 僕もつられて、一日では食べられないほどの食べ物を入れていった。

 コンビニを出て家に着くまでの間は暗い道が続くので、子頼さんには離れないように言って、それを口実に手を繋いだ。


 ぼやぼやと温かい月を見上げながら、てくてくと歩いて行く。


「そう言えば、バイトの初日も暖かくて月が綺麗でしたね」

「そうですね。あのときはなんだか挙動不審になってしまって」


 言われて思い返す。


「月に見蕩れていたんですよね。あの時」


 僕の問いに、恥ずかしそうに、だが穏やかにふふっと笑いながら、一呼吸置いて子頼さんは否定した。


「違いますよ」


 ならばあの時惚けていたのはなにゆえだったのだろうか。


「月を見上げる守一さんが、あまりに絵になったので、見蕩れていました。淡い月影に包まれた姿が幻想的で引き込まれそうで。視線を向けられた時もまるで現実に居ないみたいに、夢の中でお互いに見つめ合っているような錯覚に陥って……月が隠れた時、目の前でパチッと泡が弾けた様に現実に引き戻されて。でも今まで見ていたそれは夢ではなくて。目を開けたまま夢を見ていた気分でした。とても不思議な感覚。なぜそうなったのかわかりませんでした。でもその後守一さんが、月がきれいですもんねと言ったので、なんだか納得してしまいました」


 彼女のあの一連の行動はそういうことだったのか。そう合点が行ったところで、僕の住むアパートに着いた。僕たちがアパートに着くまで辺りを温かく照らし続けてくれた月は、彼女を部屋に入れたとほぼ同時に、すすすっと雲に隠れていった。まるで僕たちを見届けたかのようにして。雲の切れ間から時折覗く月に笑い掛け、扉を閉じて部屋に入った。

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