傍迷惑なあいつ

文野麗

第1話

 書店に行くより他に暇の潰し方を知らない人間もいる。私はまさにそういう人間である。

 実家の近所にあるスーパーには、ささやかな書店が入っていて、私はしょっちゅう足を運んだ。開店してから10年以上たっているはずだが、BGMを変える様子は全くない。小学生の時からこの店で、デジタル音のオリジナルだか何だかわからない曲を延々と聞きながら立ち読みに励んだものだ。

 当然定期的に店舗の入れ替えがあり、数年前の震災を経て大きく様変わりしたものの、書店の位置はずっと変わらなかった。私は書店以外の店舗には興味がないので、特に気にしていなかった。ところが昨年由々しき事態が起こったのだ。

 プラスチックの香りが漂う百円ショップの前を通って、いつも通り書店に来てみれば、聞こえてくるのだ。あの音が。

『ロォケットジャンケーン!パパパパパ……』

 辺りの沈黙を打ち破って、唐突に大音量で鳴り響く、激しい自己主張。プレイヤーを誘い出そうという魂胆なのだろうが、いくら100円玉を得ようとも、足ることを知らないあいつは定期的に叫び続ける。常に注目と100円玉を渇望して止まない哀れな機械である。

 そうなのだ。あろうことかうるさいゲーム機が書店の向かいに設置されたのだ。

 書店の前にゲーム機を置くというのはあまりにひどい暴挙である。憤慨した私は心の中で担当の者を罵倒し、家族の前でも不満を露わにした。友人の前でも世の中の不条理を訴えたかったが、友人に会う機会がなかったので仕方なく断念した。ちなみに家族はあまり理解を示さなかった。彼らはゲームセンターの騒がしさの中で「女生徒」を読んだことがないのだろう。

 もちろん店舗の配置はそうそう変わるものではないから、半年以上は傍迷惑なあいつの叫びを聞きながら本を買うかどうかの判断をする羽目になった。のめりこんでいるときや集中しているときも、正気とは思えないテンションの誘い文句が耳に入ってくる。やかましいことこの上なしだ。

 もちろん私だって抵抗は試みた。時々冷たい視線を送ってやったり、全くの無関心を装ったりして、とにかく敵の自信を喪失させようとした。だが相手は機械である。やはり全く効果はなかった。空気を読めないことは最大の精神的防御になりえるとそれだけ知った。


 こういう事情で私の日常は殺伐としていたわけではあるが、ある日思いもよらないことが起きた。

 書店の向かいの店舗がまたしても変更されたのだ。まるで大きな箱となったかのように白い壁で元の場所が囲われ、移転しましたという張り紙が貼ってある。

 意外なことに、湧き上がってきた感情は寂しさであった。あの機械はどこへ追いやられてしまったのだろうか。もしかして、廃棄されてしまったのか。もう私は怒りを覚えることなく静かに本を選ぶしかないのか。

 まあ仕方がない。世の中は移り変わるものだ。そんな些細な変化にいちいちがっかりしていたら、体力がいくらあっても足りない。もともと私には関係ないではないか。早く気分を切り替えよう。

 ……などと考えていたら、聞こえてきたのだ。『ロォケットジャンケーン!パパパパパ』音がいつもより若干小さかった。

 見てみると、店ごと移転したのか、あいつだけ移されたのか判然しないが、元の店舗の隣のスペースに、ちゃっかり収まっていた。結局うるさいままではないか。

 何故だか安堵した私は、ばつの悪い表情を怒りでごまかしながら、書店に入ってとりあえず新潮文庫コーナーを眺めたのであった。

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傍迷惑なあいつ 文野麗 @lei_fumi_zb8

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