第10話 男と女と。

「う~ん」


 そんな声を出しながら千夏が目を覚ます。

 まどろみは無く目を開いた次の瞬間には意識が覚醒した。


(また、知らないとこだ)


 まず目に入ったのは天井だ。頬をなでる感覚に従い右を向けば窓があって、青い空が良く見えた。

 窓の下には見たことのない黄色く大きな花びらの花が花瓶に飾られている。

 吸い込まれるような綺麗な青と手の届きそうな鮮やかな黄色から、名残惜しくも視線を外す。

 ここが室内であることを認識すると、自分がベッドの上にいることに気がついた。


 結局、開拓村に辿り着いてから今まで、丸1日ほど千夏は眠ったままだった。


(助かったんだ……)


 力が全然入らない妙に重い体を何とか持ち上げる。

 その動きに従って自分の足元の方に視線を向ける。



「バードン・・・!」


 思いがけず大きな声が出た。

 壁にもたれかかるように椅子に腰かけている男がいた。


「んん?千夏か。起きたか」


 どうやらバードンも微睡んでいたようで、目をこすりながら返事をした。

 そうして目を合わせ、時が止まったような長い一瞬を経て、バードンが話しかける。


「――――――。千夏」


 それに千夏は答えられない。単純に何と言っているのか分からないのだ。

 繰り返すようにバードンがやわらかな声を出す。


「――――――。千夏」


 ここで千夏はその意味を考える。

 これは私に向けられた言葉。一緒にここまで連れて来てくれた彼が私に何かを伝えようとしている。大変だったな、よく頑張った、もう大丈夫だ。色んな意味が頭をよぎる。

 思い浮かんだ言葉はどれもが安心するような言葉で、けれどもどれもしっくりとこない。この優しい顔立ちとは決して言えない人が、優しくやわらかな声を出している。

 それが何だかおかしくて、焦る心が落ち着いていく。

 勘違いかも知れないけど、多分私を気遣ってくれている。


(いや、きっとこれは勘違いなんかじゃない)


 そうだといいな。きっとそうだ。

 確かめられないもどかしさと、確かめられない恥ずかしさで心の中が騒がしくなっていく。

 だから内心を悟られないように、けど少し赤くなった顔で、何かを誤魔化すように口を開いた。



「おはよう。バードン」 


 部屋の中に大輪の花が2輪咲き、その花を揺らすような軽やかな笑い声が響いた。



 まずは、挨拶から。

 そうして人は人を知っていく。

 名前を知った二人が次に何を知っていくのか。

 それはまだ、誰にも分からない。


 だけども、二人の笑い声はしばらく続いていた。




「体の方はもう大丈夫だね。食欲も有るようだ。さっそく話を聞かせてもらうよ」


 そう診察の手を止めて穏やかに話しかけたのは、開拓村の医師パラディス・ナイゲル。

 千夏が食事をとった後、部屋に人が集まって話をしようとしている。

 バードンにパラディス、副団長のセレス。

 それに学者のワトール・ドラフォードだ


「話といっても、言葉は通じん」


「バードン。話すというのは何も口だけじゃないわ」

 セレスがバードンを嗜める。


「その通りだ。言葉はなくてもいくらでも相手を知ることはできる。まず、この中に見覚えのあるものはあるかね?」

 そう言いながら、ワトールは大人が一人入りそうなほどの大きさの箱をテーブルの上に置く。

 その中にはいくつもの雑貨のような用途不明の細々としたものが入っており、さぁさぁとワトールが手を向ける。



 千夏はその中の一つを手に取ってみる。


 人形、なのかな?でも変な形。呪いの藁人形みたい。ちょっと気味悪いかも。

 そう思うと興味を無くし次の物を手に取る。

 繊細な刺繍の入ったコースターが2つ紐で結ばれているようなもの、歪な長方形の真っ赤な仮面、木でできたナイフ、コッペパンのような形の金属の板。何かのエンブレムに、絵、地図、さらに手紙。

 そのどれにもピンとくるものがなく、諦めたように首を振る。



「むぅ。これ全部に見覚えがないのかね。なら次だ。これに何か書いてみてくれ。バードン。大陸文字でも古代文字でも無かったのだろう?」


「あぁ。絵みたいな文字だったな。」


 千夏は紙とペンを受け取り、自分の名前や思いついた言葉をひらがな、カタカナ、漢字を用いて書き綴る。

 そして出来上がったそれを皆の方に向ける。


 それを見た皆が一様に難しい顔になり、揃って首を横に振る。


「これもやはり駄目か。むぅ」


 ここヴェルガシア大陸では7つの大国といくつもの自治都市で成り立っている。

 文字と言語はほとんど共通だ。


「そうなると、言語も文字も全く別の文化圏から来たのは確かなようだね。」


「体は健康そのものだよ。筋肉もしっかりついている。何処かに閉じ込められていたなんてことは無いだろうね」


「洗礼を受けたのだから、ここに来たのは初めてよね」


 そろって頭を捻る。


「まさか、旧大陸か?」


 この大陸以外にも別の大陸はある。

 ただし、人の住める環境ではない。一説には竜に滅ぼされたのだという。

 旧大陸から逃げてきた人々と、ここヴェルガシア大陸の先住民たちが交じり合って、今の形になっている。

 そのため多種多様な種族が暮らしている。



「旧大陸からここに来る方法があるのなら、私たちのご先祖様がとっくに使ったはずよ。そんな記録は無いわ」


 事実、500年ほど前に海を渡ってこの大陸に逃れてきたのだ。それは数多くの記録に残されている。


「なら、先史文明の遺産という可能性はどうだ?」


 この大陸には、旧大陸の人々が逃げてくる前から、滅びた文明の遺跡が点在していた。


 皆がさらに頭を捻る。

 何処から来たのか考えるが答えが出ない。

 そのあーでもない、こうでもないという空気を察した千夏が皆に何かを伝えようと声をだす。

 その目論見は成功し、皆が千夏に目を向ける。


「私は多分、別の世界から来たんだと思います。」


 そう言って手に広げた地図の枠外のあられもないところを指さす。


「地図に載ってない場所から来たということかね?」


「だから、卵だ。卵。卵に入ってどこからかやって来たんだ」


「そうなるともうおとぎ話の世界よねー。可能性が有るとしたら古代魔法の召喚魔法かしら。でもバードンの遺跡のこともあるから、有り得無いとは言い切れないわね」


「……バードンの遺跡とは何だ?」


「あら知らなかったの?立ち入り禁止が決まったあの転移魔法の遺跡群、この子が1つ買ったのよ。そういえばあなたも調査をしていたっけ?」


 ワトールが信じられないという顔でバードンを見る。


「……ちなみに値段は?」


「バードンの全財産とさらに借金までしていたわ。」


 バードンは青い空を眺めていた。


 柔らかな風が部屋の中に入って来る。長い冬が終わって季節は今まさに春だ。




 ワトールとパラディスが先に部屋を出ていき、セレスとバードンが残った。

 今後の千夏の処遇を伝えるためだ。


「とりあえず開拓村にいてもらう。むしろここから出さないで頂戴。この子のことが知られたらどんな横やりが入って来るかわからないわ。未踏破領域で保護した女性を見せろってね。それと家なんだけどしばらくはあなたの家に置いてもらえるかしら?」


「何!?俺の家だと?」


「病院のベッドだっていつまでも使えるわけじゃないの。それと住人たちが好き勝手に噂を流しててね、森の妖精なんてのもあったわね。あまり人前に出すのは得策じゃないのよ。外に漏れるようなことは無いんだろうけど」

 なんであの時顔を隠しとかなかったんだろと、ぼやきながら言葉を続ける。

「あなたの家なら周りに誰もいないし、無駄に大きいじゃない。部屋だって余ってるしベッドもあるでしょう。一番都合がいいのよね。様子は交代で見に行くからさ。それに面倒を見るって約束したんでしょう?」


「……分かった。準備しておく」


「なら決まりね。明日の夕方こっちで送っていくから。掃除しときなね。私はこれから会議だから。忙しい忙しい」


 変なことしちゃだめよと、長い耳をピコピコと動かしてセレスは去っていった。



 セレス・シャルノールは森耳族の女性だ。人の3倍ほどの寿命をもつ種族で、長い耳を持ち外見はいつまでも若いまま。身長は高くは無いが、金色の髪に透き通るような白い肌。ややたれ気味の目と緑の瞳が印象的な飛び切りの美女。世話焼きの、妙におばさんっぽいところがある開拓団の頼れる副団長だ。



「じゃあな、千夏。また明日。」


 そう言って疲れた顔でバードンも部屋を出ていく。




 千夏は笑顔でバードンを見送った。


 このままどうなっちゃうんだろう?

 でも今は何だっていいや。

 まだ、生きてる。

 ふふふ。死ぬかと思ったけど何だか助かったみたい。

 これからのことはまた考えよう。

 今は……とりあえず……


 そう考えながら千夏はまた深い眠りに誘われた。

 今この瞬間を大事にするように、その顔はどこまでも幸せそうだった。











読んで頂いてありがとうございます。

初めて小説を書きました。

感想やご指摘など是非聞かせてください。



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