結社ミザール 4
損得ではない。普通の人間には理解できない『理屈』がある。
そうイシュタルトが言っていた。言っていたが、私は、本当にそんな人たちが存在することを理解していなかった。
「女神さま?」
私は耳を疑う。
「レキサクライ王国を束ねたアダーラ様が、我らのもとへ来て下さるのだ」
アルコルが陶酔したようにそう言った。
「そして、閣下と結ばれ、この国は更に栄華を極めることになろう」
「……」
あまりのことに、言葉を失った。
彼らは、レキサクライの伝説の王国の姫君を私の身体に呼び寄せるらしい。
女神とか言っていたが、本当に神様なのだろうか。ぶっちゃけた話、カミサマがひょいひょい人の身体に入ったりはしないだろうと思う。たぶん、魔物、魔王、そういった類のものに違いない。で、それを、閣下と呼ばれていた皇族(私の貧弱な記憶が確かなら、おそらくアステリオンの従兄で、現皇帝の姉の息子ではないかと思う)の、嫁にするという計画らしい。
「あの。女神様が仮に、私に憑依なさったとして。大人しく人間の嫁におさまっていらっしゃるとは限らないのではないのですか?」
「女神様は閣下に運命を感じて、我らが元にいらっしゃるとのご神託だ」
「ずいぶん、ロマンティックな女神様ですね」
頭が痛い。
いろいろな可能性に百歩譲っても。この国は、その女神さまに遠からず支配されるに違いない。なぜ、そのような簡単なことが理解できないのだろう。いや、本当はわかっていて。それが最良と思っているのかもしれない。
何にしても、私はそんなものに身体を差し出すつもりは毛頭ない。
「私が依代になると言うのは、女神様のご意志ですか?」
どうでもよいことだけど、何となく気になった。
私は、行き当たりばったりのように拉致られた。と、いうことは、私の他にも攫われたひとがいるかもしれない。
「君を依代に推薦したのは、レニキシードだ。もちろん、私も一目で、君に決めたよ」
「……。」
「リゼンベルグ候と、ロバートが常にガードをしていて、なかなかチャンスがなかったが、幸いなことに、君の方から私のもとへ来てくれたからね」
どうやら、夜会の辺りから、私は狙われていたらしい。
何にしても、私以外に攫われた人間はいないようだ。それは不幸中の幸いである。とりあえず、私がなんとか自力脱出すれば、事なきを得ることが可能だ。
「私は、『毒婦』だそうですが、よろしいので?」
視界の隅にジュドー・アゼルを捉えながら、私はそう言った。半ばやけくそである。
くっくっと、レニキシードが笑う。
「女神は、男を惑わすくらいがちょうどよい」
レニキシードの言葉にアゼルの顔が険しくなる。普段は『変人』のアゼルだが、この中ではマトモな人種に見えた。
そもそも、私は、男を惑わしたりしてないけど。
どちらかといえば、私がイシュタルトの態度に翻弄されている。
まるで本物の恋人にするかのような抱擁やキス。そして闇色の真摯な瞳。
私は、ただの債務者の娘で。彼は保証人で、債権者。それ以上の関係はないはずなのに。
「実際はそんな女ではないと言いたいのかね? ここに、ひとり、お前に惑わされた男がいるが」
ニヤリとレニキシードが嗤い、アゼルに目をやる。アゼルは、険しい顔で私を睨み付けた。
「惑わせるほど、会話した覚えはありません」
私がそう言うと、アルコルは酷薄な笑みを浮かべる。
「見れば見るほど、テオドーラに似ている。その美しさ、まさに我らが女神だ。そう思わないかね、ジュドー君」
ジュドー・アゼルは、表情を消したまま頷いた。……彼もまた、後戻りはできないところに来たことを自覚している。
転がされた状態で、私は小さくため息をつく。アゼルが一番共感できる相手というこの場の状況の異常さに、眩暈がする。私も焼きがまわってきたようだ。
「例の部屋へ」
アルコルの指示で、私は再び兵士に担がれた。
神殿、なのだろうか。むせるようなほど香がたきつめられている。神像は確認できなかったが、祭壇のようなものが見えた。
私は、それを脇目に通り抜けたホールのような場所に放り出された。相変わらず、女神の依代にすると言う割には、かなり乱暴だ。これだけジャラジャラ魔封じ用の道具をつけられていたら、少し転がっただけでも痛い。女神様だって、青あざだらけの依代は嫌だろうに、気の利かない男たちである。
先ほどより、随分広く、天井も高いが窓は一つもない。珍しく円形の部屋だ。壁面にいくつか蝋燭の火が灯されているが、全体的に薄暗い。床は硬い石だが、何か紋様が描かれており、淡く発光している。
「言いたいことはありませんか?」
ジュドー・アゼルが私を見降ろして、そう言った。
「そうですね、魔法陣の破壊を私に責任転嫁をするのは、勘弁してください」
私は、ジュドーを睨み付けた。ただし、床に転がった状態なので、格好はつかない。
「魔導士として。男爵様として。歩む道を外されたのは、ご自身の責任ですから」
「この期に及んで、命乞いもしない、というわけですか?」
「助ける気もない方に、お願いするだけ労力の無駄です」
ジュドーの瞳に微かに何かの感情が動いたようにみえた。
ジュドーは、暗い目のまま屈みこむと、動けない私の唇に唇を押し当てた。そして、兵士に見えないように、私の手に何かを置いた。びっくりした私の目に、彼は満足そうに口を歪めた。
「さようなら、アリサ。幸運を」
返答に困る私に首をすくめ、ジュドーは兵士を従えて、部屋から出て行った。
静寂の中で、じっと蝋燭が音を立てるのが聞こえた。
人の気配がなくなると、私は手さぐりで、ジュドーがくれたものがナイフであることを確かめ、手のいましめを解いた。縄ですり切れた手はヒリヒリ痛いが、ここで諦めたら私に待っているのは、女神の依代という有難くない未来だ。
時間間隔は全くないが、おそらく夜になっているのだろう。
夕方に城に戻らなければ、ロバートは異常に気が付くはずだ。結界用の石を、アルコルが私と一緒に持ち去っているのであれば、発覚はもっと早いはずである。
ジュドーはともかく、レニキシードとアルコルが犯人だとわかれば、ギルドに激震が走ることは間違いない。
そもそも、魔道ギルドの研究塔のかなり奥にあるアルコルの部屋で、私は拉致されたのだ。誰にも見られずにギルドを出るためには、他に協力者がいても不思議ではない。
指揮系統も混乱しそうだなあ。ロバート一人頑張っても無理っぽいし……。
エレーナやイシュタルトも心配はしてくれるだろうが、立場上、私の救出よりすべきことはたくさんあるはずだ。
しかし。もし、結界用の石がきちんと『あるべき場所』に収納されていたとしたら、発覚は、さらに遅れるのではないだろうか。
夕方の会議時に、私がいない程度の『異常』であれば、ロバート以外、気に留めないかもしれない。いや、ロバートだって、私の魔導士としての使命感のなさを知っている以上、私がさぼっているくらいにしか思っていないかもしれない。
父だって、私が家に帰ろうとしていたことは知らない。と、いうことは、下手したら朝まで私が拉致されている事実を誰も知らない可能性だってあるのだ。
考えれば考えるほど、ネガティブになっていく。
私は擦り傷と圧迫で傷んだ手を、ゆっくりと動かしてこわばった筋肉をほぐしはじめた。良くは見えないが、足は金属製の鎖で縛られているので、ナイフでは無理だ。まずは体中につけられた魔封じを外していく。
呆れるほど、たくさんつけられていて、外すのに苦労する。
用心しすぎよねえ。ロバート相手じゃあるまいし。
過大評価ではないだろうかと思いながら、半分くらいはずしただろうか。
ゆらり。
甘いにおいとともに、空気がゆらいだ。
何かが、いる──。
人の気配ではない。獣でもない、何か。
薄暗い暗闇の中で、私は、冷たい石の床に紋様がはっきりと浮かび上がり始めているのに気が付いた。
魔法陣?
足かせをしたまま、私は部屋の隅へと移動しながら、中心部に目をやる。
天井全体から、一筋の糸となり、粘着質な黒い液体が音もなくスルスルと床に降り注いでいる。
逃げなくては。
それは、床を滑るように広がっていった。
私は、足かせを火の刃で焼き切った。足は痛くてたまらないが、とりあえず這うよりはましだ。魔封じが完全に外し切っていないので、苦労したが、気が焦っていた。魔術を使うことで、私が拘束を逃れたことを感知される危険もあったが、そんなことを考える余裕もない。
黒い気体は、のろのろとではあるが、真っ直ぐに私に向かってきていた。
私は薄暗い中、四方の壁を見回し、扉を捜す。しっかり結ばれた結び目にイライラしながらナイフで切り落とし、魔封じを外しつつ、壁沿いに移動する。
それは、明確に私を追ってくる。しかも、逃げる私に怒りを感じているのが伝わってきた。
ひょっとして、これ、女神さまですか?
仮にも女神というからには、見た目はもっとよろしいかと勝手に思っていた。せめて固形? のものがよかったなあと、ぼんやり思う。いや、そんなことはどうでもよい。
移動スピードはそんなに速くないけど、天井からとめどなく、それは降り続け、床に占める面積が増えつつある。
ひょっとしたら、この部屋全部、このどろりとした液体が満たしてしまうのかもしれない。
魔法陣を反転させられれば、あるいは、これは消えるかもしれないが、こんな陣などみたことがないから、陣の紋様を反転させるには、コレを撤去して、しっかり形を把握しないと私には無理だ。
とりあえず、防戦してみよう。
私は土の元素をさぐる。
「我。魔の理を持って命ずる。山となれ!」
石畳が呪文と同時にめくりあがり、土くれの山を私と女神(仮)の間につくる。
ほんの少しだけ稼いだ時間で、私はようやく全ての魔封じを投げ捨てた。
液体は私の作った山をなでるように乗り越えて、グワンっと、礫のように液体を私に向かってぶつけてきた。
ビチャリ。
紙一重で避けたつもりが、液体は空中で方向を変えて私の左腕に張り付くように降り注いだ。
「え?」
全身に痺れが走った。私の中に、私じゃない大量の感情や情報が流れ込む。
「いやっ」
感じたくもない血への渇望。飢え。そして、殺戮の悦楽。
その暗い喜びに私は恐怖する。
「アリサ! そこにいるのか?」
聞きなれた声が、壁の向こうからした。
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