結社ミザール 3

「アリサ、本当に一人で大丈夫?」

 心配そうにロバートが私を見る。

「いやだわ。魔道ギルドに、結界用の石を返却するぐらい、子供でもできるわ」

 何かと役目柄、することが山積みのみんなと違って、私は能動的に何かするという立場にいない。

 歩いてもそんなに遠くない魔道ギルドに石を返却するぐらい、どうってことのない仕事だ。

「次の会議は、夕方でしょ? 一度、家に戻っているから、何かあったら連絡して」

「リゼンベルグ家に戻らないの?」

「だって、ジュドーはもう私につきまとわないわよ? だったら、一度、家の様子も見たいし」

 一週間も家を空けたので、在庫管理能力の乏しい父のことだ。そろそろ、不足のものが出てくるかもしれない。

 それに、例の枕のこともある。こんな非常時にと言われるかもしれないが、一度ジーンに会っておきたい。

「大丈夫よ、夕方にはこっちに来るから。もちろんリゼンベルグ家にも、きちんとご挨拶には行くわ」

「なら、いいけど」

 ロバートが渋々、頷いた。我が弟は、あまり姉を信用していない。まあ、身から出た錆、なんだけれども。

「ロバートの方こそ、気をつけてね……イシュタルト様にもよろしく」

「ああ」

 私は、ロバートにそういって宮殿を出て、魔道ギルドに向かった。宮殿から、魔道ギルドはとても近い。

 むしろ、宮殿の中を歩く方がたいへんである。

 結界用の石はそれほど重いものではない。(高価ではあるけれども。)

 ロバートが心配するのは、結界用の石を狙った賊がいない訳ではないからなのだが、真昼間に、城門を出て魔道ギルドまでの間に襲われるほど、この国の治安は悪くない。

 何事もなく、魔道ギルドにたどり着いた私は、受付で石の返却を申し出た。

「現在、カペラ様が不在ですので……アルコル様のお部屋にお持ちいただけますか?」

 私は、受付の女の子にそう言われた。アルコルというのは、魔道ギルドのナンバー2で、会ったことはないが、確か父と同じくらいの年の人だったはずだ。私は頷いて、部屋を教えてもらう。

 アルコルは研究塔の方に部屋を持っているらしい。私は、長い廊下を歩き、重苦しいアルコルの部屋をノックした。

「誰だね?」

 部屋の中から、男の声がした。

「アリサ・ラムシードです。お借りしていた結界用の石を返却に参りました。」

「入りなさい」

 入ろうと扉に手をあてると、勝手に扉が開いた。

 だから、勝手に魔力を消費させないでくれよ、まったく。

 魔道ギルドは、本当にこの手の自動扉が多くて迷惑だ。魔力が勿体ないと思わないのだろうか。

「ほう。噂通り、テオドーラにそっくりだな」

 部屋には、執務用の机に一人の男が座っている。父と同じくらい、と聞いていたが、父よりは老けて見えた。私を見て、口角の端だけわずかにあげる。たぶん、このひとなりに微笑んだのかもしれない。なんとなく、背筋が冷たくなるような印象を受ける男だった。

 柔らかく窓から日が差し込んでいるというのに、部屋全体が薄暗く、嫌な予感がした。

「母を、ご存じで?」

 本当は、石だけ返して帰りたかったが、振られてしまった話を返さないのもさすがに失礼だろうと思う。

「私たちの世代で、テオドーラを知らない男はいないさ」

 なんだかなあ。母は、相当、モテたらしい。同じような顔をしていても、私とは違うようだ。

 私は適当に笑みを返しながら、石を机の上に置いた。

「母は、そんなに有名でしたか?」

 ぎっ、と音を立て、アルコルが立ち上がる。私は、なんとなく後ずさった。

「騎士という騎士、魔道学校の生徒という生徒が、君の母に夢中になった。まさか、クラークみたいな奴に攫われるとは、誰も思っていなかったよ」

 いくぶん、憎しみのこもった言い方。私は、どう対処していいのかわからない。アルコルは言いながら、ゆっくりと私との距離を詰めてきた。

 私は、本能的な危険を感じた。後のことなど考えずに、逃げるべきだと、本能が告げる。

「しかし、素晴らしい。テオドーラにそっくりの外見。クラークから引き継いだ溢れる魔力。まさに天恵」

 その目が暗い喜びに溢れている。私は逃げようとしたところを、腕をガシッと掴まれた。

「離してください!」

 逃げなければ、と思った。

「レニキシード!」

「え?」

 私の背後に立つ、人の気配。

振り返るより前に、口元に何かが当てられ、私の意識は暗転した。



 冷たい石の感覚に目を覚ます。

 薄暗い。

 人工的な、石で囲まれた部屋。

冷たく硬い石に寝転んだまま、あたりを見回す。

私の手は後ろ手にされ、縛られ、足も重い鎖が掛けられている。身体と、首、頭に、何重にも魔力封じと思われるものが取り付けられて、身体がとても重い。

時間間隔がない。意識を失う前に、アルコルに掴まれた腕が、痛みを訴える。

不意に、ハイドラの召喚の残滓を探った時の鋭い目を思い出す。

 レニキシードだ。

 聞き取り調査の時、最後に向けられた冷たい視線。

 レニキシードならば、あの夜会に来ていても全然おかしくないし、しかも、警備をしているフリをすれば、見とがめられることなく行動できても不思議はない。

 しかも、魔道ギルドナンバー2のアルコルが噛んでいるとなれば、話は簡単だ。

 反皇太子派ではなかったという、ジュドーであるが、レニキシードと面識はあるわけで、話す機会はいくらでもあったであろう。

 それにしても。

 なぜ、私はつかまっているのだろう。

 私に価値があるとすれば、「ロバートの姉」というところか。

 ロバートは、この国でも指折りの魔導士である。魔法陣の破壊活動をするような輩だ。ロバートを利用するために、私を人質にしようとしているのかもしれない。

 それとも?

 アルコルは、『テオドーラの外見、クラークの魔力』とか訳の分からないことを口走っていた。

 どちらにしても、逃げる方法を考えなくては。

 目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませてみるも、体中に取り付けられた魔力封じが邪魔をして、魔力を感じることさえできない。

 私は、気長に手首をねじり続けた。



 どれくらい時間がたったのであろうか。

 手首を締め付ける紐に、ようやく緩みを感じ始めた時、コツコツという足音がした。

 ギッという音がして、部屋に入ってきたのは、二人。

 不自由な体勢で見上げると、ジュドー・アゼルと、みたことのない兵士だった。

「無様だな、アリサ」

 ジュドーは吐き捨てるようにそう言うと、私を兵士に担がせた。ほとんど荷物のように肩に担ぎあげられる。

 一瞬、抵抗しようか、と思ったが、これだけ魔封じをされていては、なすすべがない。無駄なことはしないに限る。

「泣いて、許しを乞わないのか?」

 ジュドーは私を見てそう言った。

 私は、無言を貫く。裏にいるのはレニキシードであり、アルコルだ。こいつに私をどうこうする権利はないはずだ。

「全く、可愛げのない女だな」

 今頃知ったか、とは、思ったが、口には出さない。

 私が可愛い女であったことなど、一度もないはずだ。少なくともジュドー・アゼルの前では、全くない。

 長い石の廊下を通り抜け、階段を昇ると、唐突に明るい世界に変わった。

 なにぶん、荷物のように担がれているので、視野がさかさまでよくわからないが、立派なお屋敷か何かのようだ。

 赤いじゅうたんがしきつめられ、魔道灯が灯された廊下。

 大きな扉がギッと開く音がして、私は、乱暴にじゅうたんの上に放り出された。

 痛みに耐えて、あたりを見回す。

「リゼンベルグ候が夢中になるだけあって、美しい女だな」

 下卑た笑いをうかべながら、男が私の顎に手を当ててそう言った。

 顔は、アステリオンに似ていなくもない。年齢は、三十手前くらいだろう。着ている服はラフなものだが、とても上等なものだということがわかる。誰かはわからないが、たぶん皇族の人間だと思われた。

「……閣下の、花嫁の『器』に相応しいかと」

 位置的に顔はよく見えないが、アルコルの声がした。

「しかし、この格好はいただけないな。色気も何もない」

 男はそういって、首をすくめた。

「儀式が終わるまでの辛抱です」

 レニキシードの声が追従する。

「……私を、どうするの?」

 窮屈な体勢で、私は男たちを見回した。部屋には、皇族の男の他に、アルコルと、レニキシード。ジュドーと、私を運んできた兵士の五人。

 魔封じをされていなくても、勝てる気はしない。

「そなたは、偉大なる女神の依代になるのだ」

「はい?」

 アルコルの言葉に、私は眩暈がした。


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