最強にさせられた自称凡人は平穏を望む

石川将生

第1話 凡人、死の淵に立つ

 どうしてこうなった?


 目の前には狼の群れ。後ろは崖。特に膂力も脚力も一般の域を出ない僕にはどうしようもない状況だ。狼たちはどうしてか、警戒しているようで襲い掛かろうとせず、詰め寄るだけだ。


 ことの発端は一時間ほど前だ。僕の暮らす村では食料の調達は農業と狩猟が主だ。僕は狩猟の方に参加した。


 猪や兎を狩り、木の実や薬草を採集した。そこでそろそろ戻ろうという話になったのだが、そこで問題が起きた。狼の群れが僕たちを取り囲んでいた。


 リーダーの人は勝てないことを瞬時に悟ったらしく、猪のような大きな獲物を捨てて、逃げるように指示した。皆も死にたくない。すぐに従って、猪を狼の近くに放り投げた。狼の意識が猪に向いた瞬間、一斉に逃げ出した。


 大半の狼は猪を貪っていたが、一部の狼――――多分リーダー格であろう狼とその取り巻きが追いかけてきた。皆は散り散りに逃げ、ほとんどは逃げ切ることは出来ただろう。何人かは追いかけられていたが、全員僕より強いから生き残れるだろう。


 僕も逃げた。脚が痛くなっても、息が切れ切れになっても走り続けた。このまま行けば僕も助かるはずだった。


 瞬間、背後から悍ましい気配を感じた。走りながら振り向くと、あのリーダーと思しき狼が僕を追いかけていた。


 僕は走った。木々に紛れながら走ったお陰で追いつかれなかったが、振り切ることも出来なかった。



 突如、森が開けた。目の前に広がるのは雲の多い空と、鬱蒼とした森だ。それが眼下に広がっている。


 僕が逃げてきたのは崖だった。崖を背後にして狼と対峙する。向こうは飛び掛かってこない。落ちる可能性がわかっているのだろうか。なかなか賢い。


 狼が遠吠えをした。対峙して、動けずにいると、森の中から次々と狼がやってきた。仲間を呼んだらしい。いよいよ逃げられなくなった。唯一の道は崖から落ちることだが、生きられるかはわからない。


 僕は弱い。けど、生きるためには戦わないといけない。怖いけど、やらなきゃやられる。僕は腰から安物の短剣を取り出して構える。型なんてない。


 じりじりと近づく。背後に崖が常にあるようにする。回り込まれないようにする。それが僕が生きるための必須条件だ。すぐ近くの狼を襲う。眼を狙って突き、すぐに淵まで戻る。


 淵の近くにいるときは向こうは襲ってこない。だけど、刺した狼は怒り、噛みつこうとしてくる。僕は横に跳んだ。狼は下に落ちていく。行く末が気になるが、構っている余裕はない。まだ、狼はたくさんいる。



◇◇◇◇◇



 刺して挑発、飛び込んできたところを避けて崖下に落とすのを何度も繰り返した。流石にもう効果がない。弓みたいな飛び道具があれば良かったんだけど、そんなものはない。あっても碌に扱えない。


 自滅覚悟で乱戦に持ち込むしか方法が思いつかない。群れは五匹ぐらいしか減っていない。勝てる気がしない。


 でもやるしかない。近くの一匹に向かって走る。狼は横跳びに逃げる。さっきまでの作戦だと僕は元の位置に戻っていたが、もう違う。僕はその狼に追従した。


 僕が淵に戻ると思っていたらしい。動きが止まっていた。僕は眼じゃなくて喉を狙った。眼よりも殺せる可能性が高い位置だ。


 その狼は血飛沫を上げる。今までと違った行動に狼たちは驚いているようだ。血濡れの狼には目もくれずに次の狼を襲う。止まっている余裕はない。止まった瞬間に八つ裂きだろう。


 リーダーの狼は吠える。すると今まで止まっていた狼たちが襲い掛かる。僕は不規則に動きながら喉を狙う。


 気づけば僕は狼の中心にいた。僕は常に動いているが、それを取り囲むように、狼が待ち構えている。もう、淵にも近づけない。


 身体が悲鳴を上げ始める。だけど、僕は止まらない。止まれば待っているのは死だけだからだ。終わればいくらでも休める。狼の爪に引っ掻かれ、傷がつきながらも構わず、狼を殺し続けた。



◇◇◇◇◇



 もう身体が重い。視界が半分見えなくなっている。流石に動きが鈍くなり、狼の攻撃が当たるようになってきた。右腕を折られ、肩に噛みつかれ、顔を切られた。脚に飛び掛かってきた狼は転がりながら避ける。動きは止めない。止まれば二度と動くことは出来ないだろう。


 短剣は既に折れている。だけど叩き込むことは出来る。


 そのとき、横にひどい衝撃が走った。声も出せずに吹き飛ばされる。すぐに起き上がろうともがく。どうやら横から突進されたらしい。また淵にいるらしい。


 だけど、今は死に体だ。どんどん迫ってきている。僕は立つ。もう動くことは出来そうにない。足元はふらつき、視界はぼやける。全身から血は流れ、動かすこともままならない。唯一の武器である短剣は根元から折れ、刃の部分はほとんど無くなっている。


 彼らは僕を脅威と見なしたらしい。食べることは考えていないようだ。ただ倒すべき敵と見ている。


 複数で襲い掛かってきた。前と左右から、渾身の突撃をしている。横に逃げられないようにするためか。すぐ後ろは崖。後ろに倒れて避けることも出来ない。


 動くことも出来ずに、二匹の狼から挟むように突進を受け、意識が遠のく。身体の力が抜ける。


 目の前が暗くなる中、最後に見たのは牙を剥いた狼の顔だった。

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