第92話 街の混乱

 急ぎ、クララックの近くまで戻ったが、事態は一刻を争う状況になっていた。

 魔力を込めて遠く、イリーナの森の方を観察すると、うっすらと土埃が上がり、小さく魔物たちの叫び声が届く。

 まだ肉眼で見える距離ではないが、時間はそんなに残されていないだろう。多くの魔物がクララックに向かっているのは確かだ。そしてその魔獣のあげる声は、雄叫びというよりも悲鳴のように聞こえた。


「こっちだ。予備の四番の転移陣がある」


 今回の作戦で作ったクララック内部に繋がる転移陣は、全部で五組。そのうちの四つはすでに破壊した。

 残る一つ、四番の転移陣は街道の脇にある洞穴とクララックの外壁の内側を繋いでいるものだ。外壁の内側は広く、のどかな田園地帯だ。家もたくさん建ってはいるが、外壁自体は魔物の大群を塞き止められるような強度はない。せいぜい一瞬足止めできる程度だろう。

 クララックの住人の大多数は内壁の内側にいて、シモン達がいるのもまた内壁の内側だ。


「くそっ。内壁を越える転移陣はもうないのか」

「うむ。逃げる経路によっては外壁側にも一つあったほうが良いと思ったのじゃが、こんなことならもう一つ作っておけばよかったの」

「気にするな、リリアナ。どうにかなる」


 転移陣を設置するのには、人目につかない場所を選び、誰にも見られないようにリリアナが魔法を使う。一週間かけて準備したとはいえ、五組の転移陣を作るので精いっぱいだった。


 洞窟の転移陣を起動して、全員で外壁の内側に飛ぶ。

 転移した先は、使われていない古い小屋の中だ。大柄なヨルマと馬がいて、狭い。


「ちんたら変装して侵入する暇はねえ。少し目立つが、このまま内壁を越えるぞ」


 アルが扉に手をかけた。

 長閑のどかな畑の中を六人と一匹が疾走する。

 俺たちはまっすぐ内壁に向かって走りながら、遠くに見えるそれを観察した。


 壁の高さはここからでも見上げるほど高く、こちら側に足場になるようなものはもちろん何もない。家々は離れた所に建ち、壁の周囲は畑に取り巻かれるようになっている。畑の中にはいくつか物置小屋が建っているが、足場にできるような位置ではない。

 アルは入口も何もない壁に向かって、ますます速度を上げて走る。

 馬に乗って俺たちを追いかけているヨルマとカリンだったが、アルの速度には到底追いつけそうにないな。


「ヨルマとカリンは普通に門から入った方が早いだろう」

「承知した。合流場所は?」

「シモンの泊まってる宿。中央広場に面した一番大きな宿で『歌と火酒亭』ってとこだ」

「ああ、闘技場そばの宿に泊まってるんだったな。よし」


 それだけ聞くと、ヨルマは馬の首を門のある方角に向けた。


 ◆◆◆


「リク、ロープを垂らすからな。待ってろ!」


 アルは俺達よりもはるか前方で手を振った。

 そして走っていった勢いそのままで力強く地面を蹴る。アルの体が上に向けて高く飛んだ。壁の真ん中ほどまで届くくらいの、すさまじい跳躍だ。

 俺が身体強化を使っても、あの高さまで飛び上がることなどできない。それを可能にしているのは、アルが手に入れた魔道具のおかげだった。

 銀色のアンクレットは俺やクリスタのものと素材は似ているが、魔力を外に放出するための道具ではなく、身体強化をより強める効果があった。おそらく闘技場の壁に穴をあけた時も、その力を使ったんだろう。

 壁の中腹にナイフを刺して掴まり、そこから器用にするすると壁を上る。あっという間に壁の上に立った。

 アルはすぐさまそこから細いロープを固定して垂らす。


「ロープはこれしかない。一人ずつ上がってきてくれ」


 それだけ言うと、壁の上を走る。外壁はただの壁だが、内壁は防衛のために厚い壁の上部が通路になっている。そこに見張りの兵士がいるのだ。

 もっとも、隙間なく大勢の兵士がいるわけではない。兵士の立っていた位置は遠く、しかも森の方向の異変に気を取られていたようだ。そのためアルが壁を上ってくるのに、最初は気付いていなかった。


「な、何だ、貴様ら!」

「仕事中にすまねえな。ちょっとだけ見逃してくれ」

「ぐはっ」


 ドサッと人が倒れる音がして、もう終わりだ。俺が上り終えて通路をざっと見渡すが、すぐに走ってこれそうな距離に兵士はいない。

 そして壁の上部からは地面よりもずっと遠くまで見渡すことができた。


「起き上がれるようになっても、俺達を追うよりも外を見張ってた方がいいと思うぞ。あの土煙が見えるだろ。もうすぐ魔獣の群れがここに来る」


 一応そう言っておいたが、この兵士が俺達と魔獣のどっちに対応するのかは知らん。

 どっちにしろ、俺たちには関係ない。兵士はうずくまっているだけなのですぐに動けるようになるだろうが、その時にはもうとっくに人ごみに紛れてる。

 リリアナ、クリスタの二人もロープを使って上ってきた。

 内側には壁の近くに建物があるので、少し高いがその屋根の上に飛び降りる。


「しばらくは屋根の上を伝っていくか」

「おう」


 闘技場の方向を目標に、屋根の上を走った。上から見る街の中は、中央に向かうほど混乱している。祭りの混雑のあちこちで、街の人や旅行者が情報を求めて叫んでいる。

 祭りを見ていた人々が騒いでいるのは、もしかしたら俺たちの脱走劇のせいかもしれない。

 そしてそんな一般人をどうにかして建物の中に入れようと、兵士たちが追い立てている。内壁の門の方へ向かって走る兵士たちもいるから、これは俺達を追うというよりも押し寄せてきつつある魔獣の群れに対応するためだろう。

 闘技場は今は封鎖しているらしく、付近に人の姿は少ない。魔獣が街の中を走っている様子はないのでアルが解放した魔獣は倒すか闘技場の中に閉じ込めてしまったのか。


 しばらく屋根伝いに走って、適当な所で飛び降り住人の騒ぎに紛れ込む。闘技場前の中央広場は兵士たちに追い払われて人が少なくなっていたので、『歌と火酒亭』はすぐに見つけられた。

 宿に飛び込むと、そこは表の騒ぎから避難していた人たちで溢れていて、俺たちが飛び込んでも「ああ、またか」程度にちらっと見てくるだけ。そんななか、人を押し分けかき分けて奥に進むと、シモンと西の鳶の皆の顔が見えた。

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