第88話 接敵

 魔物の部屋から外に出ると、人気のない通路に出た。

 この通路は闘技場の外周に沿って左右に伸びている。右に行けば剣闘士の男たちの宿舎、左には女たちの宿舎とアルハラの兵士の控え室がある。

 とにかく剣闘士の皆に早く状況を伝えたい。


「別れて進もうぜ」

「そうだな。右の通路をまっすぐ進むと、宿舎に通じる扉がある」

「じゃあ俺がそっちに行けばいっか。兵士控室はお前一人で大丈夫だろ?」

「ああ。四人倒したから、そこの控室にはもうあまり残っていないだろう。今日は会場の警備のほうに人を割いているはずだ」


 この通路は普段自由に行き来できるわけじゃなかったが、移動するときに俺達も通っていた。なので各部屋のおおよその配置は分かる。

 闘技場の舞台に通じる扉もあるが、それは見るからに丈夫に作られていて、閂もかかっているから間違えることはない。


「おそらく見張りの兵が立っているはずだ。そいつを倒せば、宿舎の中にはもう兵はいない。魔物部屋に通じる扉のような頑丈な作りでもないから壊すのも簡単だろう」


 俺たちは鍵や鎖ではなく、人質で縛られていた。結局のところ、もっと早く決起するべきだったのかもしれない。

 いや。過ぎたことを悔やむより目の前の道を。


『リクさん、アルさん、今、大丈夫ですか?』


 頭の中にクリスタの声が響いた。


「おう」

『こちらは二番の転移陣に着きました。隠してあった物資も無事です』


 二番の転移陣は闘技場の近くに通じる脱出経路だ。剣闘士が闘技場から逃げ出すことができたら二番の転移陣を使って街の外に出ることにしていた。

 そのほかにもう一か所、予備の脱出経路として、三番の転移陣も街の外のほぼ同じ場所に繋がっている。


『ポチさんによると、セラフィーナさんたちは野営道具も全て片付けて、今、イデオンに向かって出発したようです』

「了解だ。こっちは今から剣闘士達と接触する。アルと別行動になるからクリスタ、声を中継してくれ」

『分かりました。その前に私とポチさんは第二転移陣を使って街の中に移動します』

「気を付けろよ」

『ありがとう』


「じゃあ行くぜ」


 アルが軽く手を上げて、右の通路へと歩き始めた。

 あいつ、普通に歩いているように見えるが猫のように音を立てないな。

 俺も気を引き締めて、気配を殺し左へと進む。


 通路に人がいる様子はない。

 ゆるく左に曲がった通路を少し進むと、左手に閂のかかった扉がある。これは剣闘士やアルハラの兵士たちが舞台に出入りするための通路だ。そこを通り過ぎると兵士たちの控室がある扉。そして突き当りには剣闘士の女たちの部屋があるはずだ。


 耳をすませば、ざわざわと人の声が聞こえた。

 控室の中から聞こえる声は二人、扉の外に立っている見張りがおそらく一人。

 足に魔力を巡らせ、一気に通路を駆け抜ける。


「何だ、お……」


 ドスッ。

 剣ではなく、リリアナの杖で殴って倒す。そのままの勢いで控室の扉を蹴り開けた。


 ガタン。

 驚いた兵士の一人が椅子を倒して立ち上がる。部屋の中には三人いた。うち二人は立って話をしていたらしい。慌てて腰の剣に手を伸ばすが、抜かせるわけがないだろう。扉を壊したその勢いのまま、一気に間合いを詰めて二人一緒に押し倒す。


「な……誰だ!」


 答えてやる義理はないな。

 そのまま、椅子から立ち上がった男を杖で殴る。そいつは気絶したが、足元の二人は起き上がろうともがいている。


「すまないな。お前たちに恨みは……ある」

「ぐ……貴様……」


 一人を足で蹴り昏倒させ、もう一人は首を締めあげた。

 四人全員意識を失わせて、室内を見回す。壁際には当然のように鎖やロープが置いてあった。


 さっさと奥に進みたいが、こいつらが起きてくると面倒なので、全員縛って転がしておく。これでしばらく時間は稼げるだろう。

 奥に通じる扉があるが、人の気配はない。

 念のため扉の前をそこら辺にある家具で塞いでから、女たちの宿舎に向かうことにした。


「クリスタ、聞こえるか?」

『はい、リクさん』

「今から剣闘士たちの部屋に入る」

『了解です。アルさんはもう、中に入りました。最初は怪しまれていましたが知り合いがいたので大丈夫だそうです』

「分かった」


 扉の前で見張っていた兵士の持っていた鍵で、突き当りの扉を開け、そっと中に入る。入ってすぐの部屋にいた数人の女が、俺を見て、はっと身構えた。


「ミルカ、騒がないでくれ。俺だ」


 フードを取って顔を見せる。

 クララックに入る時に魔法で染めていた髪は、もう黒く戻した。

 俺の顔を見て、女たちが息をのむ。


「リク!」

「何ですって?あ……ああ、あんた本当にリクなのか。てっきり死んだものだと……」

「すまないな。俺の事情を話す時間はない。ここにいる剣闘士はこれで全員なのか?」


 部屋の中にいる女は五人。今日戦う予定らしく、みんな武装している。


「奥の部屋にあと何人か、それとついさっき、エレンが舞台に上がったところよ」

「そうか。すまないが奥にいるものをすぐに全員呼んでくれ。さっき人質を解放したんだ」

「!!」


 一人が、慌てて奥の部屋に走った。


 ◆◆◆


「つまり、私達も逃げた方が良いということか」

「ああ。人質が消えたとなると、奴らがどんな反応をするか分からん」

「残っても全員殺されはしないだろうが、面白くない目にあわされる可能性はあるな」


 この国では、荒事のかなりの割合をここにいる剣闘士たちが担っている。一気に全員を殺せば困る。ならばこの中の数人を人質として隔離するか、もしくは逃げ出した森の民をもう一度捕えようと兵を出すか。

 どっちにしろ、人質のいない今、大人しくここに留まっている理由もない。


『リクさん、アルさんの方は全員脱出することで一致しました。ポチさんが私と別れて闘技場の方へ向かいました。私は転移陣で待っています』

「こちらは今からその話だ。エレンが今、角牛と戦っている」

『男性の方も、一人舞台にあがっています』

「分かった」


 クリスタに返事を返すと、ミルカが不思議そうに首を傾げた。


「クリスタが今、外で待ってるんだ」

「クリスタ! 彼女も無事なのか!」

「ああ。今は闘技場の近くにいる。そして男たちは脱出することに決めたらしい。お前たちはどうする?」

「そりゃあ……」

「逃げれるものなら逃げたいさ。でもエレンがまだ」


 エレンともう一人が角牛と戦っている。その戦いが終わるまで待っていたら、さすがに舞台裏の騒動に気付かれるだろう。

 エレンたちを置いて先に逃げるか、それとも……。


「いっそこの闘技場にいる者を皆殺しにして行けばいい」

「いや、それはまずいんだ」

「何を弱気な。リクは勇者だろ。魔王から逃げてきたみたいにここからも逃げるのか」

「落ち着け、アニタ。言い争ってる暇はない」


 いまにも剣を抜きそうなアニタを、ミルカが間に入って止めた。

 とはいうものの、他の者たちもみな、どうせ逃げるならいっそ復讐して行けと思っている顔つきだ。


「殺すのは最低限必要な時だけだ。逃げることに意識を向けてくれ」

「……」

「逃げ出すチャンスをくれたんだ。お前の指示には従おう。だが理由だけは言え。でなければ皆の気が済まん」

「明日、新作の芝居が公開される。イデオン、ガルガラアド、そしてここアルハラで同時に。俺達森の民がここを逃れて新しい国を作る物語だ。不当に虐げられていた俺達が決起すると、親切なアルハラの国民がそれを助けて国外に逃がしてくれる。そういう筋書きにしている」

「はっ。そんなことありえないだろ。アルハラの民が私達をだって」

「なんで芝居に沿って私達が動かなきゃならないのさ」


 いきり立つ女たちを宥めながら、簡単に今の状況を説明した。世論は今、俺たちの話題でもちきりだ。

 実際には芝居通りに動く必要はないし、もちろんアルハラの国民は俺たちの逃亡を手助けなどしない。

 けれど流行りの芝居の中に、自分達が登場したらどうだ。美しい音楽、胸躍る冒険、そして森の民を助ける市民達。


「……できるだけ流血は避けよう。殴るくらいは良いだろう」

「もちろんだ。脱出経路は通路を出て、まっすぐにい」

『リクさん、緊急です。見回りの兵士に見つかり、アルさんが交戦中。そちらにも兵士が向かっています』


 どうやら……

 経路を詳しく説明する時間がなくなったらしい。

 どうせバレたのなら、せっかくだ。エレンたちも連れてここを出るとするか。

 クリスタの声を伝えると、女たちも全員武器を手にして、不敵に笑った。

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