第87話 魔物部屋

 魔物がいる部屋の中には、普段は見張りがいない。

 俺たちが入ってきた扉は魔物の部屋の上の階にあるが、緊急時に使われるだけで普段はそこから出入りする者は誰もない。では何のためにある扉かというと、ごくまれに、魔物が檻から逃げ出して暴れたときに、兵士が入って鎮圧する為らしい。


 もっとも俺は十年近くいてそういう場面に出会ったことはないから、魔物が檻を抜け出すことなど滅多に起こらないはずだ。それだけ頑丈な檻に入れているという事なんだろう。捕まえてきた魔物の檻には餌になる肉をいくらか放り込んで、そのまま闘技大会まで何日もここに置いておかれる。

 当然だが普段は糞尿を片付ける者もなく、酷い臭いに兵士も用事がなければこの部屋には入ってこない。

 その代わり、魔物が檻の中で暴れるなどの騒ぎが起こればすぐに対処できるようにと、普段から最下層の扉の外には常に見張りが立っていた。


「それが、この扉だ」


 俺は剣闘士としてここに長いこといたが、アルはすぐに外で働かされる組織に売り渡されたので闘技場の内部には詳しくない。


「なるほど。そしてこの扉の先が剣闘士たちの宿舎に繋がってるってわけか。見張りは何人だ?」

「普段は二人だが、今日は闘技大会で出入りがあるからな。少なくとも四、五人は近くにいるだろう」


 耳に魔力を集中すれば、厚い扉の外で雑談を交わすアルハラ兵の声が聞こえる。

 声からして今、外にいるのは三人か。

 しばらくそのまま、壁に背を預けて耳を澄ませて様子をうかがった。


「さっさとやっつけていこうぜ」

「この扉も向こう側に、頑丈な閂が掛かってるんだ。まあ待とう」


 そのまま十分ほど経った頃、バタバタと歩いてくる足音がした。


「おい、そろそろ次の魔物を出す時間だぞ。ん? なんだよ、今日はやけに魔物がうるせえな」

「観客の声が聞こえて興奮してるんだろ」

「くそっ、こんな荒れてる魔物をステージまで追い立てるのかよ。檻から出す役目もいっそ奴隷にやらせればいいのに」

「そういう訳にもいかねーだろーが。じゃあ開けるぞ」


 ガタガタと扉が音を立てた。

 俺とアルはマントのフードを深く被り、息を殺す。


「ちっ、このかんぬき、重てえんだよ」

「文句言うな。うっかり魔獣がこっち側に逃げてきたら減俸だろ」

「減俸っていうか、軽く死ねる。分かってはいるんだけどさ。よっし。閂が外れた」

「そこに置いとけ。じゃあ鍵を外すぞ。次の舞台は角牛だ。見た目よりも気が荒いから気を付けろよ」


 重い扉がギイイと音を立てて、こちら側に向かってゆっくりと動く。


 扉は大きく開かれ、外から明かりが差し込む。男が二人、部屋へと踏みこんだ。そして二人の体が完全に部屋の中に入ってしまうと、外に残った者によって扉はまた、ゆっくりと外から閉められていく。

 閉じられていく扉の陰で、俺は静かに気配を消したまま、足と腕に魔力を巡らせた。

 俺達が室内にいるから、檻の中の魔物たちは静まらない。それらが立てる音と唸り声、そしてざわざわとした雰囲気が、逆に俺達の気配を完全に消していた。


「ちっ、暗いぜ」

「それにしても今日はいつもより魔物たちがうるせえな」

「そのほうが舞台でよく暴れるから盛り上が、うっ」

「どうし……ぐぅ……」


 男たちは真っすぐに檻に向かって進む。警戒すらしないのは、慣れているいつもの仕事だからだろう。気付くこともなく目の前を通り過ぎていく男の背中に、魔力を乗せた拳で殴り掛かる。アルもまた、同じように殴っていた。男たちは声も出さずにその場に昏倒した。


 倒れた男たちを一瞥し、すぐに閉じかけた扉に手をかける。


「ん? どうかしたのか?」


 薄暗い部屋の中から突然伸びて扉を掴んだ手に、閉めようとしていた男の一人が声をかける。

 だがもちろん問いかけに答えるわけがない。

 そのまま勢いよくこっち側に引く。扉は大きく開かれ、閉めようと扉に手をかけていた男たちは前のめりに踏鞴たたらを踏んで部屋に入ってきた。


「ぐはっ」

「……っ」


 何が起こったのか気付く間もなく、男たちがその場に崩れ落ちる。


「チョロいな」


 さっきと同じように、二人とも難なく昏倒させることができた。


「喋ってる暇はないぞ。そいつらを部屋に引きずり込め」

「分かってるって。リクは小姑みたいだな」


 アルがぶつぶつ言っているが知らん。二人で転がってるアルハラ兵を引きずり、そこら辺にある空いた魔獣の檻に押し込めた。


 いっそ殺せば楽なんだろう。だが、無事逃げ終わった後のことを考えると、極力血は流さないほうがいいような気がする。そう、作戦を立てるときにみんなで話し合った。その時はシモンやカリンもいて、無事脱出した後は彼らもまた、いろいろと手伝ってくれる予定だ。

 シモンによると、民衆を味方につけるには俺たちは後ろ暗い所がない英雄でなければならない。少なくとも表向きは。


 それに甘いと言われるかもしれないが、今はさほど不安はない。

 こいつらを殺さなくても、無事逃げ切れる気がしてるんだ。


 侵入の発覚を遅らせるために、角牛の檻を舞台の方に押していった。

 舞台に繋がる通路には、一方向にしか開かない扉がある。車輪のついた重い檻をその通路のところまで運び、檻の扉を開ければいきり立った魔物は通路に向かって突進する。魔物の突進で開かれた扉は通り抜ければ自然に閉じ、出口のない舞台の上で走りまわるのだ。

 檻に入っていた二頭の角牛の登場に、観客がどよめく。

 いつもこうして、しばらくは魔物の好きに舞台上を走らせておき、別の扉から剣闘士が登場する手はずになっていた。

 観客席は魔法である程度安全を確保されていて、普段見ない野性味あふれる魔物に興奮して大歓声がおこる。


「ここは、これでいい。今のうちに剣闘士に接触するぞ」

「オッケー。さっさと行こうぜ」


 薄暗く臭い魔物部屋から明かりのついた通路へと、武器を握りしめて足を踏み出した。

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