第29話 船乗りの毎日
海水をくみ上げて甲板をデッキブラシで洗い流すと、海が泡立った。よく見れば大小様々な魚が船の周りに集まっている。
さっきまで甲板にあった巨大なクラーケンは、あっという間に解体され、鮮度が落ちないうちに船倉に入れられた。
シモンはクラーケンの解体を船員たちと一緒に手伝い、今はポチと一緒に冷凍の魔法で船倉を冷やしている。船の下部にある船倉はとった獲物を新鮮に保つために断熱効果の高い作りになっているそうだ。一度全体を凍らせておけば、あとは帰港するまで時々冷凍魔法をかけるだけでいい。
そこはシモンとポチで手が足りるらしいので、レーヴィは俺と一緒に甲板の掃除をしているところだ。甲板の上に散っている解体した後のクラーケンの、食べられない部分は海に投げこむ。そうすると、それを目当てに魚が集まってくる。
休憩時間らしきゲルトが、仲間の船員と一緒に釣り竿を持って近寄ってきた。
「よお、甲板の掃除はこれくらいでいいだろ。船が動き出す前に、軽く船内の掃除も頼めるか?」
「ああ、分かった」
「はい。分かりました」
一緒に掃除していたレーヴィも頷く。
先ほどまでの戦いの跡は、きれいに洗い流された。足を伸ばせば人の背丈の二倍はあったと思われる魔物だが、クラーケンの仲間の中では小型らしい。
それでもこんな近海でこの大きさのクラーケンがとれるのは珍しいらしく、幸先のいい漁のスタートに、船員たちはご機嫌だ。余暇を利用してこれから釣り上げる魚が、俺たちの晩飯になるのだという。うまい魚を釣り上げるよう、期待しておこう。
「掃除は適当にすまして、休めるときに休んどくんだぞー」
「釣りがしたくなったら甲板に来いよ。がはははは」
俺とレーヴィは船内の掃除を簡単に済ませたら体を洗って、三人でのんびりと過ごした。船はいつの間にか、静かに移動を始めていた。
今後の予定を聞くと、夜の間は船をゆっくり進めて、明日の早朝からまた次の漁場へ半日ほど高速運航するという。それを繰り返して五日間ほど進んだ場所が、最終目的地の漁場だ。
そこには高値で取引される高級クラーケンが生息しているらしい。
変わり映えもしないが外の景色を見に出ると、レーヴィも甲板でじっと海を見つめていた。
「レーヴィさんは、魔法使いだったのか。さっきはなかなかの威力だったな」
「いえいえ、リクさんほどではありませんよ。身体強化を使う人は珍しいですね」
「……ああ。昔から得意なんだよ」
「得意技があるのは素晴らしい事です。私など特に優れた技もなく、どれも平均的ですから」
気さくに話しかけてくるレーヴィに、どうしてこの仕事を請けたのかと聞くと、大陸に渡る金を稼ぐためという。「大陸にどうしても会いたい人がいるのです」そう言ったレーヴィの複雑な表情に、人間だれしも事情があるもんだと頷いておいた。
◆◆◆
晩飯は、料理の得意な船員によるクラーケンのスープとガブリの塩焼きだった。
ガブリは魚型の魔物のうち見た目がグロテスクで商品価値の低いものの総称だ。売り物にならないわりに、釣り糸を垂らすとよく引っかかるので、漁師たちにはすこぶる評判が悪い。
しかし釣り糸を垂らしたらすぐにガブリと食いつくので、こうした長期航海の食料の確保にはいい。暇つぶしにもなるので船員が手慰みに釣っては食べるのだ。
「このガブリは特別うまいんだぜ。けど活きがいいから、さっきも腕を食いちぎられそうになっちまったぜ。ほら!」
同じテーブルに寄ってきたゲルトが、腕の噛み傷を見せてくれた。どうやら釣り上げた時のバトルでミスってケガをしたらしい。
「はっはっは、ゲルトをガブリと噛んだやつを、今度は俺様がガブリと食ってやるぜ」
「ちいせえ頃はガブリを見て泣いてたから、こいつ船乗りになれるのかって思ってたけどよ。ゲルトも一人前になったもんだ。がははは」
「やめてくれよ、すぐそうやって昔の話を!」
船員の中で一番年の若いゲルトは、フォークを振り回しながら怒っていた。
この船の船員は船長の親戚ばかりらしく、ゲルトも小さいころから叔父たちに揉まれて育ったようだ。いくつになっても、こうしてからかわれるんだろう。船長も隣のテーブルで大笑いしている。
今日のクラーケンのことやその後の釣りのネタなど、わいわいとみんなで盛り上がって、いつの間にか俺たちも昔からの仲間のように笑いあっていた。
出されたガブリは輪切りにして塩で焼いてある。切ってあるから、グロテスクだという見た目は分からなくなっていて、白く柔らかそうな身がうまそうだ。茶色いソースがかかっている。口に入れると少し酸味があって、淡白なガブリの味によくあっていた。
「何だか、ちゃんとした宿屋で食べる食事のようですね」
「お、シモン、もしや食通だな?このソースはネヴィラでもかなり有名な宿屋から買ってきたソースなんだぜ」
「へえええ、そうですか?」
「長いこと船に乗ってると、どうしても食いもんが単調になるだろ?だから調味料には金をかけろって船長の主義なんだ」
「ほう、そうなのですか」
「なるほどな」
確かに自慢げに言うだけあって、そのガブリの塩焼きはとても美味かった。
そしてクラーケンのスープだ。綺麗に切り落としたところは商品になるから食べられないが、戦いで傷付きすぎて商品にならない部分がある。それはこうして戦いの後の食事に出される。
今は香辛料をたくさん使ったスープの中に入れられている。
クラーケンは高級料理らしく、俺は生まれて初めて食べた。刺激的な味のスープの中に、コリコリと歯ごたえの良い白い身が、これでもかというくらい浮いていた。
「くあ?くええええっ。くえっ、くえっ」
「ポチ、そんなに興奮するなよ」
「いや、さすがだなポチ!お前、ちゃんと味のわかるやつだよ。このクラーケンは青クラっつってな、黒クラよりも柔らかくてモッチリした歯ごたえがいいんだ。この辺の海域で青クラがとれるなんざ、運がいいぜ」
クラーケンにもいろんな種類があるのだそうだ。
「だいたいこの辺りの近海でとれるのは黒クラっつって、色が黒くて大きさもせいぜい人の背丈くらいだ。身が固くてそのままじゃあ食えねえから、干物にするんだと」
「へええ、干したらもっと固くなりそうですけどね」
「それをなんかややこしい料理にしたらうまいんだそうだ。俺たちの口には入らねえ、上品な料理らしいぜ。その代わりに俺たちはこのうまい青クラを食うがな!」
そんな話を聞きながら、固いパンをクラーケンのスープに浸して食べるのも良いものだ。
そのうち船長が操舵室に行き、代わりに舵を握っていた船員が食堂に戻ってくる。美味そうなスープの匂いを嗅いで、歓声を上げて。
こうして交代しながら夜通し船を進めるのだそうだ。
やがて楽しい宴会の時間も終わり、「お前たちも寝られるときに寝ておけ」と言われて、船室へと追い立てられた。
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