第6話 ジーナの実

「ほんに、愚かよのう。せっかくここまで逃げてきたというに。……私のことなど放って自分だけ逃げればよかろうに」


 暖かく柔らかい感触が俺を包む。

 遠くで涼やかなアルトの声が聞こえた気がした。もう少し、もう少しこのまま、この暖かさを感じていたい。だがそんな俺の願いは虚しく、意識はまた闇に飲まれて……。



 ◆◆◆



「くああっ、くああっ」


 変な鳴き声をあげて、俺の右頬をぺちぺちと叩くやつがいる。


「……ん、なんだよ。やめろって」

「きゅ。くええ!」

「わかんねえよ!」


 目を開くと間近で、真っ白い子狐が俺の顔を覗きこんでいる。


「なんだ……俺、生きてるのか」

「くえっ」

「そっか。いて、いてて」


 体中がみしみし音をたてるような痛さに、悲鳴が出そうになるが、どうやら生きているらしい。付けている胸当てはボロボロだ。あの衝撃を受け止めて生きているなんて、信じられない。体を確認すると、腕や脇腹に何か所も裂傷があるが、幸い骨は折れていないようだ。よく見れば裂傷は早くも治りかけている。もしかしたらポチが助けてくれたのかもしれない。


「そうか。お前も魔王のふりをさせられるくらいだ。治癒魔法くらい使えるかもなあ」

「ぐああー」


 まだ痛む身体に息を詰めながら、起き上がってポチをつまみ上げる。


「お前が助けてくれたのか。ありがとな」

「きゅ。くえっ!」


 ポチは自慢そうに鳴きながら、足をジタバタさせた。


「よし。元気が出てきた。さて……」


 見上げると、戦っていた時と変わらないくらい日はまだ高い。それなりに長く気を失っていたんじゃないかと思うのだが。もしかしたら丸一日、そのまま寝ていたのか?

 辺りは嵐の後のように荒れている。地面には穴が開いているし、木々は倒れている。カプロスがやってきた方向は、すっかり見通しがよくなって明るい。

 巨大なカプロスの死体が、すぐ近くにそのまま倒れている。走っている時に緩んだのだろうか、俺の大剣はカプロスの脇腹から抜けて、そばに落ちていた。


 腕の中でジタバタと暴れているポチを離してやると、くええっ! と叫んでから川に走っていった。

 俺ものどが渇いたな。川の水は程よく冷たくて、ついでに顔を洗うと頭もすっきりする。剣を拾って、血を洗い流す。この大剣は、今俺が持っている唯一の財産みたいなもんだ。


 さて、これからの事だが、ここには水もあるしデカいカプロスはこのままだと動かせない。今日のところはここで野営して、ついでにカプロスを解体すればいいだろう。この巨体を一人で解体するのは骨が折れるが、どうせ全部は食べられないのだから、肉は食べれるだけ取ればいい。さいわい、剣の刺さった位置がよかったらしい。カプロスの腹の傷口の下には大きな血だまりの跡ができていて、血抜きの心配はなさそうだ。

 カプロスのような魔物の肉は、魔力をたくさん含んでいるからか、食べると疲労が回復するのが早い気がする。そしてカプロスの肉はうまい!


 肉の事を考えると、俄然気分も盛り上がってきた。

 まずは明るいうちに、たき火の準備だけはしておこう。ついでに森の中で食べられる木の実でも見つければいいのだが。


「ポチ、一緒に森の中に散歩にでも行くか?食い物があるかもしれねえぞ」

「くええ!」

「ははは。お前も腹減ってるんだな。カプロスの肉、食っとけばよかったのに」

「ぐええ……」


 ポチと並んで、薄暗い森に入る。森のなかには、太さが一抱えもあるような木もちらほらとあって、さすがにそんな巨木はカプロスも避けて走ってきたようだ。

 太い木の隙間を埋めるように細い木が生える。さらにその間に俺の背くらいの低木の藪が茂っているので少し奥に入れば、帰り道が分からなくなりそうだ。川からはあまり離れないように、気を付けながらその辺を歩き回る。


 その辺には薪になりそうな枝がたくさん落ちていた。木にも実が生っているものがいくつもある。そしてその中にはなんと、ジーナの実があった!

 ジーナの実はこぶし大ほどの大きさの赤い実だ。歯ごたえがあって甘酸っぱくて、とにかくおいしい。子どもの頃は、貰ってうれしいお土産のひとつだった。ジーナの木は俺達が住んでいた森には生えていなかったんだ。ごくまれに、大人たちが町に買い出しに行ったので、その時しか食べられない特別なご馳走。

 それがなんと、今、俺の目の前に鈴生りに生っている。もう熟れている真っ赤な実もあれば、まだ小さな黄緑色のものもあるから、当分のあいだ、ここに来れば好きなだけ食べられそうだ。

 早速枝からもいで、ポチにとってやる。


「ほら、ポチ。ジーナの実だ。美味いんだそ。あ、食べられるかな」

「くえっ」


 ポチはしっぽをブンブン振りながら、前足で実を押さえて噛りはじめた。

 もう一つもいで、俺もかぶりつく。


「うめえっ!」

「くええっ!」


 それからしばらくの間、俺とポチは夢中でジーナの実を食べまくった。食べ物を口にしたのは魔王城に突入する前以来だから、すきっ腹にうまさがしみこむ。一気に三個食べて、ようやく一息ついた。

 落ち着いて周りを見れば、他にも食べたことのない実がいくつかある。うまそうには見えるが、食べられるかどうか分からないし、もう少し回復して元気な時に試してみようと思う。

 と、俺は思っていた。

 だがジーナの実を食べ飽きたポチが、俺のズボンを噛んで引っ張って、一本の木の前に連れて行く。


「くあっ」

「何だ?これか?」


 その木には、俺が手を伸ばしてようやく届くか届かないかの高さに、親指くらいの細長い黄色い実が房になっていくつも生っている。

 手を伸ばしてひと房千切ると、ポチが俺の腕に飛び込んできて、そのまま房ごと木の実にかぶりついた。


「くええええっ!きゅ!きゅ!」

「何だよ、そんなにうまいのか?」

「くえっ」


 ポチに促されて、恐る恐る一粒口に入れてみる。

 つるっと滑らかな黄色い実は弾力があってプルンプルンだ。かじるとびっくりするほど甘い汁が口に広がった。房に付いている根元のあたりに大きな硬い種がひとつ入っている。その種はペッと吐き出して、二つ目の実に手を伸ばした。


「何だこれ、うめええええっ」

「くああ、くえええええっ」


 ポイっと丸ごとその実を口に放り込んでは、種だけペッと吐き出す。俺を見て、何か楽しそうだと思ったのか、いつの間にかポチも種をペッと飛ばし始めた。

 口の中で噛みしめれば、薄い皮には少し渋味がある。それがまた、ちょうど良いアクセントになっていた。

 ひと房をポチと仲良く分け合って完食。さらにあと二房千切り、今夜の野営場所に持って帰ることにする。


 野営場所はカプロスの死体からは少し離れた川沿いにした。浅い流れの中に石を積んで小さな囲いをつくり、その中にとってきたジーナと黄色い実を入れる。こうしておけば冷えて、さらにうまいはずだ。

 もう一度森や辺りを歩き回って、今度は手にいっぱい枯れ枝や木の葉を集めては、野営場所に持ってくる。さほど遠くに行かなくても、それを数回繰り返せば充分なたきぎが手に入った。


 薪が集まったら、次はいよいよカプロスの解体だ。肉を食べるだけなら良いが、できれば皮も剥いで取っておきたい。木の実を口にして、腹も満足だ。明るいうちに解体が済むよう、頑張るか!





ーーーーーー

子狐さん語の訳

「くえ」 肯定 そうそう

「きゅ」 自慢げ どうよw

「くあ?」 疑問 ん?

「くあああ」 どうすんだよお

「ぐえ」 否定 違う~

「ぐええええ」 ちがあああああう!

「ぐああ」 混乱 うわあ……


だいたいこんなイメージで書いてます。当てはまってないこともあるけど!

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