第4話 転移
金目の物は、結局全く見つからなかった。いや、あとひとつ、この部屋に落ちている、というか壁に突き刺さっているものがある。少女の持っていた武器だ。俺の身長の倍近くも長さがある槍斧、ハルバード。戦闘用に頑丈に作られている壁を突き破って、折れたり曲がったりもしていない。切れ味も鋭く、そばに寄ってみれば立派な模様が彫り込まれている。売ればかなり値の張るものだろう。
だが、しかしだ。
さっきの気持ちの悪い角を見た後だ。あの魔王少女が手にしていた高性能な武器。とんでもない仕掛けがないとも言えない。手に取ったとたんに、うねうねと赤黒い繊維が……。
やべえ。そんなもの持っていく気分になれないというのが本音だ。
まあ、金目のものがなくても、どうにかなるだろう。行く先がどんなところかは分からないが、ハルバード一つ分くらい、肉体労働でもしてすぐに稼いでみせるさ。
「じゃ、いくか」
「くえっ」
「それにしても、ここ、誰も来ねえな。見張り置いとかなくても大丈夫なのか?」
「きゅ、ぐえー」
「分かんねえよ。まあいいさ。こんな場所、さっさとおさらばだ」
子狐は俺の左腕に抱かれて、大人しく良い子にしている。俺は右手に大剣を持ち、転移陣の中心に立つ。転移先ですぐに対応できるように全身に魔力を巡らせ強化してから、そっと転移陣にも魔力を流してみた。
ふわっと、軽く浮き上がるような気がするのは、ダンジョンの転移陣と同じだ。浮遊感はあっという間に終わり、いつの間にか目の前の景色が変わった。
腕から子狐が飛び降りて、俺の横に。俺も油断なく、素早く辺りを確認する。ぐるりと三百六十度見まわすが、木、木、木。見通しの悪い深い森の中に転移してきたらしい。ぱっと見たところ、差し迫った危険は感じられない。
澄み切ったみずみずしい空気がおいしいな。これは、なかなかいい場所に転移してきたような気がする。
足元には森に不似合いな綺麗に磨かれた石が置いてあり、城の中とほぼ同じ模様の転移陣が見える。ということは、この転移陣を壊してしまえば、城からの追手は来れないわけだ。
「そうか、よし。これを壊そう」
「くええっ」
子狐も同意したようなので遠慮はしない。
そばに落ちている身の丈ほどもある大きな石。全身に魔力を巡らし、その石に抱きつき、ぐぐっと力を入れる。ミシミシと音がして、石が持ち上がった。
「そーれっと」
巨大な石を長い時間支えるのはつらいから、さっさと転移陣に向けて投げつける。
ガッ!
大きな音と、ドスンという振動が森に響き、転移陣は巨石の下敷きに。巨石からはみ出している部分にも亀裂が入っているので、転移陣としてはもう機能しないだろう。それは同時に俺がもう、ここから魔王城へは戻れないことも意味している。
人の気配すらない森の奥深くではたして無事に生きていけるのか……。
「しかしまあ、人の住む町に出るよりは、余程ましだな。アルハラの王都になんぞ出たら、即刻奴隷に逆戻りだ」
「きゅ」
ふうっと大きく息を吐いて、俺はその場に座り込んだ。その時初めて、顔のやけどがずきずきと痛むことに気付いた。
魔王との戦いが終わってから、ほとんど痛みを感じることもなくここまで来た。自分ではのんびりと玉座の部屋で過ごしていたように思っていたが、やはりそれなりに気は張っていたのだろう。休むには不便な湿ったデコボコな地面だが、こうして人気のない森の中の方が余程人族や魔族の住処よりは気が休まる。そして安心したら痛みの感覚が戻ってきたらしい。
「しっかし、どうすっかな。この傷、結構ひどいぞ」
「ぐああー」
「ああ、いいって、いいって。落ち込むなよ。おまえこそ、頭の傷は大丈夫か?」
「くえっ!」
「そうか。もう血も止まってるしな」
少し離れたところにごく浅い、水がちょろちょろと流れている岩だらけの川がある。水をすくうのも難しいくらいの浅さだが、綺麗な透明な水なのできっと飲めるだろう。急に重たくなった体に鞭打って、そばに行ってまず顔を洗った。
左の瞳の周りの皮膚がドロッと
「これはやべえ」
「ぐああ」
「治癒系の魔法は苦手なんだ。でも自分の身体ならどうにかなるか」
今度はゆっくりと、用心深く傷跡を洗い流して、ついでに少しのどを潤してから、体内の魔力を左目のまわりに注いだ。魔法というのがどんな仕組みなのか、俺には分からない。ただ、俺たち一族は生まれつきの勘でというか、普通に手足を動かすように自然に体内の魔力を動かす事ができる。それは人族には難しい事のようだ。
人族の治癒魔法は他人に対して、外から魔力を流し込む。火傷や切り傷などの外傷に対して効果が高い。それは目で見て行う治療だからかもしれない。
俺たちの場合は自分で体内魔力を使う治癒が多い。ふだん無意識の時は、魔力は身体の中心で大切な臓器を守ってくれる。意識して動かした魔力は、集中させた場所を強化するので、その応用で、活性化させ、怪我の治りを早くすることも出来る。
もっともこれだけの火傷だ。元通りと言う訳にもいかないだろうが。
一時間ほどそうしていただろうか。目の周りから頬にかけての皮膚が再生し始めて、触った感覚が分かるようになった。傍では子狐も浅瀬でじゃぶじゃぶと体を洗い、頭の傷をぺちぺちと前足で叩いては、ブルルッと震えて水を弾き飛ばすのを繰り返していた。
可哀そうに、角のあった位置は毛が抜けて傷になっていたが、それも何度か洗ううちにふんわりとした周りの毛に隠されて目立たなくなっている。
「おお、お前さんも綺麗になったじゃないか。そういえば、いつまでもお前って呼ぶのもな……。名前、何だったかな?」
「くえっ」
「さっき戦ったとき、何か名乗ってたよな?」
「きゅっ!」
「……すまんな、忘れた! しょうがない、ポチって呼ぶか。お前、今日からポチな」
「くああああっ!ぐえー」
「ははは、怒るなって、噛みつくなよ。狐になったからもう分かんねえだろうけど、一応俺の名前も教えとこうか。リクハルドってんだ。長いな。リク、リクでいいや。よろしくな、ポチ」
何故か怒ってガジガジと腕に噛り付く子狐に、笑いながらポチ、ポチと名前を連呼してやった。
そういえば、自分の名前を名乗るのも久しぶりだ。
十五の時、森で人族に見つかってから十年。もう十年も自分の名を口にせず、誰から呼ばれることもなく、ただ名もなき奴隷として過ごしてきた。
戦いに適性のあった俺は、勇者候補として鍛えられることになる。闘技場に放り込まれ、魔物や人と戦わされていた。自分の意志とは関係なく、戦わされていた。
ああ、久々の自由だ。
名前を好きに名乗れる。
そして、戦うことすら自分の為だ。
「下がってろ、ポチ」
大剣を手にもって、立ち上がる。足に、腕に、そして目とその周りにも魔力を注ぐ。痛みは遠のいた。
「ブモオオオオッ」
遠くから木々をなぎ倒しながらこちらに突進する奴を、しっかと見据える。
イノシシかと思ったが、それにしては大きく勢いもありすぎる。魔獣だ。
目の端でポチが隠れたことを確認して、改めて魔獣に向き合う。イノシシそっくりだが俺の背よりも高く、デカい。ドドドっと音をたてながら突進するそれは、まるで山が襲い掛かってくるかのようだ。
「カプロスか、面白い。お前の仲間なら、闘技場で何度も倒したぞ」
さあ、戦いの時間だ!
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