第三十四節 素人と、玄人と。 その二




 一方、同時刻の蒼海ソウカイ学院中等科の屋外練習場は、異様な雰囲気が支配していた。


 新入生八名を除く、総勢一五六人が強制的にかき集められ、深歳ミトセに向かって雑多に並んでいる。その事実に対し、特に深歳はとがめ立てる事はしない。


「正気なんですか先生ッ。入ったばかりの一年に、部長職どころか、選抜権まで与えるなんて!」


「保健の新任先生さんよォ。そんな事を勝手に決められちゃ困るんだけどなァ」


「今までの伝統ってモンがあるんだ。新参者にイイようにされて、おれ達が黙ってるわけないだろ!」


「そォそォ。アンタはが言う通りに大人しく飾られてろよ」


「何、頑張ろうとしてんのさ。今までの顧問みたいに、痛い目に遭いたくないだろ?」


 主に、前列に陣取る部員が、口を開けば年長であるはずの深歳に対して、暴言の数々を放っている。

 奇しくも、甥と同じ内容の発言を彼ら、一五六人に宣言したからだ。全国を目指すための布陣を一新すると。


「うるせぇぞ。このクソガキ共。のやり方が気に入らないなら、出て行けって言ったろ? 趣味や特技の紹介で、庭球が出来るって言いたいだけなら、その辺の有料練習場に行きやがれ」

  

 深歳の唐突な態度や口調の豹変に、あれだけ語彙ごいを繋いでいた彼らは、口々に波を立てる。動揺を広げ、やがて閉口した。


「俺達は、今から庭球をやる。上手い下手なんざ関係ない。庭球を心から楽しんで、その先にある、誰にも負けたくないと発する向上心。二度と戻らない貴重な時間を、全国を目指す志しのために費やすんだよ」


 そこには、現役時代にも劣らない胆を決める深歳の姿があった。


「ハ、ハハッ。いつもの媚び媚びの敬語はどうしたんだよ、え? オッサン」


「礼儀知らずに、礼儀を通しても意味ないだろ。少なくとも俺は君達より年長だし、人生経験もある。教える立場にある。なのに君達の態度は、俺に教えをうものではない。それ以前に、教えを請う気もなさそうだ」


 深歳の挑む強い視線に、部員達は呑まれて動けない。今までの緩み切った態度とは一転し、まるで別人だった。


「別に構わない。肩書きだけ、覚えが良いだけの指導者なんて珍しくないし、君達にも選ぶ権利くらいはある。だが」


 言葉を、わざと区切り息を溜める。彼らの辿る時間の前方を知る先駆者は、意地悪く脅しを込め、声を、表情を作って語り掛けた。 


「この先、逃げられない状況なんて多々ある。選択すら出来ない事も待っている。君達、その時、どうするつもりなんだい?」


 世界をる深歳の語り口は、下手な役者よりも伝達力があった。


「選択の余地がない場所でも、決して諦めず、最善の結果に導く方々なら、私は存じ上げていますけれどね」


「オイオイ。いつまでワケ分かんねー事を並べりゃ気が済むんだ?」


 いだ人波から声が立ち、声音こわねの発生源に向かって視線が集まる。


「説教でも、やってるつもりなのか? 監督さんよ」


 そこには部活着ではなく、だらしなく詰め襟の制服を着崩す部員がいる。その隙間から見せ付けるのは、年令に合わない高級で有名な装飾品の数々。


 当然、校則違反だが咎められもせず、過剰に身に付けていられるのは、中等科五年生・穂方ホガタ鷹尚タカナオだった。


 周囲には、同じく着崩し姿勢も態度も悪い取り巻きを控えさせ、一角だけが異様な世界を構築している。


「おっかしいなァ。俺、説教なんてしたか? 今から庭球やるから、用がない奴は出て行けって言ったんだよ」


 庭球部の〝シキタリ〟の守護者・穂方は気に入らなかったらしい。今の今まで同級生に始まり、教師さえも顔色を伺う穂方を前に、深歳の態度は変わらない。


 穂方は、憤懣ふんまんやるかたなし。そうなる気配を感じた気配を立てる取り巻きが、深歳の強硬な方針に言及げんきゅうする。


「監督さん。知らないはずないだろ? シャートブラムさんや、穂方さんの前で、よくもそんな口が利けるよな。シャートブラムさんは、ルブーレンでも大貴族に名を連ね、穂方さんの所は、国土行政執行・教育部門の要人だぞ? しかも、この蒼海学院の常任理事と、運営委員長も兼任している」


「もう首が飛んでるんじゃねーの? おれの家も黙ってねーけど」


「わざわざ、聞いてもいない説明をしてくれて感謝するよ。所で、それって親の肩書きだろう。君達自身は?」


 深歳は、まだ平然と言い放つ。白を切っている訳でも、向こう見ずでもない。


 声も姿勢も、震えずに立っていられるのは別の支えがあるのだと、悪態をつく彼らは想像する事も投げ出しているようにも見える。


 親の威をかざし、何の代償も払わず、努力も放棄した上で、その全てが手に入ると信じて疑わない彼らの姿。それが、滑稽かつ哀れに見えて仕方がないと思われる深歳は、小さく息を吐く。


 この憐憫れんびんの吐息だけは、彼らは聞き漏らさなかった。


 尊大に振る舞う事を、誰にも止められなかった彼らにとって、唾棄だきに等しい侮辱ぶじょく


「調子に乗るなって言ったよな」


「穂方さん。〝シキタリ〟を実行しても、かまいませんよね」


一々いちいち、聞いて来るなよ。おれが指示してるみたいじゃねーか」


「す、済みません」


「勝手にやれよ。好きなだけな」


 淡い茶色に染め上げた自慢の長髪を、穂方は掻き上げる。その表情は本来の立ち位置を取り戻し、稚拙ちせつな支配欲に浸っている様子だった。


「ハーイ!」


「アリガトウゴザイマース!」


 餌を前にした猛犬の鎖を手放したような響きを乗せ、穂方は取り巻きをけしかける。取り巻き達も、歪んだ感情を満たすために、深歳との間を詰めた。


「あはは~。芸のない事ですね。一体、どのようなしつけをしていらしたんですか? 穂方さん」


 態度を戻した深歳の声に応じて、その背後で気配が立つ。仕立ての良さだけが浮き上がる、中肉中背の壮年後半の男が姿を現す。 


「え? と、父さん?」


鷹尚タカナオ。お互い、やり過ぎたようだな」


 下品なくらい自信家だった父親は、彼の記憶にない程に毒気を抜かれていた事だろう。青白い顔と憔悴しょうすいした表情で息子の姿を、その濁った目に映す。


「この学院内で、人事異動があってな。父さんは、もう、この学院には席がなくなった」


「は!? いきなり何だよ。冗談だろ?」


「簡単な話しですよ。責任を取ってもらっただけの事。どうにも、揉み消せない事態が起きたようですね」


 深歳の笑顔は、いつのもゆるんだ表情ではなく、勝負で叩き伏せた圧倒的な優位の色を含んでいるように思われた。


「あの〝群狼グンロウ〟が、ヘマしたってのか! 何だよ、使えねー連中だなァ!」


 突然、穂方鷹尚は非日常的な単語を吐き出した。


「君が語る〝群狼グンロウ〟とは、何を差し示しているのだろうか」


 単語をなぞる蠱惑こわく的な声も、突然に現れた。





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