第三十二節 狼の懐。




「もしかして、あの練習試合後、蒼海ソウカイ学院に戻ったの?」


「うん。伝達事項もあったからな」


「な~んか、コソコソしてると想ったら、まさか庭球部の部員になっていたとはね。敵同士じゃないかぁ。ねぇ、僕の事キライなの?」


 大粒の黄金色の双眸そうぼうに、たっぷりと悲壮感を込めて士紅シグレに語り掛けるのは、連堂学園中等部の屋外庭球場にいた、八住ヤズマセンだった。


「暗に隠していた訳でも、嫌いな訳でもないよ」


 声の主は、香りも高く適温のサッパル種の茶葉を堪能たんのうする事が出来た。


 最高の時間を満たす白磁のティーカップを、青縁のソーサーに音も立てず戻した士紅が、表情もなく応える。


 旋はその言葉に満足したのか、愛想とは無縁。本音満載の、甘い笑顔で崩れた可愛い顔になる。


 軽く波を効かせ横に撫で付け、焦香こがれこうの色が混じる黒髪を揺らす。

 旋は、しなやかで細い身体を椅子に座ったまま、上半身を左右に動かし収め切れない感情を、あふれさせていた。


「顔がゆるみ過ぎだぞ、旋。常に視線を意識しろ」


 同じ席に着き、帰宅後も着衣の乱れが一切見当たらない。社会人としての身嗜みだしなは、公式経済圏コウシキケイザイケンにおける模範的な規則正さだと、会う相手に褒めめられる機会が多い青年が、手厳しく旋を注意した。


 一九二リーネル(約、一九二センチメートル)の長身により、商談は運動競技関連から始まるため、慣れた掴みとして心得る。

 加えて、堅実と誠実を絵に描いた容姿により、元劇団員か役者なのかと問われる事も多々あった。


 清潔感が漂う短く整えた髪型は、量が多く陽を通す事の無い黒。同じ色の双眸そうぼう。濃い眉と、上下を彩る濃い睫毛まつげが、見る者に印象を残すのは八住ヤズマカイ


「うっ。御免ごめんなさいって、何だよぉ。士紅が蒼海に行くって知ってたら、僕も蒼海に行きたかった」


「道理が判らない歳ではないだろう。旋とリツは、連堂に在籍してもらわないと困る」


「はぁ~い」


 士紅の冷めた声に、旋は演技のように打ちひしがれた。


「懐かしい面々に会えただろう?」


「っははは。学年が少し違うけれどね。まさか、山都ヤマトと同級生になるとはね~。恩村メグムラ先輩は、今度こそ表舞台に立てたみたいだし。うん、善かった」


「そうだな」


「士紅。何故、律は芸学科なのですか。この際、庭球部に入れて楽しく過ごせばよろしいのでは?」

 

 水を向けるように名を話題に入れられ、少々緊張を走らせたのは八住ヤズマリツ

 廻と同じく、陽をも取り込む黒髪だが、細くしなやかな髪質は、乙女のそれ以上の艶を放つ。首の後ろで束ねた黒の絹布は、腰の先まで伸びる。


 手元に小分けされ、宝石小箱の如くの菓子皿に視線を落とす、水色の双眸そうぼうが配される面は、紅顔こうがんの美少年を逸脱いつだつする。


 一見、異性に不自由がないように見えるが、現実は、律の周囲に人は寄って来ない。自らの容姿に自信を持つ生徒ですら、律と並べば添え物にも劣ると、第一に判断出来るからだ。


 その律の隣に席を構えようと、全く見劣りせず、何も動じない士紅は、廻の話しを受けて応える。


「庭球がやりたければ、後で幾らでも教えてやるよ。だが、まず律にはがくに触れてもらう。暴れて総てが済むと想われては困るからな」


「はい、申し訳御座いません」

  

 声を掛けられ、顔を上げて士紅を見た律は、水色の視線を差し、固定してしまう。


 視界に気付く士紅が、話題を掴む。


「この手の怪我はなくなるよ」


「本当なの~? ちゃんもも、毎日毎日、各方面に怒鳴り込みに行こうとして、止めるの大変だったんだからね」


 当時を想い起こしたのか、旋は大粒の金色に腐心ふしんを浮かべる。


「悪かったな。もう大丈夫だろう。明日には動きがある」


「それはそれで嫌な気分。僕を頼って欲しかったのに」


「領分だよ。領分」


 頃合をはかり、口調も堅く廻が話しを挟む。


「その件は得心しましたが、〝小細工〟とやらは続行されるのですか」


「何だよ。また殴られたいのか」


 一同は、植物の意匠いしょうを豪奢に着飾る、シシュトーブ王朝期の椅子に座している。それでも、明らかに身長差がある相手に対し、士紅は不機嫌そうな似紅色にせべにいろすがめ、圧倒する。


「申し訳、御座いません」


「これくらい勘弁かんべんしてくれよ。〝別件〟もあるが〝小細工〟しないと、発汗や息の切らし方が


「心配だな~」


 士紅をうかがう表情が、子猫に似た雰囲気になっている旋が言う。


「応えが、殴られて終わる質問は、まだあるのか?」


「止めてっ! こんなに可愛い僕達を殴るなんて、どうかしてるよ!」


 覚えがあるのか。旋は両手で両頬を覆い隠し、声を張った。


よろしい。早く休めよ」


 言いつつ、席を立った士紅に、慌てて旋が呼び止める。


「えっ、もう寝ちゃうの!?」


「当然だろう。規則正しい寝起きが出来ずして、健全な心身を培う事など叶わない」

  

 有無を言わせず、士紅は立ち去る。途中、給仕をしてくれた使用人、に二言三言を交わし、丁寧にその場から辞した。

 士紅の姿を見送り、残された三名は居住いずまいを正す。


 彼らが視線を一つ動かせば、その先には価値も付けられない歴史の至宝が視界を支配する。床や壁の造り、装飾、調度品、食器、飲食物すら、おのが出自を主張しているようだった。


 一〇〇名を越える専門家が、総てを維持するために矜恃きょうじもって実働している。


 ゲーネファーラ家の使用人を、一年でも勤め上げた経歴を持つ者は、どこの貴族の使用人にもなれる。十年勤め上げたのなら、王侯が直接声を掛け引き抜きに来る。


 そう、揶揄やゆされるまでに身元調査を徹底的に調べ上げられる。その上、ルブーレンで最も洗練され、厳しい所作を叩き込まれる礼作法は、フィニシングスクールや伝統校をも凌駕りょうがすると有名だった。


 故に、領主館マナーハウスでは、大貴族の子弟達が、お仕着しきせ姿で働く姿を見受ける事が出来る。


 そんな主が継いだ連綿の歴史を堅持し、主を支え、主が招く客人に、最良の時間を提供するために存在する空間の一つ。


 ホゼカのランテナ区に、広大なきょを構えるリュリオン別邸・青の屋敷。


 主の名は、フォーヴハンス=ウェリエ=ゲーネファーラ。祖国、ルブーレンの歴史文化のみならず、公式経済圏コウシキケイザイケン・モルヤンの根底を支える大家に名を連ねる存在は、各界の中にあって絶大な発言権を持つ。


 種属も、血縁も無い彼らを〝八住〟の籍に縛り、モルヤンと言わず現在、一番安全な場所に囲う者がいた。

 全権力を傾け護り慈しむ、養父ようふが繋ぐえんにより、〝八住ヤズマ兄弟〟は、この屋敷で寝食を重ね、屋敷の主を後見人としている。


 彼らを預かる養父の一名を、八住ヤズマ規士モトシと言う。もう一つの銘を〝アーレイン=グロリネス〟。

 いまだ、丹布ニフ士紅シグレに難問を置き去る、盟友と書いて、悪友と発音する相手だった。





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