白の遣い手 ~君達と華咲く縁・春~

八住 とき

幕開けの挨拶

行って参ります。




 壁はあか。腰壁の一面一面には、〝歌劇・リラーテ王女の円舞〟の名場面が巡る物語を、乳白色の陰影でかたどられる。廻り縁は金色。天井は高く、再び乳白色。その四方は、鈴蘭と植物の幾何学模様で飾られる。


 視線を一つ動かすだけで、慣れなければ身動きが取れない程の歴史的な調度品が映る。


 そんな私の正面には、古い肖像画が掛けられていた。少年が小さな猫を抱いたものだ。


 頭髪は岩群青いわぐんじょう双眸そうぼう似紅色にせべにいろ。ここ、公式経済圏コウシキケイザイケン・第三等級モルヤンには無い色彩を持つ少年。


 〝ベルジン族〟。〝太阿ノ巫覡タイアノミカンナキ〟。おごる知識者は勝手に言い宛てがい、勝手に勘違いし、自滅する。

 正確な情報と情報源だと信じて疑わない者を相手にすると、本当に便利だ。


 若干、髪型は違うが姿


 言われて悪い気はしないが、私は容姿を褒められる機会が多い。端整だと言われても、正直微妙な気分になる。

 整っているとは、型押しされた無個性な美。汎用された彫像と変わらず、面白みのない事そのもののように想える。


 生真面目で、勤勉だと自覚している相手に、〝生真面目で、勤勉でいらっしゃいますね〟


 本職の方に対し、〝御精が出ますね〟と伝えて、相手がどう想うのかと言う事だ。


 やはり、真実の美とは、相手に感動と鮮烈な印象を与えるものではないだろうか。周囲を見れば、私の整い方など霧散する程の凄艶せいえん。それはそれは、美丈夫揃いだ。


 特に、四名の兄の容貌ようぼうこそ誉れと称賛の対象だ。そうだな。加えるなら、管制塔カンセイトウ達、養子達。ついでにも並べてやろうか。すがり付いて、わめき散らすだろうし。


 まだまだ、いらっしゃる。私は幸せ者だ。


 美しい言動。美しい風景。美しい様式。美味しい物に触れてこそ、日々の生活は充たされると言う事だ。

 だからこそ私は、任務対象を容赦も罪悪感もなくほふる事が出来る。


 持論に酔いながら、制服の詰め襟を留めた頃。両開きの白い扉に付属する、意匠いしょうが凝らされた取っ手ハイレバー式の錠が開く音が静かに立つ。


「おや、もう起きて着替えてしまったのか。手取り足取り着替えの手伝いをしたかったのに。やれやれ、楽しみが減ってしまったが仕方ない。さて、良く眠れたかな? 士紅シグレ


「お早う御座います、伯爵」


 どう、しよう。指摘申し上げるべきだろうか。


 突っ込みたい内容の数々ではあったが、それ所ではない。そもそも、私は貴族ではない。


 通常の場合、無言で扉は開けられる。使用人が朝の起き抜けの一番のお茶を運んで来た、その時点で起きるのも善いし、起きていれば使用人が挨拶をして来るだけだ。


 愛の証しとして、主人が妻に運んで来る事も大いにある。


 身元保証人でもあり、当館の主人でもある伯爵御自おんみずから、起き抜け一番のお茶を持って来るのは、いかがなものだろうか。


「どうしたんだい? お茶よりも、カーテンを開けてあげようか?」


 いいや。そうじゃない。表情を出さない自信はあるが、これ以上の沈黙はまずい。しかし、これは誰だって迷うだろう。


 ロマンスグレーにあおい瞳。伯爵は初老に入った年令だが、姿勢も正しい一八五ひゃくはちじゅうごリーネル(約、一八五ひゃくはちじゅうごセンチメートル)の長身と、絵に描いたような美しい老紳士の風情をお持ちだ。


 いつぞや見せて戴いた、御写真に収められる青春時代を留めた姿は、今も雰囲気がある。客観的に拝見しても、美男子でいらした。

 さすが、妃を迎えられるまでは、毎日違う女性に限らず男性にも囲まれてたと伝え聞いている。


 そこまでは善しとする。


 その伯爵が、テーラー仕立てのスーツではなく、女中セルヴァント制服姿なのだ。御丁寧にも午前に着用する灰色の制服で、白いカラーカフスも装着済み。


 恐らく、制服の稜線から察するに、女性用補整下着ステイズ下地スカートペティコートも律儀に制服の下にお召しなのだろう。


 スカート丈は膝下。フリル付きエプロンピナフォアからリネンキャップに至るまで、今期から新調された女性使用人の制服を隙なく着こなしていらっしゃる。


 足元は、伝統と新時代を体現する、新進気鋭の靴職人・マヤ=フレデリィに依頼した、エナメル風に見える長時間労働でも疲れにくい靴。


 悔しいが、黒の長い靴下ストッキングに包まれるは、老令男性の割りに美脚だ。さすが、若かりし青春時代、庭球に明け暮れていらしただけはある。

 若い頃の積み重ねは、火葬時にも誇れる跡をのこせる。


「新調された女中セルヴァントの制服ですね。午後の制服も素敵なのでしょうね」


 もう、こんな程度の言葉しか見付からなかった。


「お褒めに預かり、光栄だよ」


 カーテンも開いていないのに、陽光のような眩しい笑顔だ。


「そう言えば、その姿。今日は入学式だったか。蒼海ソウカイ学院中等科に通うとの話しだったね。今からでも、すぐ近くの連堂レンドウ学園中等部に変更出来ないのかい?」


「申し訳御座いません。その代わり、八住ヤズマ兄弟が通ってくれますよ」


「う~む。それはそれで、嬉しいのだがねぇ」


 伯爵は未練を込めながら、円卓に朝一番のお茶一式を乗せた盆を、音も立てず置く。


「それに、士紅は新入生代表で挨拶をするのだろう? 今日のハレの日、私も参加したかった」


「お気遣い、痛み入ります。後見を負って下さっただけでも、私は有難ありがたい限りなのです」


「この程度、恩返しにもならないよ。もっともっと、我々に甘えて欲しいよ。士紅を占有されては困るからね」


 湯で器を温める伯爵の横顔が、美しい不満を描く。伯爵達は、本当にを嫌っているな。


「それよりも、で大丈夫かい? 今も昔も、目立つ者への風当たりは強いものだ」


 判りますよ、伯爵。私の心配ではなく、相手の心配ですね。私が、その程度で折れる訳がない。相手の方が砕け散る事を、伯爵は熟知していらっしゃる。


「包み隠すのは、もう飽きました。それに本年度は、私よりも目立つ同輩がいます。蒼海ソウカイ学院中等科や連堂レンドウ学園中等部には、偉そうな血統が集中していますからね。私など、埋もれて目立たない事でしょう」


 顔を上げた伯爵は、普段通りの穏やかな笑みに戻っている。


充征ミツマサの孫も、今年度が中等科進学だった。見掛けたら、仲良くしてあげておくれ」


「私は蒼海に在学し、庭球が実行可能なら、それで充分です。御指示とあらば、管制塔カンセイトウとの協議に入ります」


 わざとらしい伯爵の溜め息が聞こえた。今回は、趣味と実益のために訪れたが、たのしむためではない。


 私は窓へ向かう。いつまでも薄暗い部屋では困る。金に縁取られた天鵞絨ベルベット窓掛カーテンを開けた。


 新年度の一日目を告げる陽光に照らされた、冬仕様の裏庭園が視界に入る。西の大陸ルブーレンに名を刻む、大貴族・ゲーネファーラのリュリオン別邸〝青の屋敷アオノヤシキ〟。裏庭に面した二階にある一室で、これからの激務に想いを馳せる。


「最高の一杯から始めなさい、士紅シグレ


「御手ずから、畏れ入ります。頂戴します」


 背後からの声に、失礼がないように振り返り、白磁の茶器を受け取る。


 この紅茶の香りは、地元でも希少種の〝カマイ・アーヴィ=シャドレワーヌ〟じゃないのか? 何だか、色々な相手から見守られている気がする。


 有難ありがたい事だ。


「ふふふっ。士紅シグレ、私は時間が来たのでこれで引くよ。大切な家族の初日を送り出せて良かった」


 素敵な笑顔です。女中セルヴァント姿なのが、何より残念です伯爵。

 表に出せるはずもない。茶器を手にしたまま、私は深く深くルブーレン式の一礼をする。


 前傾姿勢六〇度。これでは、使用人の角度だが本望だ。適切な頃合、姿勢を戻すと伯爵のあおい瞳と視線が合う。


「行っておいで。怪我をせずに帰って来なさい」


「行って参ります」





        【 次回・一の幕 青陽せいよう蕾達つぼみたち 】

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