白の遣い手 ~君達と華咲く縁・春~
八住 とき
幕開けの挨拶
行って参ります。
壁は
視線を一つ動かすだけで、慣れなければ身動きが取れない程の歴史的な調度品が映る。
そんな私の正面には、古い肖像画が掛けられていた。少年が小さな猫を抱いたものだ。
頭髪は
〝ベルジン族〟。〝
正確な情報と情報源だと信じて疑わない者を相手にすると、本当に便利だ。
若干、髪型は違うが千年前の私の姿だ。
言われて悪い気はしないが、私は容姿を褒められる機会が多い。端整だと言われても、正直微妙な気分になる。
整っているとは、型押しされた無個性な美。汎用された彫像と変わらず、面白みのない事そのもののように想える。
生真面目で、勤勉だと自覚している相手に、〝生真面目で、勤勉でいらっしゃいますね〟
本職の方に対し、〝御精が出ますね〟と伝えて、相手がどう想うのかと言う事だ。
やはり、真実の美とは、相手に感動と鮮烈な印象を与えるものではないだろうか。周囲を見れば、私の整い方など霧散する程の
特に、四名の兄の
まだまだ、いらっしゃる。私は幸せ者だ。
美しい言動。美しい風景。美しい様式。美味しい物に触れてこそ、日々の生活は充たされると言う事だ。
だからこそ私は、任務対象を容赦も罪悪感もなく
持論に酔いながら、制服の詰め襟を留めた頃。両開きの白い扉に付属する、
「おや、もう起きて着替えてしまったのか。手取り足取り着替えの手伝いをしたかったのに。やれやれ、楽しみが減ってしまったが仕方ない。さて、良く眠れたかな?
「お早う御座います、伯爵」
どう、しよう。指摘申し上げるべきだろうか。
突っ込みたい内容の数々ではあったが、それ所ではない。そもそも、私は貴族ではない。
通常の場合、無言で扉は開けられる。使用人が朝の起き抜けの一番のお茶を運んで来た、その時点で起きるのも善いし、起きていれば使用人が挨拶をして来るだけだ。
愛の証しとして、主人が妻に運んで来る事も大いにある。
身元保証人でもあり、当館の主人でもある伯爵
「どうしたんだい? お茶よりも、カーテンを開けてあげようか?」
ロマンスグレーに
いつぞや見せて戴いた、御写真に収められる青春時代を留めた姿は、今も雰囲気がある。客観的に拝見しても、美男子でいらした。
さすが、妃を迎えられるまでは、毎日違う女性に限らず男性にも囲まれてたと伝え聞いている。
そこまでは善しとする。
その伯爵が、テーラー仕立てのスーツではなく、
恐らく、制服の稜線から察するに、
スカート丈は膝下。
足元は、伝統と新時代を体現する、新進気鋭の靴職人・マヤ=フレデリィに依頼した、エナメル風に見える長時間労働でも疲れにくい靴。
悔しいが、黒の
若い頃の積み重ねは、火葬時にも誇れる跡を
「新調された
もう、こんな程度の言葉しか見付からなかった。
「お褒めに預かり、光栄だよ」
カーテンも開いていないのに、陽光のような眩しい笑顔だ。
「そう言えば、その姿。今日は入学式だったか。
「申し訳御座いません。その代わり、
「う~む。それはそれで、嬉しいのだがねぇ」
伯爵は未練を込めながら、円卓に朝一番のお茶一式を乗せた盆を、音も立てず置く。
「それに、士紅は新入生代表で挨拶をするのだろう? 今日のハレの日、私も参加したかった」
「お気遣い、痛み入ります。後見を負って下さっただけでも、私は
「この程度、恩返しにもならないよ。もっともっと、我々に甘えて欲しいよ。あの長官なんぞに士紅を占有されては困るからね」
湯で器を温める伯爵の横顔が、美しい不満を描く。伯爵達は、本当にあの変質者を嫌っているな。
「それよりも、そのままの色で大丈夫かい? 今も昔も、目立つ者への風当たりは強いものだ」
判りますよ、伯爵。私の心配ではなく、相手の心配ですね。私が、その程度で折れる訳がない。相手の方が砕け散る事を、伯爵は熟知していらっしゃる。
「包み隠すのは、もう飽きました。それに本年度は、私よりも目立つ同輩がいます。
顔を上げた伯爵は、普段通りの穏やかな笑みに戻っている。
「
「私は蒼海に在学し、庭球が実行可能なら、それで充分です。御指示とあらば、
わざとらしい伯爵の溜め息が聞こえた。今回は、趣味と実益のために訪れたが、外見通りの生活を
私は窓へ向かう。いつまでも薄暗い部屋では困る。金に縁取られた
新年度の一日目を告げる陽光に照らされた、冬仕様の裏庭園が視界に入る。西の大陸ルブーレンに名を刻む、大貴族・ゲーネファーラのリュリオン別邸〝
「最高の一杯から始めなさい、
「御手ずから、畏れ入ります。頂戴します」
背後からの声に、失礼がないように振り返り、白磁の茶器を受け取る。
この紅茶の香りは、地元でも希少種の〝カマイ・アーヴィ=シャドレワーヌ〟じゃないのか? 何だか、色々な相手から見守られている気がする。
「ふふふっ。
素敵な笑顔です。
表に出せるはずもない。茶器を手にしたまま、私は深く深くルブーレン式の一礼をする。
前傾姿勢六〇度。これでは、使用人の角度だが本望だ。適切な頃合、姿勢を戻すと伯爵の
「行っておいで。怪我をせずに帰って来なさい」
「行って参ります」
【 次回・一の幕
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