第117話閑話 乙女ゲームの真実③

断片ピース:裏切りの刃






『───生涯の忠誠を女神アテナリア様とユーリア・ライト・ユグドラシア様に誓います』


私は確かにその時、誓った筈だった。

姫様の騎士として、この身を捧げると。


けれど、私は出会ってしまった。

全てを捨ててもいいと思える、愛しい少女に。


だから───





「死んでくださいますか? 姫様」


忠誠は地に捨てた。

迷いなど微塵もない。

私は私の愛を貫くのだ。


誓いを立てた筈の刃は赤く染まっていた。










◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆











「ジュナン、お前は私達の誇りだ。だから、いつか──」


寝る間も惜しんで働いて、痩せ細った父が言った。



「ジュナン、貴方はとても優秀だもの。だから、きっと──」


化粧1つせずに、働いていた母が言った。


「お兄様はとても凄いのよ。将来は絶対──」


女の子なのに、お古のドレスばかり着ていた妹が言った。


「「「国一番の騎士になる」」」


"国一番の騎士“


ジュナンの家では、その言葉を皆がよく口ずさんだ。

都合の良い夢、妄想のようなもの。

けれど、それがジュナン・ディルムトの家族にとっての唯一の希望であった。



ジュナンの家は貧しく、所謂没落貴族というやつであった。

祖父の代まではそれなりに上手くいっていたようだが、父に代替わりしてからは何もかもが上手くいかず、ついには領地までも失ってしまった。

貴族とは名ばかりの暮らしにまで落ちた。

父も母も悪人というわけではなかったが、非常に夢見がちで騙されやすい。

堕ちるのはあっという間であった。

しかし、ジュナンと父母は貴族として育てられ、贅沢な生活を忘れられない。

だから、期待するのだ。

ジュナン息子に。

ジュナンは愚かな家族が夢を見てしまう位に、親に似ずに優秀であった。

整った容姿に、優れた魔力、頭も悪くない。

剣の腕もたった。

ジュナンの父母や妹は何時からか、そんな彼に希望を抱いた。


いつか家を再興裕福にしてくれる、と。


この国で騎士の扱いは悪くない。

優秀な者は取り立てられ、貴族位を与えられる事もある。

決して叶わない、届かない夢では断じてないのだ。

現に、ジュナンはエリートが集まる近衛騎士団に、若くして配属された。


でも、まだ足りない。

もっと、もっと上に────


王女の専属騎士の話は、そんなジュナンの望みを満たすのに充分なものだった。


「……貴方が私の騎士になる方ですか」


ひどく冷めた眼をした美しい少女だった。

この国で最強を誇る固有魔法をその眼に宿した幼い少女。

その魔法は一度行使されれば、何千何万という命を瞬時に消し去る。


「はい、姫様。ジュナン・ディルムトと申します」


「……私は貴方が騎士として、その役目を果たす事を期待致します」


跪いて頭を下ろしたジュナンにかけられたのは、仕える主の冷淡な声だった。

まるで、ジュナンの心を見透かしているかのような。

子供らしくない子供。

ジュナンは仕えるべき相手ではあるが、そんな少女の事を内心苦手に思っていた。













「─────“我は神聖にして純血、全てを裁く者”」


それはまさに、神の神業であった。


「“今、愚かな罪人共に罰を下さん”」


荘厳でありながら、見るものを惹き付ける程に美しい。

神々からの恩寵。

まるで、世界を祝福しているかのような光が、魔法陣から溢れている。


「“アーク・ライト”」


──最も、与えられるのほ決して恩寵などではない。

与えられるのは、無慈悲な天の裁きだ。


この戦場には約5000人程の敵兵が集められていた。

つい先程まで、怒号や喧騒が止まなかったのに、今はひどく静かだ。

味方の兵達すらも、圧倒的な魔法の威力に呆然としている。

ほんの一瞬で、5000人程居た敵兵は跡形もなく消え去っていた。


「素晴らしいっ! 我が国の圧勝です!」


「流石は我が国の至宝、これで隣国の者共も身の程というものを知るでしょう」


次々とわき上がる歓声。

主へと惜しみ無く与えられる称賛の声が、ジュナンはまるで自分が評価されているかのようで誇らしかった。

最強の魔法をその眼に宿す王女の騎士、周囲はジュナンを羨望の眼差しで見詰めた。


「お疲れ様です、姫様」


「えぇ……私は少し馬車の中で休みます」


ジュナンが声をかけると、主である少女はジュナンに眼を向ける事もなくもと居た馬車へと踵返した。

その顔は青白く、生気がない。

まるで人形のようだ。

ジュナンは主のこの行動が内心不満ではあったが、表情には尾首にも出さずその後ろに付き従った。


「……ごほっ、こほっ……こほっこほっ……」


こぽり、と零れ落ちた赤が白いドレスを汚した。

固有魔法を使った後はいつもそうであった。

生まれ持った身体の弱さからか、固有魔法の使用にその小さな身体が耐えられない。

使用する度、どんどん悪化しているかのようにも思える。


「姫様、タオルを……」


ジュナンはいつものように、用意していたタオルを渡した。

それ以外には何も言わない。

ジュナンは段々と弱っていく、主を見ているだけであった。

もう長くは持たないかも知れない。

主の体調を思って、陛下へと進言する事もしない。

陛下はあれでいて、娘の事を気にかけているから出陣の数を減らすかも知れない。

それはジュナンにとって都合が悪い。

使われない兵器では、その価値は下がる。

それは今のジュナンの地位が落ちる事を意味するのだから。


「私は問題ありません。貴方は外に出ていて下さい」


「……承知致しました」


主の望み通り、ジュナンは馬車の外で待機した。

外に出てからも、ごほごほと咳き込む小さな音が聞こえる。


ユーリア・ライト・ユグドラシア、この国で最強の固有魔法を宿した少女。

レイアス・ウェルザックの婚約者。

死にかけの、美しい少女。


やはり、この少女は苦手だとジュナンは思った。











◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆












「──初めまして、騎士様っ!」


その少女に出会ったのは運命であった。

女神アテナリアの加護を受けて、平民でありながら聖女になった少女。

可愛らしい少女ではあった……ジュナンの主と比較しなければ。


「えぇ、初めまして聖女様。私は姫様の騎士であるジュナン・ディルムトと申します」


「まだ若いのにお姫様の騎士なんて凄いですっ!! いいなぁ、こんな素敵な方が騎士だなんて、ユーリアさんが羨ましいです!」


特段何か惹かれるものがあった訳ではない。

だが、素直で真っ直ぐなその眼はひどく印象に残った。

そして、微かに薫る甘い香りも────













「──誰かの期待になんか、応えなくて良いんですよ。ジュナンさんは自分のしたい事をしてもいいんです!」


彼女のその言葉にジュナンは救われた。

他の誰でもない。

真っ直ぐな彼女の言葉だからこそ、ジュナンの胸に響いた。


「私の、望み……」


「そうです、ジュナンさんのしたい通りにすれば良いんです!」


特別な彼女はいつも多くの人に囲まれていた。

王子達に、教皇の子息や侯爵家の子息、果てはジュナンの主の婚約者であるレイアス・ウェルザックまでもが。


「ありがとうございます。そう言って下さったのは、貴方だけです」


ジュナンはいつしか彼女の事を愛していた。

彼女の周りを群がる男達を斬り殺したく思う程に。

もっと彼女の傍に居たい。

自分を選んで欲しい。

その願いが叶わないのなら、せめてもっと彼女の近くに──


「……私は貴方だけの騎士になりたい」


「……え?」


「すみません、忘れて下さい。このようなこと、言うべきではありませんね」


ジュナンは陛下に任じられて、王女の騎士となった。

ジュナンの望みは王命に背く事になる。


「忘れない、です。だって、私は嬉しかったから。ジュナンさん、うんうん、ジュナンがそう言ってくれて。私は嬉しい!」


「嬉しい……?」


そんな風に言ってくれるとは、思ってもみなかった。


「うんっ! だって、私の事を特別想ってくれているって事でしょう? ユーリアさんよりも。私もジュナンの事を特別に想っているのもの!」


そう言った彼女の笑顔が眩しくて、何より愛しかった。

狂おしい程に。


「……貴方を愛しています。家の為だけに生きてきた私に、貴方が生きる意味をくれた。例えこの思いが叶わなくとも、貴方の側でずっと貴方を護ります」


「っ! 私も、私もジュナンが好きっ!!」


叶わない筈のジュナンの想いを、彼女は受け入れてくれた。

王族や高位貴族でもない、ジュナンを。

その事がジュナンには堪らなく嬉しかった。

だから、ジュナンは決めたのだ。

例え何を犠牲にしたとしても、この愛を貫くと────









◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆










「──ごほっこほっ、こほっ……珍しいですね、貴方が私の元に居るなんて。最近は聖女の周囲に居る事が多いみたいですが」


久しぶりに見た主は、また痩せていた。

けれど、顔も青白く、生気も弱っているというのに、その美しさはちっとも損なわれていない。


「聖女様は今やこの国になくてはならない存在ですから。誰に狙われるか分かりません。私は少しでも彼女の助けになりたいのです」


彼女と想いを交わしあってから数ヶ月が過ぎた。

ジュナンの望みでもある、彼女に剣を捧げる事も未だ叶わぬまま。

このままでは、彼女はジュナンの立場を慮って、身を引く決断をしてしまうかも知れない。

だから、ジュナンは今夜計画を実行にうつすことにした。


「ならば、早く戻ったらどうですか?」


まるでジュナンなど不要であるかの言いように、ピクリと眉が上がる。

いつもそうだ。

目の前の少女は、ジュナンの価値を認めようとしない。

最後・・まで、ジュナンを眼中に入れる事はなかった。


「えぇ、すぐに戻りますよ。用が済めば!」


肉を貫く、感触。

忠誠を誓った剣は血にまみれた。


「全ては我が愛の為。私達の愛に貴方は邪魔なのです。ですから──」


目の前の少女が生きている限り、ジュナンの望みは叶わない。

彼女の傍に居られない。


「死んでくださいますか? 姫様」


憎悪や憤怒の表情を浮かべる事もなく。

血を流した、死に顔ですら少女は美しかった。


「……貴方が居ては、私は彼女を守れない……でも、いいですよね? 姫様はもう長くないのだから。国としても貴方はもう用済みだ。神に選ばれた特別な彼女がいれば、国は守れますから。そして、私はそんな特別な、愛しい彼女を護る騎士になる……だから、国の為にも、彼女の為にも、死んでください」


これからは姫様に代わって、聖女である彼女がこの国を守る。

彼女は力の行使になんら代償はない。

威力は全く違うが、そんなものは他の魔眼持ちにやらせればいい。

そして、そんな特別な彼女の傍に、自分が1番近くに居るのだ。


「さようなら、姫様────」


剣についた血を払うと、ジュナンはその場を後にした。








 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆









「……ジュナン? っ! どうしたの!? 服に血がついてるっ、怪我をしたの?」


月が最も高くなろうかという時間。

今夜は満月だ。

まるでジュナンの剣をを表すかのように、その色も紅く染めている。

バルコニーの窓を叩くと、彼女は窓を開いて外へと出てきた。

ジュナンの服に微かについた返り血に気付くと、彼女は心配そうに駆け寄ってきた。


「大丈夫です。ただの返り血ですから……それよりも、聞いて下さい。やっと、やっと私の望みが叶います。やっと、真に貴方に私の剣を捧げられる! あぁっ、愛しています。誰よりも!」


彼女の身体ごと抱き寄せると、温かな感触、そして狂おしい程に愛しい甘い香りがジュナンの中で満ちた。

この温かさこそが、ジュナンの行動の正しさを証明してくれる。


「え? でも、ユーリアさんが……」


「姫様ならとうに亡くなりました。ですから、もう邪魔者は居ません。……私の誓いを、受けてくださいますか? 愛しい人」


目が合うと、彼女は私のした事に気付いた。

そして、私の内に蠢いている狂気にも。


「……うん、私もジュナンを愛しるよ」


彼女はその狂気ごと受け入れるように、ジュナンにキスをした。

紅い月だけが見守る中、そこには2人だけの世界があった。





 end






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆











「──あんな奴に、殺されてしまうなんて……の事を選んでいれば、このような結末にはならなかったのに」


「あら、どうせ王女は死ぬ予定だったでしょう? 貴方は振られて、彼女はレイアスを選んだのですから」


暗闇の中、話しているのは2人の男女。


「それは陛下が決めたこと……残念です。でも、あぁ、貴方は死してもなお美しい!」


まだ少年とも青年の間位の男は、横たわった少女の死体へと触れた。

その手つきはまるで愛しい恋人を触れるかのよう。


「お遊びはその辺にしておいて下さい。……時は満ちました。王都最大の護りは消え、他の魔眼持ちの方も遠方へと足を運んでいる今が好機です。お祖父様からの言い付けを果たしましょう」


紅い月。

夜の闇に紛れて、何かが蠢いていた。

それは徐々に増えていき、王都の空を覆い尽くす程にまでなった。


「せめて、貴方を血で汚したあの罪人は、私自ら手を下すとしましょう」


紅い月明かりが男を照らす、きっと陽の下で見たのなら見事な金髪だった事だろう。

黄金はこの国では王族や高位貴族だけが持つ色だ。


「本当に、仕方がない子ですね……いいですよ、好きにして下さい」


そして、それは同じ年の頃の女も同様。

黄金の髪、そして底が見えない程の黒い瞳。

その色を持つ家は、この国で1つだけだ。


「あぁ、行ってくるよ。さん」


2人の瞳には、暗く淀んだ魔法陣が刻まれていた。




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