第25話 九条桃華4

 会ったら何話そう。話したいことが多すぎて、順番が分からないよ。


 そんなことを考えていたら駅前に着いてしまった。スマートフォンの画面を点ける。なんと、集合時間までまだ二十分もあるじゃないか。


 いくらなんでも早く着きすぎた。ま、まあ遅れるよりは何倍もマシだけど。


 さて、どう時間を潰すか。そう悩もうとしたその時。


「桐崎くん?」


「えっ?!」


 後ろから声をかけられ、振り返る。そこには、涼しげな白いワンピース姿の九条さんがいた。


「お、お、おはようっ!」


 もう朝は過ぎているのに……。テンパってしまった。


 すると、俺の言い方か顔が可笑しかったのか、九条さんはクスリと笑った。


「おはよう」


 初めて見る九条さんの私服姿。夏っぽくて、上品な感じで、九条さんらしいなと思ってしまった。


「く、九条さん、早いねっ!」


「う、うん。ま、待ちきれなくて」


 顔を伏せて、モゾモゾと体を揺らす九条さん。俺と同じ事、考えてくれてたんだ。


「俺もだよ。それじゃあ、行こっか」


「うん」


 それから肩を並べて歩いていく。改札を抜け、電車に乗る。そして、七人がけの長い椅子に座った。


 会う前は、沢山話すぞと意気込んでいたのに、何も話せない。ただ、目線だけを向けてしまう。


 目が合えば、微笑む九条さん。今、こうしていられることが夢みたいで、ずっとこの状態が続いてくれれば。そんなことを考えてしまった。


 それから三十分ほど、電車に揺られていた。聞きなれない駅名のアナウンス。電車を降りると、ホームには人が溢れかえっていた。


「そういえば、今日はどこ行くの?」


「あっ! ごめんね。その……水族館なの」


「おお! いいね!」


 聞くところによると、駅からすぐ近くに海水魚のみを扱う水族館があるとのこと。テレビとかで見る、有名なところじゃなくて小規模な水族館だそうだ。


 どうりでこの人の多さ。はぐれないようにしないと。


 さっきまで、人一人分空いていた俺と九条さんの間。俺は勇気を振り絞って、九条さんの方へ一歩寄った。


 そして、駅を出て数分。俺達は、水族館にやってきた。中は、暗めで、どこか落ち着く雰囲気。


 優雅に泳ぐ魚達。見ていると時間を忘れてしまいそうだ。


 ゆっくりと歩いて行き、魚の解説を眺めていく。九条さんは興味津々で、魚の解説を端から端まで読んでいた。俺も一緒になって眺めて、「こんな特徴があるんだね」と一緒に笑った。


 しばらく歩くと、この水族館で一番大きな水槽が現れた。大きな水族館だったら、ジンベエザメとかなんだろうな。目の前には、泳ぎ回るマグロ。光に反射しているのか、キラキラと輝いている。


「大きいね」


 右手でガラスに触れる九条さんが、俺の方を向く。


「うん」


 優しい表情。この表情をどれだけ見たかっただろう。髪型も少し違うような。綺麗だな……。


 あっ……。見惚れてる場合じゃないよ。ちゃんと言葉にしないと。美来が言ってたじゃないか。


「綺麗だよ」


 少し照れくさい。言った後に口を強く結んでしまう。


 暗くて分からないけど、九条さんも照れているのかな。照れてくれると嬉しいな。口を結んで、真っ直ぐに俺の目を捉える九条さん。


 気持ちを伝えたい。言いたい言葉は簡単なはずなのに、どう伝えれば良いか分からないよ。


 九条さんは俺のこと、どう思ってるかな。ただの友達かな。もしかすると、春輝の事が好きかもしれない。


 それでも、俺は伝えたいよ。笑った顔も悲しそうな顔も、驚いた顔もずっと見ていたい。


 みんなには見せない顔があるなら、それを俺に向けてほしい。


 手を伸ばせば触れられる距離に、いて欲しいよ。


 欲張りな俺の、底つきない我儘。全てが分からなくなるよ。俺がどんな人だったか。


「九条さん」


 名前を呼べば、体を真っ直ぐに向けてくれる九条さん。俺も九条さんの方に向いて、一歩前に出る。


 高鳴る心臓。切りがなく溢れる気持ち。その全てを今、ぶつけるんだ。


「好きだよ」


 そう言った瞬間。九条さんは、ハッと息を飲んだ。そして、目を見開いて固まってしまった。


 流れる沈黙。


 九条さんは、薄い唇を震わせていた。そして、目を強く閉じると、ワンピースを握りしめた。


「う、嬉しい……」


 震えた声。今にも泣き出してしまいそうな、細い声。


 思わず、手がゆっくりと伸びてしまう。すると、九条さんは顔を上げて、また俺の目を捉えた。


「ずっと前から好きでした」


 時が止まった。そんな気がした。思わず口を強く結んでしまう。すると、九条さんの口角が少し上がった。微笑んだその目尻に、浮かぶ一粒の雫。


 初めて見るその表情。初めて感じる、愛おしいという感情。心が震える。


 心の中のどこかで感じていた不安が消し飛ぶ。俺の気持ちが……届いたんだ。


「九条さん……ありがとう」


「うん……! 凄く嬉しい……」


 溢れ出る笑み。体の力が一気に抜けていって、思わず膝に手をついてしまった。


「だ、大丈夫?」


「う、うん! その……すごいドキドキする」


 そう言って笑みを見せると、九条さんは小さく頷いてくれた。


 それから、若干のぎこちなさを残した俺達は、水族館の中をゆっくり歩いていった。


 そして、時間はあっという間に過ぎいき、帰りの電車内。行きの電車とは違った沈黙。こそばゆくて、落ち着かない。


 そんな、感じたことのない感覚に浸っていると、九条さんが小さな声で話しだす。


「楽しかったね」


「うん、楽しかった」


 本当、楽しかった。夏休みの間に、九条さんに会えて良かった。


 それから大した会話もできずに、気づけば降りる駅に着いていた。ここでお別れか。本当あっという間だったな。


「桐崎くん、本当にありがと」


「うん! 俺からも言わせて。ありがと」


 二人揃って照れくさそうな笑みを浮かべる。どんな顔するのが正解なのか分からないや。カッコいいことも言えない。それでも、気持ちだけは、ちゃんと伝えたいな。


 一回目を強く閉じて、気を引き締める。そして、目をゆっくり開けて、キリッとした真面目な顔を作る。


「九条さん、好きです。俺と付き合ってください!」


 頭を下げて、右手を前に突き出す。すると、俺の右手が優しく握られた。


「お願いします!」


 勢いよく頭を上げると、俺の目に映る九条さんの満面の笑み。


 心のどこかで抱いていた夢。告白しといてなんだけど、こんな日がくるなんて……。


 それから駅で別れた俺は、ボーッとしながらゆっくりと歩いて帰った。


 家に着けば、いやらしい笑みを見せる母さんが迎えてくれる。「どうだった? どうだった?」としつこく聞いてきたけど、余韻に浸りたい俺は、それをかわして部屋の中へ逃げた。


 ベッドの上に寝転ぶ。腕で目元を隠すと、勝手につり上がる口角。


 こんなに嬉しいことがあるなんて。と気持ちの悪い笑みを浮かべていると、着信音が鳴った。


 もしかして、九条さん!


 画面も見ずに電話に出る。


「九条さん!」


「残念、私でしたー!」


 意地の悪そうな美来の声。めちゃくちゃ恥ずかしい。


「切っていい?」


「ちょっと、待ちなさいよ! どうだった?」


「母さんと同じような聞き方するなよ。まあ……お陰様で、その……上手くいきました」


「おぉ! やったじゃん! ヒューヒュー!」


「うわ、うざっ」


「は? あーあ、色々と協力してあげたのになー」


「だあー、すまんすまん。本当感謝してるよ」


「ふふ、まあ、良かったね。それじゃ! 春輝にも報告しといたら?」


「うん。その……ありがとな」


「はいはい。じゃね」


 それから春輝にも報告をした。我が事のように喜んでくれる春輝。二人のおかげだ。二人がいなかったら、俺と九条さんはどうなっていただろう。もしもの話を考えても仕方ないけど、本当に感謝している。


 いつか、二人が困った時は、何が何でも力になる。そう強く思った。

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