第50話 ここは格好つけておこう


 おれは慌てて、それから顔を逸らした。


「ど、毒なんて、入っていないぞ!」

「へえ」


 初めてシェフの表情に変化があった。

 口元が楽しげに歪み、ちらと緑色の瞳が覗く。


「毒が入ってるのか?」

「…………」


 完全に失言だった。


「顔を押さえろ」


 部下たちが、おれの顔を固定した。


「おれたちをハメるつもりなら、いい度胸だ」

「そ、そんなこと、は……」


 シェフは聞いていない。


「もし毒だったら、腹を殴って吐かせろ。殺すなよ」

「シェフ、なぜですかい?」

「裏で糸を引いているやつを吐かせて、改めて殺す」


 ぞっとする。

 これが無法者たちの発想か。


 シェフが、コロッケを口にねじ込んでくる。

 部下たちに口をふさがれるが、身体が縛らせているせいで身動きが取れない。


 く、苦しい……!


 やがて、コロッケが喉を通った。

 それを確認すると、やつらは解放してくれる。


「……これで、いいか?」


 おれは平然と言った。

 身体に変化はない。


「シェフ。考えすぎじゃねえですか?」

「…………」


 舌打ちした。


「食っとけ。明日はその近くの村の連中とやらを襲って、金品と女を奪うぞ」


 傭兵たちは歓喜の雄叫びを上げると、コロッケさまを次々にくちに放っていく。


「うめえ!! シェフ、これはうめえよ!」

「おい、こら! てめえだけで食うんじゃねえ!」


 柳原のコロッケは傭兵たちにも大好評だった。

 あんなに作っておいたコロッケの山が、ごりごりと削れていくのは爽快だ。


 しかし、一人だけ。

 シェフは隅に座り、その様子をじっと見ている。


「しぇ、シェフは、食べないのか?」


 睨まれた。

 黙っていろ、と言いたいらしい。


「……おまえは、妙な目をしている」


 なんかポエミーなことを言いだしたぞ。


 ふいにシェフが、こちらに寄った。

 おれの頬を掴むと、ぐいっと顔を近づける。


「おれたちを、怖れていない」

「こ、怖いよ!! だから、こうやって従順にしてるんだろ!?」

「嘘だな。瞳を見ればわかるさ」


 ……いや、本当に怖いんだけど。


「明日、おまえがどんな顔で命乞いをするか楽しみだ」

「……できれば、穏便に済ませたいが」


 それはできない相談だ、とでも言いたげに笑った。


「シェフ! こいつ、うちの料理番として連れていきませんか!?」

「ばか言え。さっさと食って、順番に休め」


 おれは彼らの様子を、じっと観察していた。


 ……そろそろか。

 結局、シェフだけは食べなかったな。


「ううっ!?」


 いきなり、傭兵の一人がうめいた。

 コロッケを取り落とすと、腹を押さえてうずくまる。


「……どうした?」

「しぇ、シェフ。ちょっと……」


 苦しげに立ち上がろうとする。

 そのまま千鳥足で外に向かった。


「べ、便所」

「はあ?」


 その一人だけではない。

 次々に立ち上がると、同じように戸外に向かっていく。


「お、おれもだ……」

「いや、おれが先だ!!」


 押し合いへし合い外に出ていく。

 もはや殴り合いだ。


「おれが先だって言ってんだろ!!」

「ふざけんな! おれが先だ!!」


 そして外に出た全員が向かう場所。

 それは事前に目印にしておいた。


 トイレだ。


 もちろん、ただのコロッケではない。

 しかし毒を仕込んだわけでもない。


 中に混ぜたのは、即効性の強力な下剤だ。


 経口の下剤は、普通は効果が遅い。

 それを柳原の独自ブレンドで、かなり効きを早くした一品。


 なぜ、そんなものを持っているのか?

 なんでも、たちの悪い客の食事に仕込んで追い返すらしい。


 まったく、接客業の風上にも置けないな!


 とにかく明るい蛍光ペンキの光をたどって、彼らは『用を足す場所』に向かう。

 一度、そのように教えられたら、他の場所に向かおうとするものは少ない。


 それは『上』から丸見えだ。


 微かに、地震が起きた。

 シェフが慌てて、戸外に顔を出した。


 そして、彼の目には信じられない光景が映った。

 なにもない草原に、突如として大穴――『ため池』が出現したのだ。


 発生地点は小屋とトイレの間。

 つまり、傭兵たちが走っている場所だ。


「うわあああああ!!」

「ぎゃあああああ!!?」


 傭兵たちの悲鳴が聞こえる。

 武装した連中だ。

 それでなくとも、すでに便意は限界のはず。


 一網打尽だ。


 前回のレベルアップで増築していなかったのが、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 ぶっつけ本番だったが、岬がよくやってくれたようだ。


 まあ、問題は残っているのだが。


「……まさか、魔術師がいたとは」


 シェフはコロッケを口にしていない。

 憎しみを込めた目で、こちらを睨みつける。


「油断した。おまえからは、魔力の気配はない。外に仲間が潜んでいるな?」

「……さあな」


 おれの胃腸も限界が近いが、ここは格好つけておこう。


 シェフは、じっと外の惨状を見つめているようだった。

 そのフードで隠れた表情は読み取れない。


 ……仲間がやられたことで退散してくれるというのは、期待しないほうがいいだろうか。


「……おれは奴隷だった」

「え?」


 その口元は微笑んでいた。


「幼いころに両親から売られ、見受け人からぼろ雑巾のように扱われ、そこから逃げ出した先の野盗団でも捨て石のように扱われた。おれはコケにされるのは慣れている」


 なんだ、いきなり自分語りが入ったぞ。

 どきどきしながら聞いていると、衝撃的な言葉が飛び出した。


「だから、みんな殺した」

「……は?」


 おれの前に屈んだ。

 緑色の瞳が、おれを映している。


「野盗の頭の寝込みを襲って首を掻っ切った。他の連中も逆らうやつは殺した。おれの見受け人だった貴族の馬車を襲い、妻と娘をさらって売り飛ばした上で殺した。最後に、おれを裏切った両親は四肢を切断して野犬に食わせながら殺した」


 ……ああ、やばい。

 そこでやっと、おれは気づいた。


 こいつらは〝食い散らかし〟だ。

 普通の傭兵団が、そんな名前で呼ばれることはないだろう。


 怖ろしいのは強さではなく――その思考だ。


「おれは、コケにしたやつは必ず殺す。例外はない」

「…………」


 落ち着け。

 おれは一般人で、柱に縛りつけられている。


 対して相手はプロで、殺る気満々。

 しかも下剤が効いてきているし、もう最悪だ。


「メリル!!」


 おれが叫ぶの同時に、小屋の隅のジャガイモの山が弾けた。

 そこから飛び出したのは、新参のメイド少女だ。

 保管用のジャガイモで隠していたクローゼットに隠れていたのだ。


「やああッ!!」


 彼女は農業用フォークを鋭く突き出した。

 しかし一瞬、遅かった。


 シェフはうしろに跳ぶと、腰から鉈を抜いていた。


「……【ケスロー】の戦闘メイドか。面倒なやつが出たな」


 どうやら有名らしい。

 戦闘メイドという微妙なネーミングには目をつむろう。


「ご主人さまの敵は、ここで排除します」

「ハッ。やってみろ」


 熱いバトルのゴングが鳴ろうとしていた。


 ……どうでもいいけど、戦闘もメイド服でやらないよな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る