第49話 もっと丁重に扱ってほしい


 ――深夜。

 残暑のぬるい風が、山田村に吹いていた。


 おれは水洗トイレの前で、用を足していた。

 ……ううむ。風邪をひきそうだ。


 それぞれの準備は、ぎりぎり間に合ったと思う。


 各人員はすでに所定の場所に配置してある。


 おれとメリルはこの村。

 サチ、イトナ、柳原は魔の森。

 そして岬はアパートの部屋だ。


 そろそろ、クエスト開始の時間のはずだ。


 肝心なのは最初だ。

 おれの行動一つで、成功と失敗の明暗が決する。


 ああ、緊張してきた。

 そのくせ、さっきから出るものはまったく出ない。


「おい」


 どきっとして振り返る。

 いや、振り返ろうとして、止まった。


 いつの間にか、喉元にナイフがあてられた。


 見るからに、野蛮な男だった。

 この格好は見覚えがある。

 おそらく例の〝食い散らかし〟という傭兵団だ。


 クエストが始まった。

 おれは緊張しながら、慎重に行動する。


 相手は粗野な傭兵だ。

 なにがきっかけで、気を損ねるかわからない。


 相手は一人のようだが、取っ組み合いになって勝てる保証はない。

 なにせ、おれは中学のときに柔道部に所属していただけの一般人なんだからな。


「この場所は、なんだ?」

「お、おれの家だけど」

「おまえの家? 家族は?」

「いないよ」

「こんなところで、一人で住んでるのか?」

「おれは、北のほうから来たんだ。村で領主の娘に手を出して、命からがら逃げてきたってわけさ。ここに誰も住んでねえ小屋を見つけたから使わせてもらってる」

「…………」


 トイレに目をやった。


「それは、なんだ?」

「と、トイレだ。知らないか?」

「トイレ?」

「ここに小便をする」

「……そんなもの、見たことないぞ」


 レバーを押して見せた。

 水が流れていく様子に、彼は呆気に取られている。


「これは魔術の類か?」

「さあね。ここに最初からあったのを使わせてもらっているだけだ」


 ナイフの腹を押し付けられる。

 しかし敵意は感じない。

 トイレに興味を引かれたようだ。


 ……サチたちも、最初は戸惑っていたなあ。


「その光る道はなんだ?」

「よく知らないな。夜になると、このトイレまでの道が光るんだ」

「本当に、なにも知らないのか?」

「む、昔、ここで魔術の実験があった、という話は耳にしたけど」

「……なるほど。魔の森が近いからな」


 納得してくれた。

 イトナのアドバイスに感謝だ。


「……あ、あんた、誰なんだ?」

「おれたちは〝食い散らかし〟だ」

「あ、あの傭兵団の!?」

「ほう。知ってるのか?」


 おれの怖がるふりに、気をよくしたようだ。


 ……まあ、実際に死ぬほど怖いのだが。


「なら、おまえを生かしておく道理もないのもわかるな?」

「お、おれなんか殺しても、なにもないぞ!!」

「そこに畑がある。冬の前の蓄えくらいはあるんだろ?」

「ま、待ってくれ。ここにあるものは、ほとんど魔術の道具だ。おれじゃないと、使えないぞ。でも命さえ助けてくれたら、メシも寝床も、ぜんぶやるよ!」

「…………」


 ちら、とトイレに目をやった。


 傭兵は口笛を吹いた。

 周囲から、黒い影が現れる。


 いつの間にか、囲まれていたようだ。

 その中から、やや小柄にも思える人影が歩み出た。


 フードを深くかぶっていて、その顔はわからない。

 その口元だけが覗いていた。


「……その男は?」

「シェフ。ここに住んでる独り者です。どうやら、この場所は魔術の実験場だったらしく、妙な道具を持ってまして」

「どうして殺さない?」

「この魔術道具の使用方法を知っているのは、この男だけです」

「…………」


 その男は、おれを値踏みする。

 こいつだけ、明らかに他の連中と雰囲気が違う。


「……殺すのは、ここを発つときでいい」

「そ、そんな!? それじゃあ、話が違う!!」


 手下の傭兵に、引きずられる。


「うるせえ! こっちに来い!」

「うわあ! やめてくれ!!」


 というか、本当に手加減がない。

 人質はもっと丁重に扱ってほしい。




 小屋の柱に縛りつけられた。


「……馬鈴薯がこんなに?」


 シェフと呼ばれる(おそらく)団長が、ジャガイモを眺める。

 その気を引くべく、声をかけた。


「こ、この土地は養分が高いみたいだ。魔の森が近いから、かな」

「……おまえには聞いていない」


 室内を物色する連中が声を上げる。


「なんだ、こりゃあ!?」


 柳原たちのコロッケさまだ。

 山と積んであるから、気づかないほうがおかしいが。


 やはり帝国でも、このような食べ物はないらしい。


「……それは、おれの食事だ。これから食べようとしていたところだ」

「これは食いもんか。へえ。いい匂いだな」

「ジャガ、……いや、馬鈴薯を、潰して、油で揚げるんだ」


 深い森を越えてきたばかりの男たちだ。

 さぞ腹が減っているだろう。


「へへ。じゃあ、おれが……」


 傭兵の一人が、手を伸ばしたとき。


「待て」


 シェフの制止の声がかかった。

 訝しげに室内を見回す。


「……独り者にしては、やけに量が多いな」

「い、いつも、まとめてつくるからな。えっと、明日、近くの村の連中が、買い取りに来るんだ」


 コロッケの一つを手にすると、それを割ってみる。


「これは油で揚げる食い物だと言ったな?」

「そ、そうだけど……」

「油はどこだ?」


 どきりとして、口ごもる。

 これは、予想外の質問だった。


 必死に頭を回転させて、言い訳を考える。


「か、片づけたんだ。ほら、冷めてるだろ? 昼間に作っておいたんだよ」

「これだけの量を揚げるんだ。残りもあるはずだな?」

「……使い切ってしまってな。明日、村の連中が、持ってきてくれるはずだ」


 シェフはこちらに歩み寄った。

 おれの腕を強引に引っ張ると、手のひらに鼻を近づける。


「……おまえの手からは、油の匂いがしない」


 ぎくり、とした。


「あ、洗ったんだ」

「いつも村の連中が来る、と言ったな。日常的に扱うなら、匂いが染みつくはずだ。それでなくとも、おまえは小奇麗すぎる。農夫が、そんな上等な衣服を着ているものか」

「…………」


 甘く見ていた。

 所詮は文明の遅れた世界の人間だと、高をくくっていた。


 ……これは、まずい。


「まずは、おまえが食え」


 その割れたコロッケを、おれの口に近づけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る