フラジール
@manseibien
――或いは、Good bye, Thank you
私は、どうやら分家の娘らしい。
分家と言っても大したものではない。ただ田舎にある実家には本家があって、そこがやや大きな屋敷であると言うだけだ。私の先祖はかつてその周辺の地主であったのだという。今やその影は全く無い。祖父母が亡くなってからは、実家に帰ることもなくなった。
記憶にある田舎の風景は、海に面した平和な世界だ。何者かに置き去られ、或いは捨てられて、自然だけが自生している場所。時折顔を覗かせる住人達の姿が、むしろ不自然に思われるほどの空気があった。
海は、実家から歩いて数分の場所に広がっている。そこは柵のない、十数メートルはある崖になっていて、子どもの頃は近づくなとよく注意をされた。
昔は漁業が盛んであったというその場所に面影は見当たらない。力仕事の出来る若者は皆都会へ消えたそうだ。
その海の広さや深さを私は知らない。空の広さや高さを正確には把握していないように。私はその海を表面的にしか眺めていない。足を踏み入れたことさえ、一度も無い。
しかし――だからこそ、と言うべきか――私は一つ心に決めていることがある。
死ぬ時は、その崖から飛び降りよう、と。
別に深い理由があるわけではない。単なる思いつきと言っていいだろう。死ぬ時は綺麗な場所がいい。そんな、ほんの少しズレた理想があるだけだ。
例えば、交通事故や、天災や、押し込み強盗などは私の理想に手を貸してはくれないだろう。それでなくとも、多くの死は身体の自由を奪ってから襲ってくる。老衰で死ねる人は怖ろしく少ない。それはそれで構わない。仕方の無い話だ。理想は破れ、私は少し後悔するだろうが、悲壮ではない。
むしろ、死に場所を決めるという行為は生きる事へ前向きにさせる効果があるのかも知れない。私の現在の住処から実家のある田舎までは電車を乗り継いでざっと二時間以上はかかる。要は非常に面倒なのだ。ちょっとした死にたさだけで動ける距離ではない。
だから私は簡単には死ねない。というよりは、自分で自分を殺せない。これからも自ら実家へ向かう機会は訪れないだろう。故に死への衝動も起こらない。
馬鹿馬鹿しい自己啓発。馬鹿馬鹿しい生へのひたむきさ。そんな言葉が頭に巡る。イヤミな自分がまだ生き残っている。
それでも、なお。私は生きていこうと思っている。死のうとしないなら生きていくしかない。多少の苦痛なら甘んじて受け入れる。大きな苦痛からは遁走する。
いずれにせよ、あの場所には辿りつかない。
私は、都村亜美。
私には、死に場所が、ある。
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