第13話式子の初恋
「そういえば、初恋の人とは結ばれないって
いうことわざがあるけど、あんた知ってた?」
と竜寿はわざと意地悪を言ってからかってやろうと思って
弟を挑発してみた。実は性格のきつい先輩女房に事あるごとに
いびられていて、むしゃくしゃしていたのである。
そんな姉の挑発に気づかぬ様子で
「いやいや、初恋は3歳の頃、友達のお姉さんだったから違うよ。」
と平然と定家少年が言ってのけたので、竜寿はあきれてものが言えなかった。
その晩、式子内親王は幼い頃の夢を見ていた。今は亡き、
従兄の重仁親王が夢に現れて、目を覚ました時、式子は泣いていた。
式子の心に3歳の頃の記憶がよみがえってきた。
保元元年(1156年)7月、式子の父がまだ在位中に、
実兄の崇徳上皇と対立し、ついに戦火を交えるにまでに至った。
ときの声が都にこだまし、幼い式子女王は
今は亡き乳母に抱かれながら震えていた。
式子が
この頃の式子はまだ女王の身分であった。
「
戦争することになったと女房達が
言っているのを聞いたけど、お父様はご無事なの?
もしお父様の方が負けたらわたしたちは
どうなってしまうのかしら。」
と当時3歳だった式子女王は父親を心配して乳母に尋ねた。
「あなたのように小さなお子様はそういうことを
心配しなくていいのですよ。」
と答えると、乳母は式子を寝かしつけようと子守歌を歌った。
目を閉じながら式子は6つ年上の長姉の亮子内親王だったら
こういうとき、どうするだろうかと思った。
「しっかり者のお姉さまがいればこんなに心細くないのに。」
と伊勢の斎宮として3か月前の4月から
家族と離れて生活している姉宮のことを恋しがっていた。
亮子は
父が負けた場合、自分たちも怖い目にあわされるのだろうかと
式子の心は不安でいっぱいになった。
「でももし逆に上皇様が負けてしまったら、
従兄のお兄様(重仁親王)が困ってしまうのではないかしら。
誰かがお父様たちの兄弟げんかをなんとかしてやめさせて仲直り
させられないものかしら。」
と式子は悲しくなってしまった。
上皇方が負けても、父である天皇方が負けても、親同士が敵対している今、
上皇の一粒種である重仁親王にもう会えないだろう
という予感が式子の心の中にあった。そもそも今度の戦争が起きたのは、
一人息子の重仁親王の即位の望みが絶たれた崇徳上皇が
のちに後白河天皇と呼ばれるようになる、
弟の雅仁親王が即位したことをきっかけに激しく憎むようになったのが
原因の一つであった。道楽者で暗愚だと評判の四ノ宮であった雅仁親王は
息子の守仁親王(二条天皇、式子の異母兄)即位までの
中継ぎとして即位したのだ。
式子より13歳も年上の従兄である重仁親王とは
それほど親しく付き合っていたわけではないが、
式子は物静かで穏やかな性格の重仁親王を慕っていて、
あこがれに似た気持ちを抱いていた。
ある日、体調が悪かった乳母がかまってくれなかったので、
兄の以仁王に遊んでほしいと式子がねだったが、
「いやだね。まろは今から
と言って以仁王は行ってしまった。相手にされずにすねていた
式子はちょうど父(後白河天皇)を訪ねてきていた
「この人、やさしそう。かまってくれないかな。」
と思ったが、式子はおずおずとして自分から声をかけられずにいた。
やがて式子がいることに気づいた重仁に
「姫もこちらにおいで。」
とやさしく声をかけられ、式子はお気に入りの人形をもったまま、
駆け寄った。
「すまぬのう。迷惑ではないかな。」
と後白河天皇は言ったが、
「いえいえ、まろには兄弟が一人もいないのでこんなかわいい姫が
妹だったらどんなによかったか。」
などとお愛想を言って、重仁はままごと遊びにまで付き合ってくれたのだった。
「妹ではなく、この方のお妃になりたい。」
と幼いながらに式子は思っていた。
その後、父が即位して上皇との関係が悪化して以来、
式子は重仁親王に会っていなかった。
結局、保元の乱は天皇方が勝利し、上皇方の敗北に終わった。
崇徳上皇は重仁親王の生母を伴って
重仁親王は
その後、21歳の若さで重仁親王が病死した後も、
式子は初恋の思い出を大事に胸にしまっていた。
夢の中で重仁親王は
「まろがもし帝の位についていたら、そなたを
と式子に向かって言った。式子はうれしくてたまらなかったが、
何も言えないまま途端に目を覚ましてしまったのであった。
「自分の願望が夢に現れたのね。まさかあのお方が
幼い少女にすぎなかったわたしのことを
想ってくれていたはずはありませんものね。」
式子は暗闇で涙をそっと袖でぬぐうと、
わが恋は 知る人もなし せく床の 涙漏らすな
と口ずさんだ。
そんな式子の様子を物陰から見ていた子ネズミが
よろめく足取りでその場をあとにした。
家に戻ると、定家はよよと泣き崩れた。
「どうしよう。姫様にはやはり好きな人がいた!
忍ぶ恋の歌を
おれはもうこのまま人間に戻らず、
ネズミになったまま生きていく!」
などとわめいていた。妖狐は少しも慌てず、
「なんて情けないことをおっしゃるのですか。
もうあなたも大人になったのですから、
こそこそと忍び込んだり、のぞき見たりせずに
正々堂々と恋を打ち明けるときがきたのですよ。」
と言って定家の肩をやさしくたたいてやったのだった。
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