魔王と愉快な仲間たち(1)

「なぜ勇者を倒せんのだっ!」


 魔王城の玉座にて胡座あぐらをかく魔王アルシアは、城の背後に広がる荒野から帰還ののち、勇者ロイとの後味の悪い一戦を思い返しては立腹していた。

 豪華絢爛ごうかけんらん金箔きんぱくに塗りたくられた玉座ぎょくざ肘掛ひじかけに拳を叩き付け、悔しさをあらわにする。


「アルシア様。そんなに怒ってばかりですと禿げますわよ?」

「うるさいっ! というかそもそも遺伝的にそうならないはずだっ!」

「それは失礼をしました。ですが、そんなにかりかりなされても事態は解決しませんよ? 少しは怒りを静めたらどうですか」


 玉座の前面にある会議用のテーブルを陣取じんどるアルシアの側近――熾天してんのセラが頬杖ほおづえをつきながら指摘する。

 ブロンドの髪からのぞく羊型の角を触りながら色艶いろつやの度合いを手鏡しに確認する仕草は、魔王の御前ごぜんで取るべき態度として相応ふさわしいものではない。


 しかし、アルシアはセラの崩しに崩した態度を微塵みじんも気にした様子はなく、ロイとの決戦結果に業を煮やし続ける。


「仕方がないだろうっ!? 今回は万全の準備をして、何度もシミュレーションを重ねて、想定通りの展開で追い詰めたのだぞっ!? だというのに、またもや例のアレが邪魔をした! 世界最強の俺が全身全霊をもってありったけの魔力を叩き込んだというのに、まるで通用せんっ! 一体全体どうなっているのだ!?」


 勇者ロイとの一戦は、終盤に至るまでアルシアの望み通りの戦況だった。

 絶望的とも言える状況にまで追い込んだ。


 そのはずだったのに。最後の最後で仕留めきれなかった。


「魔法についてはからっきしなあたしに問われましても。なんともお答えのしようがありません」

「ぐぬぬぬぬ……折角、世界平和を実現した矢先だというのに……っ」


 アルシアが魔王となってから三百年あまり

 恨みや憎しみは戦争の火種であることを誰よりも理解していたからこそ、誰よりも率先そっせんして魔族と人間が共存する可能性を模索し続け、人間との友好な関係を築きあげてきた。


 長きに渡る闘争と、和平交渉の果てに、戦争を撲滅したのが百年前。

 魔族と人間との争いが過去ではなく歴史となったラストリオンは、文字通りの平和を手に入れていた。


 だが。


 近頃この平和を脅かす、勇者という存在が現れた。

 それも、一人や二人ではなく、片手には収まらないほどの勇者たちが、魔王城へ連日のように押し寄せてくるようになった。


 戦力をみるに、脅威になる存在ではない。


 しかし毎日相手をするとなれば話は別だ。

 市政で多忙を極める魔王にとって、余計な時間と体力を浪費させる邪魔者であることに変わりはないのだから。


「ひとまずはエルレからの報告を待ちましょうよ。きっと朗報を持ってきてくれますよ」


 剣呑けんのんな態度を取るアルシアに、セラは優しく声を掛ける。


「…………あやつに期待するしかないか」


 目下、アルシアは勇者討伐に躍起やっきになっているわけだが、その成果は思わしくない。

 なぜなら、倒せども倒せども、どういうわけか何度も勇者は復活するからだ。


 息の根を止める間際になると現れる、勇者を守るように発生するオーブのような淡い光。

 あれが、勇者を絶命という運命からすくい上げ、瀕死ひんしの状態から蘇らせている。

 そこまではあたりをつけているのだが、その原理が解明できていなかった。


 原理究明のため、側近である炎永えんえいのエルレに調査を頼んだのが数日前。

 もう間もなく、その結果が出ることになっている。


「…………来たかっ」


 わだかまった怒りを鎮めるためアルシアが目を閉じてじっとしていると、玉座の間の扉が叩かれ、向こうから一人の小悪魔が飛び込んできた。


「戻ったよー! 待たせてごめんねぇ、アルくん」

「……その呼び方はやめろと散々忠告ちゅうこくしたはずだが?」

「えー……、なにをいまさらって感じなんだけど……。長い付き合いじゃん。おおらかな心で許してよ」


 怒気を孕んだアルシアの声に物怖じすることもなく、セラの真向かいにあるソファーへ腰掛けた小悪魔――炎永のエルレは柔やかな笑みを浮かべた。


 蝙蝠こうもりの翼に子鬼こおにのような短い角を生やし、子どものような小柄な体躯たいくをしているが、すでに生まれて十七年。魔族でいえば立派な大人の仲間入りを果たしている。

 その証拠に、胸元では立派に育った双丘そうきゅうが存在感を示していた。


「なんか虫の居所が悪いね?」

「……勇者を仕留め損ねたからな」

「そりゃあ残念だったね。ってなわけで門番くんから伝言。成り上がりの勇者がアーカルムの町で復活したらしいよ」

「……む、今回は随分と早いな」


 通信技術が発達したラストリオンでは、人間たちが開発した無線技術を使ったコミュニケーションを取り入れ推奨していることもあり、伝令でんれい魔法などを使わずとも、世界各地から即座に情報が集まるようになっている。魔力の源となるマナは天然資源であり無尽蔵むじんぞうではないため、要は魔力の省エネの一環である。


「……ここから東の果てにある町だったか。ならばこの魔王城へ再びやってくるまで最短でも十日は掛かる。ひとまず雑魚のことは忘れるとしよう」


 たとえ世界の最果てで事が起きようとも、魔王の耳に届くまで数分と掛からない。人間の技術さまさまだ。


「そんで早速だけど、例のアレ、調査結果が出たから資料にまとめてきたよ。ほら」


 細長い矢印のような形をした尻尾を左右に振りながら、エルレがテーブルの上に資料を広げてみせる。

 数にして羊皮紙ようひし五枚。斜め読みするなら数分と掛からない量だった。


「ご苦労だったな。もう少し早くこれを読んでいれば、あやつをこのラストリオンから葬り去ることができたかもしれんのだが、今更悔やんでも仕方あるまい」

「うーん……それはどうかなぁ……」

「……もしや芳しくない結果だったか?」


 アルシアの問いに、エルレはばつの悪そうな顔を浮かべて視線を逸らす。


「とにかく読んでみてよ」

「ふむ…………」


 エルレに促され、早速、資料を手に取るアルシア。

 やがて、その表情は険しいものになっていく。


 期待していた内容はどこにもなく、どころか、予想だにしていない結論が書かれていたからだ。


「勇者を仕留める直前に現れるあの不可解なアレは、この世ならざる原理によるもの……だと……? なんだこれは。ふざけているのか」


 静かな、しかし明らかに憤慨したアルシアの声。

 この世ならざる原理――そんな結論で締めくくられていれば、当然の反応だった。


「そんなことないってば!」


 エルレは即座に反応し、ぶんぶんと首を横に振る。


「大真面目に解析したよ! だけど、あんな魔法はこの世界に存在しないというか、発現させるのが無理っていうか……。そもそもマナの消費が確認できないんだ。つまり、絶対に魔法じゃないんだよ……。まして、人間による機械技術ってわけでもない。そうなると結論、あれはラストリオンの外側にある原理によるものとしか考えられないんだ」

「そんな七不思議があってたまるか! 魔法でもない、道具の使用によって発現はつげんしたものでもないというなら、怪奇現象ではないか!」


 大気中に漂うマナと消費して様々な現象を発現させる魔法の他に、あのような現象を引き起こす手段はない。


 まして魔法を使える人間もごく一握りだ。

 魔族と違い、人間はマナの扱い方も上手くない。


 つまる話、アルシアに敵う人間など存在しない。

 これは数百年の歴史が物語っている事実だった。

 そしてその、当たり前なことを踏まえた上で、


「ふざけんなーって叫びたいのはボクも一緒だよ。お手上げだ。どうやってもここから先は解析できないよ」


 魔王の側近そっきんにして随一ずいいちの頭脳を持つエルレが諸手を挙げて降参の格好を見せる。


「ぐっ……、ぬぅ……、なんと、なんということだ…………」


 頼りにしていたエルレの態度に、アルシアは呻き声を上げる。

 エルレの声は真剣そのもの。冗談だと言ってほしかったが。


「……つまりだ。勇者は得体の知れない力によって死の概念から守られている。そういうことだな?」


 改めて問いただすアルシァアに、エルレは神妙な面持ちで頷く。


「勇者と名乗る出自不明の一行がどこからともなく突然現れたのも不可解だってのに、これで一層謎が深まっちゃったね」

「…………頭が痛くなるな」

「どうにも困りましたねぇ。これ以上アルシア様の頭皮が傷むような問題は起きて欲しくなかったのですが……」

「ぐぬぬぬぬぬっ…………」


 魔王討伐を声高にさけびだし、魔王城へ武装して乗り込んでくる者たち。


 勇者はアルシアを倒すことで真の平和とやらをラストリオンにもたらすという信条を掲げている。実際、そういったシュプレヒコールを耳にした配下もいる。


 だが、そもそもの話。

 すでにこの世界に大きな争いはない。

 魔族と人間は互いの存在を脅かすことなく共存している。


 この状態が平和でないのなら、なんだというのだ。

 ましてこの平和を実現に多大な功績をもたらしたアルシアが人間の手によって倒されることがあれば、その後がどうなるかは想像に難くない。


「これ以上俺たちだけで調査を続けてもいい情報は得られそうにないな……」


 その一方だ、勇者を追い払うための画期的な策がないのもまた事実。


「やはり、人間側に相談してみる他ないか……」

「なるほど一理ありますね。人間側の王であれば、なにか事情を掴んでいるかもしれませんし。そうと決まれば不肖(ふしょう)ながらこのセラが同行しましょう! 久しぶりのデートというやつでございます!」

「目的をはき違えるなよ? デートなどというたわむれに興じるつもりなどないからな」


 瞳を爛々らんらんと輝かせるセラに対し、アルシアは分別ふんべつわきまえるよう忠告する。


「人間の作った城下町の散策は久方ぶりですね。服装はどうしましょう。ドレスコードを復習しておかなければなりませんね……」

 しかし、妄想に耽ってしまったセラはどこか恍惚こうこつとした表情を浮かべてうわそら

 こうなってしまえば、しばらくは現実世界へ戻ってこない。


「聞いてないな……」

「あはは、あい変わらずだねぇ、セラは」


 舞い上がるセラの側でエルレがうんと伸びをした。

 そのついでに胸元がたゆんと揺れる。


「……二人が出掛けるんだったらボクはゆっくりしていようかな。さっきまで調査で外に出ずっぱりだったから、流石に休みたいし。いいかな? アルくん」

「良かろう。明日の早朝にここを出る。夕刻には戻るが、それまで不在の間を任せるぞ。それと、ついでだ。調査の褒美ほうびに書物をいくつか買ってきてやろう。楽しみに待っていろ」

「ほんとにっ!? ああでも、空振りに終わっちゃっし、ご褒美なんて……」

「得体が知れないと判明しただけでも前進だ。気を落とすな」

「アルくん……」


 エルレのほおにほのかな朱が浮かぶ。


「次……、なにか頼まれたときはもっと頑張るよ……」

「そうしてくれるとありがたい限りだ。期待している。……さて、人間界へ紛れるとなればそれなりに事前準備も必要だ。そろそろうしこくだ。俺も休むことにする」

「あたしもアルシア様の期待に応えられるよう、万全の準備をしておきますわねっ!」


 現実へ戻ってきたセラが鼻を鳴らす。


「張り切らず普段どおりにしていろ。セラは淑やかにしているほうが華があるのだ。やかましくしすぎればお前の美しさの真価を汚すのと同じことと思え」

「まぁまぁまぁ! アルシア様は本当に口が上手なこと……」

「本当のことを言っているだけだ。では、本日は解散とする」

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