32.でも私たちは『普通』ではなく『異常』なんです
「ところで星田くんは、都合よく探知系の能力を持ってたりなんかしないんですか?」
砂音らが校舎へと入ってしばらく、僕らは取り決め通りに七分という時間を校舎外で待っていた。
巳寅さんはいつの間にか、僕らの見える範囲から消えている。砂音らの背後を追ったようには見えなかったけれど、もしかしたら彼女たちの側を監視しているのかもしれない。
浮月さんが問いかけたのはそんなタイミングで、僕は少し考えた末に。
「血の匂いくらいなら」
しかし負傷もしていない相手を察知できるほどではない、と付け足す。
私も似たようなものです、と浮月さん。
「順当に考えるなら、妹さん辺りが勾玉を持っているだろうとは思うのですが」
「他の子も身体は一般人だし、純粋な強度なら妹が一番だろうね」
「だからこそ、私たちが最も時間を浪費してしまいかねない相手です」
考えてみれば確かにその懸念は正しくて、砂音を殺すことに三時間もかけてしまえば、夜明けまでは残り約三時間。もしその時点で砂音が勾玉を持っていなかったとしたら、隠れた残りの敵を殲滅するにしたって流石に時間が足りない。
そして翌日に持ち越されれば、僕らはまた一からやり直しだ。
「校舎の破壊を制限されたのが痛かったですね」
「……」
浮月さんの所有している最大火力がどの程度かは存じ上げないけれども、この大きさの建物を倒壊させるとしたら少なくともプラスチック爆弾が必要なんじゃないかと。
……いや。浮月さんならC4くらい持っているかもしれない。
まぁ、それはともかく。
「逆に僕らの場合は、勾玉を所持しているのは浮月さんだと一発でわかるし、あまり駆け引きの余地がないね」
「そこは何と言っても、鬼側ですし」
と上手いことを言ったような顔をする浮月さん。
一応、その鬼たる僕が持つという手もあるけれど、僕自身の耐久性は人より多少頑丈という程度で、下手したら寄生獣より頑丈な浮月さんには到底敵わない以上、敵との戦力差を鑑みても彼女に持たせるのは定石だろう、なんて。
「妹さんは、確か」
僕がそんなことを考えていたら、浮月さんは唐突に思い出したように。
「『影血鬼』でしたっけ? でも元々は吸血鬼だったんですよね」
「……ぱっと見に変わっているのは、一文字だけだね」
とは言ってみたものの、今やそのメインの能力に蚊ほどの吸血要素もない点は認めざるを得ないところ。改めて妹殿の脅威具合を考えてみれば、少なくとも不死性は白地さんらと同程度かあるいはそれ以上のものだろうし。まさか今更にんにくが怖いなんてベタさが残っていたなら、日常生活を送る上でも微妙に不便だとは思うけど。
……今度、こっそり夕飯にでも混ぜてみようかな。
「彼女は何になりたいのでしょう」
ふと見やると、呆けていたこちらが恥ずかしくなるほど、真剣な浮月さんの顔があった。
「ほら彼女の能力って、明らかに人間を対象に設計されているじゃないですか」
「まぁ、ね」
それは感染の方法だとか、一見して異常が露見しない能力だとか。
「その割りには、妹さんがそうなってまでやりたかったということがなかなか見えてきません」
そう言われて僕は少し考え込んでしまう。
「……本人は復讐だとか言っていたけど」
「人間を相手にですか?」
「神様かも、と言っていたけど」
どちらにせよ嘘っぽさで溢れている上に、万一本当だとしても正直あまり首を突っ込みたくない。
されど浮月さんの指摘する通り、砂音の復讐相手が人間というシナリオはあまりうまく想像できず、ならば彼女が誰を彼岸に見据えてかくも業を背負おうとしているのかと考えてみると、改めて手がかりに乏し過ぎて見当もつかない。
「昨日、妹さんと二人きりで話した時。そんなことを考えていたんです」
そう言ったきり、浮月さんは黙り込む。
その表情に混じった、ほんのりと胸の奥を掻きむしる何か。
先ほどからテンションの差というか、視線を向けている対象の違いのようなものを感じて。
「……浮月さんは」
僕は迷いつつも尋ねてみる。
「彼女たちと敵対したことを後悔してるの?」
だから今更になって、向こうの思想などという砂音らの側の事情へと踏み込もうとするのかと。
脳裏にあったのは白地さんの指摘。僕らの目的は曖昧なのだと。
しかし包帯の隙間から覗ける限り浮月さんの表情は変わらず、ただ、不自然な長さの沈黙を挟んで。
「……そうかもしれません」
と、浮月さんは頷いた。ですが、と続ける。
「間違っていたとは思いません。もしお互いの事情を鑑みて最善の方法を模索できたなら、たしかにそれは理想でしょう。
でも私たちは『普通』ではなく『異常』なんです」
「……」
それはつまり、こういうことだろう。
僕らは交渉はできても、交流はなし得ない。
途端、浮月さんの認識との間に感じ続けていた何かしらのずれが明確になった感触があって、急激に気分が悪くなる。
きっとそこにはまだ、僕に見えていながら、浮月さんには見えてないものがあった。一方でそれとは別に、浮月さんに自明でも僕には不明瞭な前提も。
何かを取り違えているような。致命的な。動機というか、目的というか。
少し頭のなかで整理してみる。
この勝負における僕らの勝利への報酬は、砂音らがこれ以上の勢力拡大を制限されるということ。
これを僕は、現状に定められている停戦協定を単純に強化したものといった程度に理解していた。だから、この勝負の後には今度こそ暴力沙汰を挟まない交渉の場が持たれて、改めて利害の線引が行われるのだろうと思っていた。
しかし浮月さんは今、砂音らとは最善を模索できないと言い切ってしまった。
じゃあつまり。でも、それだと……。
「この勝負の意味がなくなるんじゃない?」
「意味ならありますよ。私たちの日常を壊しかねない『異常』がこの街から消えます」
その言葉で、僕は根本的な勘違いをしていたことに今更気付く。
「消える?」
抑えるでも、調停するでもなく、消し去るのだと。砂音の思想や行動や理念を、跡形もなく。
「逆にどう思ってたんですか、星田くんは」
「……てっきり」
その先の言葉を見失って初めて気付く。
僕自身の内側には、今回の事態に対してどんな展望もなかったのだということに。
僕らがこの勝負に勝ってしまえば、砂音はきっとその志を半ばにして折られてしまうのだろう。
恐らく彼女は深く傷付くだろうし、最悪の場合またあの家を出て行くのかもしれない。
いや。かもしれないなんて程度ではなく、間違いなく砂音は出て行って、あの家は再び僕一人きりになってしまうのだろう。
自宅の廊下に一人立ち尽くす自身を想像した途端。嫌な鳥肌が首筋を撫でて、喉の奥がからからに乾く。呼吸が上手くできなくなる。
「向こうとの交渉より、認識のすり合わせを優先するべきでしたね」
ごめんなさい星田くん、と。疲れ混じりのため息が聞こえて、顔をあげる。
「でも仕方ないじゃないですか。そうしなければ、次に潰されるのは恐らく私たちです」
「……」
ふと見れば彼女の指先は震えていた。気付かれたことに気付いて自身の手先を握りしめ、しかし気丈にも笑ってみせた。
悲しい笑みだった。その笑みのまま。
星田くん、と。
「私たちは弱いんです」
「……」
「どうしようもなく弱いから、『抑止力』なんて方々が本腰を入れれば、きっとあっけなく潰されてしまうんです」
それは実力至上主義な浮月さんからしてみれば、きっと嫌でも認めたくない、不都合ながらも純然たる事実で。
「彼らが私たちを利用しようと試みている今のうちに、私たちは自身の利用価値を示さなくてはならないんです」
「利用価値?」
「他の『異常』と潰し合うことができるという、捨て駒としての価値です」
「……」
裏を読み過ぎなんじゃないかという気もしたけれど、その想定を否定できるような材料は何一つなく、リスクを考えるなら最悪を決めてかかる方が余程安全だということは、僕にもわかる。
浮月さんの思考はいつだってシビアなまでに現実的で、彼女の選択は常に最善だ。
だからこれも、最悪の中の最善なんだろう。
「……それでも、」
しかし僕は、諦めきれなかった。もっと何か別の方法があるんじゃないかと。
脳裏を過るのは相変わらずの、一人きりで取り残された空っぽの家屋。
ざらざらと舌先に残る孤独の味。
「せめて。お互いが生き残れるような道を」「それは私たちの側の都合で、無理だと思いますよ」
遮った声は打って変わって、自虐混じりの。
「私たちってほら、やっぱり『異常』ですから」
笑って見せる。
「『異常』だからこそ、互いの理想なんてわかりあえない?」
「私たちもそうだったでしょう」
そう言われて、ふと鼻の奥に思い出すのは血の香りに雨の最中。
初めて食べた『彼女』の肉の味。それがたった一ヶ月半前。春休み中のできごとで。
僕と浮月さんは、出会って互いが『異常』であると認めた瞬間から、数日間に渡って殺し合った。
「でも僕たちは」自分でもわかるほど弱々しく。「今、こうして手を組むことができている」
「それは天文学的に運の良い偶然です。利害上で、私たちの能力はお互いに都合が良かったから」
「……そんな偶然がなかったら、僕たちはわかりあえてなかった?」
「恐らく」
それはたぶん彼女自身が積極的に避けたい話題だったらしく。
話を戻しますが星田くん、と。
「この諍いを終わらせるには、きっとまだ血が必要なんですよ」
「……」
僕は別に、彼女の言い分に対して何か特別なことを思うわけでもなかったのだけれど。
ただ少し。ほんの少しだけ正直な心情を吐露させてもらえれば。
浮月さんにだけは、そんな正論を諭されたくなかった。
「私たちは愚かなんです。『異常』だからという話ではありません。人間という生き物はどうしようもなく愚かなんです」、と。
どうしてだろう。いつも通りに頷いてしまえばいいとはわかっているのに。
いくら考えても彼女の言っていることは正しくて、実の妹と殺し合う前にくだらないことばかり考えて現実の見えていなかった僕の方こそが間違っているのだから。
『普通部』に入った時と同じように。白地さんを拉致すると決まった時と同じように。
ヘラヘラ笑いながら、浮月さんに流されて。守られて。
「やられたらやられた分だけ、何かしらの代償が自身の目の前で取り返しがつかないほどに壊されることを望んでしまうんです」
どうして僕は苦しまなくちゃいけないんだろうなんて、子どもっぽい腹立たしさに囚われる。
みんなが好き勝手に生きて、何となく同じ場所で緩やかに繋がり続けるような未来は。
毎日を面白おかしく生きていくだけじゃダメなのかな。
「じゃあ、僕たちは」
ダメなんだろうな。
「誰のために『普通部』をやっているの」
「……」
饒舌な浮月さんにしては珍しく、彼女は束の間言葉を失った。
されどそれも一瞬のことで、次の瞬間には取り繕われてわからなくなる。
「部則その三、です」と。
「……浮月さん自身が『生き残る』ため?」
「私と、星田くんです」
真剣な声音で。そんなことを言う浮月さんに、僕は自身が感じる恐怖をまるごと伝えたかった。
まずいよ、と一言。その方向は何だか良くないよと。
でも僕はその理由をどう言葉にすれば良いのかわからない。
脳裏に明滅するイメージはひたすらに、僕が浮月さんと出会う以前、一人で立ち尽くしていた空っぽの我が家だ。
お互いがお互いを甘やかして、外側を排除し続けた結果。最後には誰もいなくなってしまった場所。
何も持たなかった僕一人だけが取り残された場所。
でもそれがどうして今危惧されるべきなのかを、僕は上手く説明できない。
「ともかく、」
そんな僕の様子に、先に見切りを付けたのは浮月さんの方だった。
「星田くんが、あまり乗り気でないということはわかりました」
「別に」と、否定しかけたのを想定外の明るさで遮られる。
「でも積極的に相手を叩きたい気分でもないのでしょう」
まぁ、それは。
「少し、作戦を変える必要があるかもですね」と。
しかしそう口にする浮月さんは、心なしか少し嬉しそうに見えた。
僕の背中を嫌な予感が伝い落ちる。
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