29.『普通』っていうのは、誰にも愛されないこと
「勝負?」
「どちらかというと手打ちかな」
このままだと泥沼だから、なんて浮月さんの言葉を借りる。
僕の内側では結構腑に落ちたその論理に、しかし白地さんは訝しげな視線を緩めようとしなかった。
「というか、どうしてそんな胡散臭い第三者が介入しようとしてるの」
「それは、まぁ」確かに。
こちらからすれば道理が明らかな事情とても、向こうから見れば余程訝しく映るのだろう。
「何か騙されてない、あなたたち?」
「……反論はできないかも」
実際、僕らの方とて巳寅さんが信用に値するとは露ほども考えていないのだし。利用されることを前提としてでも手を組むというこちらの機微を、敵側の納得に値するまで説明しきれるかと問われれば正直微妙なところだ。
元々、白地さんらが交渉を渋る可能性は十分にあった。何しろタイミングが都合良すぎるし、そもそも戦力差でその頭を抑えつけているのは僕らの側だ。そんな相手が持ってきた自称第三者を仲介に手打ち勝負をやれと言う方がどうかしている。
されど意外にも、ここでは『抑止力』という名前が効いた。
知ってるわよ、と。
「あなたの妹さんから聞いたの。想定しうる最初の敵だったって」
「……なら」
少し向こうの立場から考えてみる。というより、客観的に自身の立場を顧みてみれば。
「もしかして君たちは、僕らをほぼ『抑止力』そのものとして見るのかな?」
「そうなるわね」
意図不明の第三者だったはずの存在が『抑止力』という目的の歴然とした組織であると判明した時、むしろ意図が読み取れないのは何の得もなく動いていそうな『普通部』とかいう連中で、どちらかと言えば『抑止力』の下部組織か何かと考えた方が通りが良い。
そうするとつまりこの状況は、巳寅さんの言葉に反してしっかり代理戦争になってしまっている。
「だから訊いているのよ、」
何か騙されてない、あなたたち?
「……」
「私が聞いた『抑止力』という組織の目的はただひとつで、世界中の『異常』の存在を秘匿することだって」
「そのために、君たちのような人間へと害なす存在を穏便に処分しようとしている」
「もっと正確には、隠す気もなく好き勝手している連中の処分だから」
たぶんあなたたち『普通部』も要処分対象よ、と。
「……」
「それはともかく、むしろ『抑止力』の方は目的が明確な分、あなたの妹さんはすでにきちんと対策も用意してあるの」
その対策とやらは気になったけれど、訊かれても教えないからね、と釘を刺された。
続けて白地さんは顎に指を当てながら。だけど、と。
「今度はむしろ、『普通部』の目的がわからなくなる」
「……僕らは、」
頭を過ぎったのはもちろん、部則第三。
突き詰めれば僕らの目的は、僕ら自身が『生き残る』ことにある。白地さんらの蛮行を阻止しようとするのだって、その存在の露呈がこちらへと火の粉を散らす可能性を危険視してのこと。少なくとも僕はそう理解している。
「……」
そう答えるつもりだったのに。僕は言葉を続けることができなかった。
白地さんが見透かしたように「違うわよね」、と。
「もし本当に『生き残る』ことが目的だったなら、あなたたちは『逃げる』ことを選んだはず」
白地さんの指摘は一部の隙もなく正しかった。
僕らが純粋に『逃げる』ことを選べず、世界の軸を『普通』に戻すための現実的な対処を選んでしまったことにはきっと理由がある。
でもその理由を、僕はもちろんのこと。恐らくは浮月さんでさえ、上手く説明できない。
だからこそ僕らはこの状況における中途半端な立ち位置として、『抑止力』の代理枠に収まってしまっている。だからといって、僕らの持つ目的が『抑止力』の目的と完全に一致するわけでもない。むしろそれらはどこかの時点で相反するような予感がある。
言葉を失ってしまった僕に、白地さんは呆れたようにため息を吐く。
「でも少なくとも、あなたたちはその場所に立つことを選んだのね」
「……まぁね」
今更立ち止まることもできない以上、僕や浮月さんの目的の曖昧さが浮き彫りになったところで、方針を変えるという選択肢はあり得ない。
そんな気分も含めて、肩をすくめた。その所作を見咎められる。
「何だか他人事みたい」
「まぁ、ね」
こちらとて特に主義主張もなく流され続けてこんな場所にいる身で。そう言う彼女の方こそ元々巻き込まれた側にしては、当事者意識がありすぎるんじゃないかな、と。
「白地さんは」
少し思うところがあってその口元を見がてら、言うつもりのなかった言葉が漏れる。
「そういうものになりたかったの?」
「……何の話?」
問われて今更、我に返ったけれど、一度口にしてしまったそれを飲むわけにもいかない。
「白地さんたちは、こう」僕らのような「人でないものに、なりたかったのかなって」
「……」
耐えかねる沈黙を挟まれる。
むろん悪いのは僕だ。小さく謝罪の言葉を述べようとしたところを。
半分遮って。
「私さ」
と、白地さんは続ける。
「結構つまらない子だったのよ」
……。そんなことないでしょとか、僕もそうだったよとか。
言えるならばそんなことを言うべきだったんだろうけど、どちらも同情としてはあまりに偽善が過ぎる。
たぶん実際のところ、白地さん含め、ほとんどの人間はつまらないものだと思う。
何も持たず、何者にもなれず。
だからこそ奪われることも踏みつけにされることもない。
それが『普通』ということの本質で、僕ら人外が焦がれる存在。
「この歳で何言ってんだって思われるのはその通りだけど」
「別に」
私はね、と。
「『普通』っていうのは、誰にも愛されないことだと思うんだ」
「……」
もちろん。
そういう見方もあるのだとは思う。隣の芝生は青く見えるというのはその通りだろうし、僕には感じられないような苦悩やら悲哀やらは間違いなくあるのだろう。
されどそれは、突き詰めればお互い様な部分もあって。つまりはどっちもどっち。
だからこそやはり。それは違うよ白地さん、とでも反論できれば『普通部』として一流だったのだろうけれど。
結局その時の僕は、自身の口元が言葉を失うに任せた。
それはたぶん重みの違いを見せつけられた気がしたから。
白地さんの言葉は彼女自身の傷口から滲み出たようなぞっとするえぐさがあって、雰囲気で所属してるだけのお飾り部員には対抗意見なんてとてもとても。
「僕は逆だと思うけどな」
……。反論するつもりなんてなかったのに、思わずこぼれでた言葉は自分でも意外なほどだった。
『普通』とは人に愛されるべきことなのだと。僕はそう主張したかったのだろうか。
「……そうかな」
まぁ、いいけどさ、と目を伏せた。
むろん彼女の方だって、あえて押し通すほどのことでもなかったらしく。
「で、さっきの話」
と再び持ち上げられた視線にはいつの間にか、元通りの気丈さを取り戻していた。
「私は結局どうすればいいわけ。あなたの妹さんにそのまま伝えれば良いの?」
「そっちは僕が直接伝えるから」
「だよね。一緒に住んでるんだし」
じゃあ何これ。と視線で問われて少し答えに詰まる。とは言え上手い具合に遠回しな言い方も思いつかないし、このタイプのやり方を同じ相手に何度もできるほど僕は器用でもない。
つまり、と腹をくくる。
「うちの妹からこの話が行った時、下側から同意して欲しいなと」
「うわ……、根回しじゃん」
そんな身も蓋もない白黒コントラストな表現は人聞きが悪いなと思った。いや、実際根回しなんだけどもっと玉虫色で悪い大人な表現がさ、なんて。
「ともかく話を通すだけ通しておこうかって」
「私は別に良いけど、無駄な気遣いだと思うな」
なんて白地さんがぼやくから、そんなにうちの妹様は独断専行なのかと思ったら。
「絶対、言う前から面白そうって言うだろうし」
「……」まぁ確かに。
あれでうちの妹様はミーハーだったりする。何せ自分が吸血鬼だからという理由(たぶん)だけで家出先がルーマニアだし。
「ってことでじゃあ、本題はこれでおしまい?」
「そうだね」
あまり拘束しても悪いので、じゃあこれでと立ち上がりかけたのを呼び止められる。
「そういえばさ」
と。白地さんは珍しい緊張したような声で。
「……星田くんって浮月さんと付き合ってるの?」
「……」
もっと早くに立ち去っていれば良かったと思いつつ、本当にそうしていたら後々大変なことになってただろうなという予想も容易くて、僕は為す術もなく空になったグラスを見つめる。……そういえばせっかくドリンクバーを頼んだのに、まだ珈琲一杯しか飲んでいないなんてことにも気付いてしまった。
さて。
改めて僕と浮月さんがどんな関係であるかを説明、というより今後の火種となりそうな彼女の勘違いをどうにか軟着陸させて、方々ことなかれに収めるために。
「白地さんは、またカフェラテでいい?」
「私、ブラック」
「……取ってくるね」
まるまる潰れそうな僕の休日が、虫の息でそこにはあった。
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