12.クラスの生き物係
翌朝は、玄関の扉を閉める音で目が覚めた。
訝しく思いながらも部屋を出て階下へ。廊下を見回しても誰もいなくて、幻聴かなと首を傾げた。
せっかく起きてしまったのだからと、顔を洗いに洗面台へ。その間にケトルでお湯を沸かして、タオルで顔を拭きながら珈琲を淹れる。
カップに口を付けようとしたタイミングで、見計らったわけでもなかろうに玄関のインターホンが鳴って、淹れたての一口目を諦めて表に出る。
「おはようございます、星田くん」
立っていたのは浮月さんだった。朝焼けの真ん中。通学用の鞄以外にもいくつか紙袋を持っていて少し重そうにしている。
「どうしたの浮月さん、こんな時間に」
もちろん僕と登校するために朝早くから、なんて展開への期待がまったくなかったと言えば嘘になるだろうけど、かつて一度もなかった事態を今朝になっていきなり確信するほど自信があるわけでもない、なんて。
「えぇ、ちょっと用があって早起きしてきました、それより」
と、多めの荷物を掲げる。
「中に入れてもらえたりしませんか?」
言われた通りに僕は彼女を招き入れて、いい香りですねと言われたのを催促と捉える。もう一杯分の珈琲を挽いた。
「星田くんも早いんですね」
「浮月さんが来るような気がしたから」
「あら、寝起きの顔は楽しみにしてたんですけどね」
「……」
意地悪を意地悪で返された気分だった。
勝者の余裕か、浮月さんは澄まし顔でカップを傾ける。場所は和室。包帯まみれの彼女がマグカップを傾ける姿は異様なほど、この場所に似合わない。見た目だけなら黒髪が映える和風妖怪なのに、何がこうまで構成を壊滅させるのかと首を傾げた。
睨まれて目が合う。
「何か失礼な視線を感じますね」
「まさか」さとり妖怪。「それより朝ごはんは済ませてきた?」
「いいえ、星田くんもまだですよね」
彼女は持ってきた紙袋から大きめのタッパーを五つばかり取り出した。
机の上に並べて。
「腕です」、と。
なるほど覗いてみれば。冷凍された真っ赤な中身は、人の腕の輪切りらしかった。
総量が明らかに二本より多く、本数的に負ける浮月さんの細腕でよく運べたものだとくだらない感想が思い浮かぶ。
「いつもありがとう」
傷まないうちにと自宅の冷凍庫へ収める。夕飯にするつもりの一つは冷蔵のスペースに置いて低温解凍。ついでに食材の残量を確認してみれば、どうも明日の朝までは足りないらしいので帰りにでも買い足そうと考える。かつての飢えの記憶からか、冷蔵庫が食料品で埋まっている光景の方が何となく安心するので。
それから和室へと戻ってきて互いに向き合い珈琲を一口飲んだところでしかし、結局僕らはどちらも朝食にありつけていないことに気が付いた。
「てっきり朝食でも作ってきてくれたのかと」
「私は珈琲以外もご相伴に預かれるかな、と」
お互いたかるつもりだったらしい。
諦めたように浮月さんはため息を吐いた。
「行きにコンビニへとでも寄りましょうか。星田くんはさっきの食べてもいいですよ」
「僕だけ食べるのも悪いよ」と言いつつ、本当は解凍が面倒なだけなのだけど。
何が面白かったのか、彼女は少し笑って「じゃあ出ましょうか」と立ち上がった。
その微笑みに僕は首を傾げつつ。
「それでもまだ始業には早いけど」
「何言ってるんですか、星田くん。餌をあげないとでしょう」
……。それで笑ったのかと思った。
台詞を聞くだけならクラスの生き物係なんだけどな、とも。
しかし買ってきた餌(おにぎり類)は無駄になった。
昨夜の倉庫の片隅から、白地さんは跡形もなく消え去っていて、錆塗れの鎖だけが別の生き物の死骸みたいに取り残されていた。
僕ら二人分の足音のみが高らかに、朝日差し込む天窓まで響く。
「想定してはいましたが、本当に逃げられてもあまり心臓に良くないですね」
と、口ではそう言いながらも浮月さんの様子は落ち着いたもので、倉庫端に立てかけていた椅子三つを寄せてきて一つを置き机代わりに、残りの片方に腰を下ろし、自身の分として買ってきたメロンパンの袋を開けた。僕もその向かいに座って鳥の揚げ物にかぶりつく。
彼女の方は設置していた監視カメラの映像を見ながらの食事だった。
「やっぱり逃げられたの?」
「いいえ、ただ死んでますね」
「ん?」
そう疑問の声を上げたこちらにも見えるように向けてくれた。その画面の中で、深夜の白地さんはすでに虫の息だった。
「どうやら出血多量みたいで」
「あぁ」
そういえば彼女の左目にはナイフが刺さりっぱなしだったと思い出す。
浮月さんが言い訳のように付け足す。
「もっとも、昨夜私たちが抜いて帰っていたとしても、死に方は同じだったでしょうけれど」
「……」
左目貫通なんて致命傷を負わせた浮月さんの初手から、色々間違っていたんじゃないだろうかと思った。思ったけれど、もちろんそんなことはおくびにも出さず、ことなかれな僕は、代わりにわかりきった事実を尋ねてみる。
「でもただ死んだだけなら、死体があるはずだよね」
「そこなんですよね。この映像の時点でもう、一人で逃げ出せるほどの力は残ってなさそうですし、誰かに救助されたのか回収されたのか」
誰かに(生きたまま)救助されたのか(死んでから)回収されたのか。
しかし結論から言うなら、白地さん消失の原因はそのどちらでもなかった。
画面こちら側の僕らが、それぞれの朝食を食べ終わった頃にようやく、向こう側の白地さんは息を引き取り、少しして。
そのまま消えた。
「……」
僕は言葉を失ったけれど、浮月さんは感心したように「ほぅ」と頷いていた。
「これでめでたく私の仮説が立証されて、A組の皆さんが消えた理由も説明できましたね」
……確かに。この『異常』に『死体が消える』なんて法則が含まれていると仮定したなら、教室から約四十人分の死体が消えた怪奇現象にも一応の道筋は付けられる。それを説明と呼んで良いのかは、はなはだ疑問だったけれど。
それにしても、浮月さんの仮説がまさか言葉通りに正しかったなんて。せめてもっとゾンビっぽく蒸気をたてつつ消えるとか急速に腐り崩れるとかあっても良さそうなのに、画面効果のように白地さんがあっさり消え去ってしまった光景は正直、僕にとってもかなりの衝撃だった。
そんな僕の隣で浮月さんは嬉しそうに続ける。
「これで『死体消失』という、ひとつめのルールが得られました」
僕はその言葉に首を傾げた。
「他にもあるの」
「まだ生き返ったことが説明できていません。それから白地さんが、突然人殺しを嗜むようになった件もあります」
……。謎は深まるばかりでいずれ解明される展望もなく、そうやすやすと物理や人格を無視されても困るんだけどな、という僕の感想のみが、ただひとつの本当。
なんて独り言に、いたずらな微笑みが返される。
「何を今更」
そう言われてみるとまぁ、浮月さんや自身を前に、確かに今更過ぎる話だった。
さて、となると果たして。今日のA組には誰が残っているのか。もしくは新々白地さんがいるのか。
「登校が楽しみになってきましたね」、と。
空になったメロンパンの袋を几帳面に畳みながら浮月さんは言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます