産声

@manseibien

産声


「俺たちは時代の寵児かね、それとも被害者かね?」

肉を捌く音の中で彼は楽しげに問うてくる。


「どちらでもない」僕は彼を見ず……努めて冷静に応じた。「ただの加害者だろう」


「ここに」今彼は、恐らく彼女の腹を指差している。「黒電話が突っ込まれたのは何時だっけ」


「一九八八年」僕は最早彼に背を向けて諳んじた。「ギリギリ昭和だ」


「嗚呼、そうか」案の定彼はせせら笑った。「そいつは惜しい……いや、僥倖だったと言うべきかな」


「本当にこれで良かったのか?」


「どういう意味?」


「愛していたんだろう、彼女を」

吐き気を催す臭気の中で彼はしばらく押し黙ってから「愛しているからこそ、だ」と言った。


「これから時代が移り変わる。この時代の問題はこの時代の間に片付けなきゃいけない」


「問題……」


「お前だって、同じ台詞を繰り返し聞かされたくはないだろう?この世は地獄だってフレーズに、お前もとっくの昔に飽きているはずさ」


「ジム・ジョーンズも同じ事を言っていた」そして彼は千人近い信者と共に、集団心中を果たした。「あの毒の祭は、一九七八年のことだ」


「それに比べればこの国の地下鉄に起きた祭なんざ大したことじゃ無いな。たった十三人しか死んじゃいない」


「どうだろう、人民寺院の惨事を考えればこの時代は……随分と気楽になったんじゃないか」


「いいや」彼は低く呟いた。「俺たちが地獄の大釜で茹でられていることには変わりがない。そこにある相違は……ただ、ほんの少し湯の温度が下がったってだけだ」


「……そういう考え方も有り得るかも知れない」僕はそう思わないが、とは続けなかった。


「考えてもみろ、嘗てユダヤの専売特許だった『ゲットー』も拡大解釈されて今じゃ多くのマイノリティに与えられている。嘗て襤褸みたいな飛行機で突っ込んでった若者は今や生身で電車に突っ込んでいる。戦火こそ、ここいらからは少し遠ざかったが、『ラッカは静かに殺されている』」

饒舌と共に彼は刃物を振るい続ける。


「結局何も変わりゃしない。結果が死であるなら、兵士と社畜の間に見るべき違いなど存在しない。俺たちの周囲数メートルが残虐性を押し隠したからといって、お前には世界が綺麗に見えるのか?」


「いいや」呼吸を詰まらせながら、僕はもう一度彼の行為に視線を注いだ。猛烈に煙草が吸いたくなっていた。「だから、僕もここにいる」


「アラン・チューリングは第二次世界大戦の裏で一千万人以上の命を救ったと言われている。だが彼は栄誉を授かることなく、あまつさえ同性愛者という理由で誹りを受け、化学的去勢までさせられた。そして毒りんごを囓って死んだんだよ。それから数十年、たった十年ほど前にようやく恩赦を受けたが、だから何だって言うんだ?彼は無神論者で、絶望に打ち拉がれたまま地獄から退場したのに」


「もうすぐ零時だ」携帯を確認し、僕は言った。「もうすぐ平成が終わる」


「準備は整っているよ」彼は肩で息をしながら、幾分微笑んだ。「この時代唯一の恩恵……それは、時代の境界線がハッキリしていることだな。この国に限った話でしかないが、ミレニアムよりはマシだと思うね」


「その子を生かすのか」無駄とは知りつつ、僕は訊ねた。


「勿論。どんなに残酷でも、地獄でも、人は人を産むし半永久的にバトンは受け渡されていく。それが俺たちの使命であり、運命でもあり……」


「でも、彼女の運命はここで止まった」


「だからこそ訊いたんだよ。俺たちは時代の寵児か、それとも……」

彼の問いを遮るように、控え目な電子音が鳴り響いた。


「二十三時五十九分」

彼は彼女の中へ両腕を突っ込んだ。筋繊維が悲鳴を上げて裂けていく。

全ては十ヶ月前、或いはもっと前から周到に準備されていた。彼は自らの主張を証明するためだけに彼女に声を掛け、そして子を宿させた。彼女は今日死ぬことを義務づけられていたし、同様に彼女の子が今日生まれることも義務づけられていた。恐らく彼女のミスは……計画通りに子を授かったこと、そしてそれを満面の笑みで喜んだことだろう。それは到底、十分な説明にはなっていない。しかし、それ以外の方法で説明することも出来はしない。


「ジル・ド・レは己の快楽のために少年たちを殺した。グレアム・ヤングは毒に魅せられて人を殺した。チャールズ・ホイットマンは自分でも何も分からないまま人を殺した。昭和天皇はどうだったかな。ドナルド・トランプは、金正恩は?俺はね、人が人を産むのと同様に、人が人を殺す構図も全く変わっていないと思う」


或いは、出産日が丁度今日であれば、彼女は救われていただろうか?いや、とてもそうは思えない。彼は何かしら理由をつけて彼女をスポイルしていただろう。仮定の中に於いてさえ、彼女が救われる手立てなどただの一つも存在しなかった。そう考えることは、ともすれば僕自身の逃避に過ぎないのかも知れない。


「そしてこれからも」と、言葉を句切ると同時に彼は彼女の中から血みどろの胎児を引きずり出した。直後、予定通りにスマホが零時を指した。


「ハッピーバースデイ、旧時代の赤ん坊。新時代の地獄へようこそ!」

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