第20話 エメルと男

 日付が変わった。天井にぶら下がる球体が、ホテルのラウンジを淡い茶色に染めていた。

 ラウンジの隅に小さな正方形の茶色の机を囲んで、四脚の白のソファーが並べられていて、それらが三組あった。エメルはソファの一つに腰を埋め、真向かいにある薄暗いバーカウンターをぼんやりと眺めていた。棚に並んだ大小の瓶が光を受けて、美しく輝き、小さな夜景のように見えた。ここのホテルのラウンジは二十四時間使えるらしい。時間を気にせず酒を飲めるのが気にいった。好きなだけ頭の中を空っぽにして休む事ができる。グラスを回し、飴色のウィスキーの中でうごめくモヤモヤしたものに見とれていた。


 エメルの他に、バーテンダーと、途中から入ってきたグレーのスーツ姿の男が一人いるだけだった。スーツの男は、カウンターで飲んでいたが、片足を庇うような歩きでエメルに近づいてきた。斜向かいのソファに腰掛けた。腰掛けた後に男が声をかけてきた。エメルは男に冷たい眼差しを向けていた。


「お邪魔していいですか?」


 エメルは本当に男が邪魔だと思ったので、もう一組のソファと椅子が並べられている箇所を指で指し、

「他に空いている席はたくさんありますよ」

 と、物憂げに答えた。一人で休みたい時に、誰かに近寄られると鬱陶しくて仕方がない、という感情を押さえようともしなかった。男は構わず、話しかけてきた。手帳をエメルに見せつけた。


「私、T県警公安部外事第一課の山下です。MIAの職員さんをたまたま、お見かけしたので挨拶ぐらいはさせていただこうと思いまして」


 エメルは不機嫌な表情を維持し続け、テーブルの上のグラスを手に取り口をつけた。


 頭の中で、どこで特定されたのか考えていた。警備員として入っていた、MIA職員が証拠隠滅できなかったか、通信を傍受されていたか。高校生や十三歳の子供にもハッキングされた通信なので、こうなるのは必然的だったように思う。


「何です、あなた。誰かと間違えてるんじゃないの?」


 男の顔をそれとなく観察した。大きな丸い目をした男だ。丸い鼻、大きな口。自分で鏡を見ながらカットしたような、形の悪い短髪。体がガッシリとしていて、レスラーのような体格をしている。グレーのスーツが張っていて窮屈げに見えた。大きな体を使って威嚇するように、身を屈めていた。エメルは知らんふりを続けた。


「トボケるんですか」

「本当に違う。私は観光で来ているだけだ」

「その気になれば、あなたを拳銃所持の容疑で逮捕することもできるんですよ」

「そんなものは持っていない」

「じゃあ、調べさせてもらいますよ」


 男が苛立ちの感情をほんの少し、露わにした。エメルはこの男は何も知らないのだと、思った。最初にエメルの名前を出さないし、もったいぶって何か証拠をほのめかして来る事もない。だが、エメルがMIAである事と、拳銃を使った事は知っている。

 

 エメルが拳銃乱射事件の現場にいた所だけを見たか、聞いたかしたらしい。通信も傍受されていなければ、エメルに関する事も知らない。なぜなら、エメルは今、拳銃を持っていない。ホテルの部屋にもない。日本支局に置いてきた。昨日、現場にいた所を見られていた場合、こういった形で職務質問される恐れがあったからだ。


 敵は魔女をMIAからおびき寄せるために、凶行に出ている。丸腰は危険だが、エメルのガード役のMIAの職員がこのホテルに滞在している。


「いいよ。好きに調べたらいい、私の体を・・・・・・」


 エメルはこの男で遊んでやろうと考えた。手にしたグラスを机に戻した。

 バーテンダーの様子を伺い、ソファを引き寄せ壁をつくる。ソファの壁でバーテンダーには見えない位置に腰を落とした。エメルは公安の男の前にひざまづく形になった。


 自ら、ブロックジャケットのファスナーを下ろし、ゆっくりと肩を露出させた。前傾姿勢を作り、わざとタンクトップの間から胸の谷間が望めるようにしてやった。男は何も言わなかった。


 エメルは男の眼を見据えていた。冷やかな眼だった。


「拳銃が出てきたら、私はMIAだ。何でも喋ろう。何も出てこなければ」

 男の膝に指を這わせ、ゆっくりと奥へと滑らせていく。男がうめき声をあげた。

「大声をだして、警察に連れ帰ってもらうしかないな」

 感情の無い緑の眼が男の顔を顎から、額へと舐めるように品定めする、その眼が男の視線に絡みついた時、男は恐怖した。何かを諦めた眼に見えた。本人ではなく、他人が酷い眼にあった時に見せる感情のない眼。これからそんな眼を向けられるような、何かをされるのだ。


 ラウンジの照明の効果もあるが、底の見えない闇の穴から女が顔を出しているように見えた。彼女の口端が溶けるように下がり、這わせていた指を離し、静かにはだけているジャケットの中に差し込んでいく。エメルは服の上からでも分かるように、何かを握りしめるしぐさをした後、ジャケットから再び素早く手を引き抜き、男にそれをつきつけた。


 男は、喉の奥から悲鳴に似た声を出して飛び退き、背中からソファごとひっくり返った。

 エメルは引き出した手を銃の形にして構えていた。ひっくり返った男に向けて撃つしぐさをする。


「あんたが大声だしてどうすんの? 恐がりすぎじゃない」

 エメルははだけた服を整えながら、口元に軽いえくぼを作った。バーテンダーが二人を眺めている。エメルは手を振り、何もないとジェスチャーした。


「な? 何も持ってないんだよ。さっさと、どっか行ってもらいたいな」

「どんな手品を使ったのかわからんが、アンタが銃で犯人を撃つのを見たんだ」


 こいつは、昨日、犯人に撃たれて人質になっていた男だ、とエメルは思った。SATだと思っていたのは、公安の人間だった。


 足を庇うようにして歩いていたのは、傷の治療が完全に終わっていないからだ。さっき戯れに指で男の膝に触れた時、痛がっていた。病院から早く出てきてまでエメルを追いかけてきた。他に公安関係の仲間がいるかもしれない。


「現場に残されていた拳銃と、弾丸を調べたが、まるでかみ合わなかった」

 それはそうだろうな、と心中頷いていたが、感情に任せて多弁になる男を制した。

「公安の人間が、関係ない相手に公務をベラベラ喋っちゃまずいと思うけど」

 エメルは男に手を貸した。治りきっていない足で無理して出てきたらしい。痛みにうめき声を上げる男に肩をかして、エメルが座っていたソファに座らせてやる。男はエメルに顔を寄せるように手招いた。わざと呆れたように振る舞い、男の顔に耳を寄せた。


「あんたは、あの現場にいた。俺の眼が証拠だ。あんたが認めないなら、それでいい。俺はあんたがMIAの人間だと思って勝手に話す」

「勝手にしろ。頭、おかしいと思ったら部屋に帰るからな」

「本当の拳銃はアンタが犯人を殺した後に、回収して、別の品を置いていった。現場に残った銃弾や薬莢は、犯人とアンタが撃ったものだ」

「違うけどね」

「これから三度目の事件が起こる」

「怖いこと言うなよ」

「犯人は、首に三発、額に一発、銃弾を打ち込まれて死んだ」


 公安の男はエメルを強い目で見つめている。少し間があった。


「ニュースでは焼身自殺だって言ってたけど」 


 やはり違うのか。エメルはその続きを早く聞きたい気持ちに駆られたが、平静を装い男が口を開くのを辛抱強く待っていた。


「何か理由をでっちあげないと、世間に向けて説明ができなかった」

「いい、サスペンスになってきたぞ。その話、SNSに上げていい?」

「日本での銃を使った乱射事件は二件目だが、一件目の犯人について興味はないか?」


 一件目の犯人も、身元不明だと聞いている。エメルはもったいぶらずに早く喋れと、思った。

「興味ないけど、喋りたくて仕方がない

んだろ」

「誰だと思う?」

「何かのクイズなの?」


 エメルはうんざりしたように、大げさに息を吐き、目を伏せた。下らない事してないで、早く言えという男に対する本心も混ざっている。男は黙り込んで、話を先へ進めない。何か答えるまで、意地でも話さないといった顔付きをしている。エメルは男を睨みつけ、吐き捨てるように言った。


「・・・・・・いい加減にしろよ。馬鹿にしてるのか、お前」

「同一人物だよ」


 エメルは不審な目を男へ向けた。男が少し微笑んだように思えた。事件に対しての関心を初めて彼女が見せたからだ。エメルはしまったと思った。


「どういう意味だ?」

「同一人物なんだよ。二件目の犯人と。だから、世間に向けて本当の事が発表できないのさ。一件目の事件で、死んだはずの男が再び拳銃を持って現れた。そんな漫画みたいな事を発表できるか?」


 あり得る話だと思った。異常な回復能力を持った魔法使い。エメルが作った軟膏も似たような効果があるが、死体を蘇らせるような力はない。更に男は続けた。

「それに男は有名人だ。この都市の人間にとっては特にな。警察も誰一人、見紛うヤツはいなかった。だが、男は既に存在しないはずの人間なんだ」


 山下の発言に熱が入り始めていた。酔いが回ってきたせいもあるのだろう。エメルは声を落とすよう、至極冷静に注意した。


「その男は、元ウェイロン社CEOロン・ウェイロンだった。TVでも見たし、新聞にも出ていた。顔はよく知っている。髪を短くし、髭も伸びていたが、彼にそっくり、いや、ロン・ウェイロンそのものだった。この話の何が変なのかはわかるだろ?」

 S市を再興させた、ウェイロン社CEOロンは既に死亡している。エメルがパキスタンでの任務についている間の事だ。顔は思い出せない。確か、交通事故で亡くなったはずだ。

「そっくりさんだろ。で、検死の結果は?」

「いや、それが・・・・・・。一件目の犯人の遺体を回収した時、検死の準備を進めていた途中で遺体が消えていた」

「不思議な話だ」


 エメルはグラスの底に残った、小さくなった氷を眠そうな目で眺めていた。興味がある話を、興味がないように聞く演技は難しいものだと思う。


「警察の不祥事は認める。だが、こんな馬鹿げた話、公表できないじゃないか。持ち出せるような隙が全くない。痕跡も何も残っていなかった。二件目の遺体も同じように消えたらしい。今回は厳重に見張っていたらしいがやはり同じように・・・・・・」


 二件目がらしいという表現なのは、山下は病院のベッドの上にいたからだろう。もう、これ以上この男から聞くべき話はないだろう、と思った。


「何かのトリックだろう。よく、推理小説とかそういうのに書いてある。ポアロとかホームズがでてくる物語だ」

 エメルはソファから身を起こした。

「最後まで聞け! 俺の推測だが、ウェイロン社はクローン実験もしていたのだと思う。ありえない話じゃない、現に、羊のクローンが・・・・・・」


 今度は本当に、妙な方向へと話の舵をきりはじめたので、完全に潮時だと思った。


「・・・・・・遺失届けだしとけ。遺体を紛失したなんて、笑い話にもならない」

 エメルはバーカウンターに目を向けたが、誰もいなかった。

「お前が呆れるのもわかるが、事実なんだ。三件目が近いうちに起こる。MIAにもちゃんと周知しておいてくれ。嘘じゃない、本当の話なんだ」


 エメルは、この男が組織や仲間に今と同じような話をして、誰にも相手にされなかったに違いないと思った。警察は消えた遺体に混乱しているのだろう。この事件について、警察は深入りできず、邪魔になる事はない。エメルは好都合だと思った。


「私はMIAなんか知らない。それに、探偵でもない。いいか、そういう話は蝶ネクタイをした眼鏡かけた子供に相談する事だ。きっと、何とかしてくれる」


 日本で人気があるアニメに出てくるキャラクターが、確か探偵で彼の名を出そうとしたが、思い出せない。男がなおも、何か言っていたが、エメルの関心はアニメキャラの名前を思い出す事へとシフトしていた。


 男は、失望の眼差しを向けてきた。エメルは口角を上げて笑顔を作った。冷めた眼差しが男にはどう映ったのだろうか。

 エメルはホテルのラウンジを出ると、頭を切り替え、MIAのエージェントに戻った。

 通信機をつけ、MIA情報部に山下から聞いた話を伝えた。ヴォイド支局長は眠っているだろう、明日、直接口頭で詳しく話そうと思った。

 夜が明けたら、野神真の家に行く予定だったが、一度、日本支局へ行ってウェイロン社について情報を整理し、詳しく調べた方がいい。

 自室に戻ったエメルは眼下に広がる雪に覆われた、闇に飲まれた街並みに目をやった。

 オレンジ色の小さく賑やかな明かりが、都市が眠りにつこうとしているのを妨げている。嫌な予感がする。エメルの瞼の裏に、もう一人の魔女の姿が現れていた。

 金髪・桃色の眼、流浪の魔女。MIA指定の国際指名手配犯。


 エメルは目を閉じた。昔の記憶が蘇る。あの凄惨な夜が。自分の生き方と、名を変えた夜が。


 間違いない、あの女がこの都市に潜んでいる。

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