グリーン・マジック・オーケストラ
神納木 ミナミ
1部
第1話 少年と魔女
空は真っ白だった。
降りしきる雪に、遥か上空に浮かんでいるはずの、雲の影も霞んで見えないのだった。少年はターミナルの一角に備えてあるベンチに腰掛け、目の前を右へ左へ流れていく人々の隙間から彼方に見える地上十階建ての百貨店と、その近辺に群がる大小のビルがひしめき合って形成されたショッピング街を見た。
建物の雑多な色が、僅かな陰影を帯びた数多の白雪が地上に落ちる様を、浮かび上がらせていた。かなりの量の雪がしんしんと降り注いでいる。
少年のベンチがある場所から5mほど先の交差点へと視線をやる。
そこはターミナルと、さきほど眺めていたショッピング街を繋ぐ交差点だった。ビジネススーツにビジネスコートという出で立ちの男女や、厚着に身を固めた人々がが行列を作っていた。人の流れは延々と続いている。時折、赤信号がその流れを絶つと、アスファルトの上を色々な車種の自動車が数珠繋ぎに、次々と滑っていく。この繰り返しを幾度見ただろう。少年は、高くそびえ立つ時計塔を見た。信号機のような長い鉄棒の先に、大きなアナログ時計がくっついている。それは午前十一時を指していた。
大路奈地美との待ち合わせまで、まだ、少し時間はあった。少年、野神真はベンチを立ち上がり、背後へ移動した。
広大なターミナルの中央通路が眼下に見えた。そこから左右に無数の通路が枝分かれし、それらの先は、各鉄道会社の改札だったり、更に地下へと降りる階段などに通じている。野神は中央通路へ降りる階段の手前にある売店で、缶コーヒーを買って、ターミナルの白い柱の一つに背をつけた。缶コーヒーを口から流し込んだ。
中央通路を利用する人間も多い。人々の黒い頭でごった返していた。
野神は都会が好きだった。人々は互いに無関心。そこにたくさんの人がいるが、お互いに干渉しない。それでいて、あまり孤独を感じないのだ。心地よかった。駅のざわめきが孤独を紛らわすBGMになるのかもしれない。
野神は違和感を感じた。誰かに見られたような気がしたのだ。たくさん人がいるので、誰かの目に入らない方が不自然だ。だが、たまたまとかそんな感じではなく、凝視されている、と思った。人の視線に晒された時の、相手を意識して体がぎこちなくなる感覚がしたのだ。奈地美が来たのかと、周囲に目を配った。いない。
ふと、一人の女性が目に入った。小柄で、スマートな女性だった。羽織ったグリーンのジャケットをファスナーいっぱいまで締めている。白いジーンズのラインが綺麗な曲線を描き、彼女のスタイルの良さを際だたせていた。
野神と同じように、斜向かいの柱に背を預け、ジャケットのポケットに両手を突っ込んで立っていた。野神の視界に入っては、意識の端に残る事もなく消えていく人々の中で、彼女は異彩を放っていた。そんな風に思えるのは、彼女がじっとこちらを見ていたからなのかもしれない。近くはないが、表情ぐらいは窺えるほどの距離だ。優しい目でこちらを眺めていた。野神と彼女は視線があった。彼女は視線を通路に落とした。
野神も彼女から視線を外した。見られているような違和感は消えていた。
変わって、先ほど見た女性の姿が脳裏に浮かぶ。
肩口までのストレートな髪、前髪は眉すれすれの位置で切りそろえてある。
深い二重のラインが刻まれた、ほんの少しつりあがった目、鼻筋が通っていて、形の良い小さな唇だった。瞳の色が緑色だったような気がするが、そこまで分かるような距離ではなかった。
彼女を再び見た。彼女は男に話しかけられていた。スーツ姿の二十代の男だった。背も高く、TVで見た美形の俳優に似ていた。野神はその俳優の名前までは知らない。
彼女は男性の胸辺りまでの身長で、小柄な体が、より小さく見えた。その表情はさきほど野神に向けられたものとは異なり、冷たかった。野神は彼女と男のやりとりを眺めていた。男が慌てるように立ち去った後、女性は再び野神に視線を向けた。冷たい視線が優しい眼差しに変わっていく。野神は慌てて顔を背けた。
嫌な気分はしないが、落ち着かなかった。
野神が優しい目だと思ったのも、単なる自意識過剰かもしれない。
普段から冷たく、疎んじるような視線を向けられなれているせいで、他人の何でもない視線を優しく感じるだけなのだ、そう思った。
野神は飲み終えた缶コーヒーを、ゴミ箱に捨て、元のベンチに戻った。
戻り際、横目で彼女をちらりと見やると、また、別の男に話しかけられていた。皆、自分と同じ勘違いをして、話しかけているのかもしれない。悪気なく男を惑わせてしまう魔女といったところか。
大路奈地美はまだやってこない。約束の時間は過ぎていた。
スマホにメールが入っていた。用事ができたので、三十分遅れるという内容だった。
あと、三十分、どうやって時間を潰すか野神は考えた。
ふと、野神はさきほどの魔女の事を詳しく知りたいと思った。
野神は奈地美に『気にせず、ゆっくり用事を済ませてきて』と返信した。
それから、周囲の目から守るように手でスマホを覆って、あるアプリを起動した。
魔女の顔が頭に浮かんだ。優しく笑っていた。
一瞬、野神は罪悪感に捕らわれたが、胸に押し寄せる好奇心が勝った。
彼女を陥れるわけではない、利用もしない。
ただ、知りたいだけだ。自分一人の胸に秘めておく。今までもそうだった。
野神はスマホに目を落とした。
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