Audace!!

まくら

prelude:前奏は一杯の葡萄酒から始まる



「皆様、本日は貴重な休暇の中お集まりいただき、誠にありがとうございます」


カンテラの灯りだけで照らされた薄暗い煉瓦造りの部屋の中で、白衣の科学者達が一箇所に集まっている。

中央には、糸のように細い眼をして、口角を上げている一人の科学者が、木組みの箱を持って立っていた。


「皆様、遂にこの時が来たのです」


全員が、ごくりと唾を飲む。


「長い月日を経て、我々の実験も遂に終わりを迎えます。こちらが我々の実験結果…」


糸目の科学者は、そっと箱を開けた。

中から出てきたのは……。


「これが……どんな願いも叶うワイン『ヴィーノ・アウダーチェ』です!」


大願成就の葡萄酒《ワイン》、「ヴィーノ・アウダーチェ」。

それは、その名の通り飲んだ者の願いを何でも叶えてしまうという夢のようなワインであった。


「実際に願いが叶った事例はあるのかね?」


白く多い髭を蓄えた、年寄りの科学者が、低く渋い声で尋ねる。


「ええ、勿論ですとも。ですが信憑性を高める為、只今から此処で臨床実験をさせていただきます」

「臨床実験?」

「はい。ですがこの完成品はまだ瓶一本分。貴重ですので、取り合いなどが起こらないよう私が飲ませていただきます。宜しいですね?」


科学者たちは、揃えて頷いた。

糸目の科学者は頷き、そっとワインの瓶を開け、それをワイングラスに注いだ。


「「おお……」」


科学者たちは、つい口から声が漏れる。

それくらいに、このワインは美しい色をしていた。

種類は赤ワインだが、不思議と透明感があり、角度によっては金色に輝いても見える。


「では」


糸目の科学者は、小さく科学者達にグラスを突き出し、その後ワインを飲み干した。


「では、願いを。今回は例ですから、簡単なもので。そうですね……」


糸目の科学者は辺りを見渡すと、机の上の実験用ネズミを見つめ、ニヤリと微笑んだ。その後、科学者の顔は冷たい顔に変わった。


「…さて。そろそろ私の願いの効果が現れる頃です。皆様、そちらのネズミをご覧ください」

「ネズミ…?」


科学者たちはざわめき、ネズミに視線を向けた。

ネズミは暫くの間キィキィと鳴いていたが、突然もがきだしたかと思うと、糸が切れたように机に倒れ伏した。

糸目の科学者はその様子を見ると、不穏ににこりと笑った。

それを合図に、ぞろぞろと科学者たちがネズミの周りに集まった。

白髭の科学者がそっとネズミの胸のあたりに触れた。そして眉間に皺を寄せ、その後に目を大きく見開いた。


「心臓が……止まっている。体も冷たい……。死因は恐らく心臓発作だろうが……」


科学者達は冷や汗をかき、まさか、本当に、などと騒ついた。

糸目の科学者は両手を上に掲げ、恍惚とした顔で叫んだ。


「どうですか皆様!素晴らしいでしょう!ああ……やはり美しいワインだ……」


科学者たちは彼を見て少しの間戸惑ったが、その後すぐに実験成功を喜んだ。



ーーーしかし、一人の若い青年の科学者は、深い顔をしてワインを見つめていた。

それに気付いた糸目の科学者は、そっと彼に近づき声をかけた。


「どうしたのですか?」

「……否、あくまでこの意見は僕の推測なのですが……これが世間に広がったら、世界を脅かす脅威になってしまうのではないでしょうか?」

「世界を脅かす脅威……例えばどのようなことを想像したのですか?」

「……先程の貴方の願いは残酷なものでした。罪のない生き物を、言葉も出さずに殺してしまう」


糸目の科学者はふむ、と顎に手を当てた。

青年はその後も口を開き続けた。


「もしこの酒を世界中の人物が飲んだら……。きっと、戦争を超える恐ろしい事が起きてしまう……」

「君は研究開始時から変わらないですね。何事にも怯えている」


糸目の科学者は、真剣な顔で青年を見つめた。


「怯え……。この推測が、怯えだと……いうのですか……?」

「ええ、怯えですとも。戦争よりも恐ろしい事が起こる?確かにそれは起こりうるでしょう。ですがそれが今更何ですか?」

「な、にを…仰っているのですか……?」


青年の瞳が大きく開き、冷や汗が垂れる。

彼は見てしまったのだ。

糸目の科学者の後ろでは、先程まで喜んでいた科学者達が鋭い目をして青年を睨みつけているのを。


「み、皆さんは……おかしいと思わないんですか!?このような酒を、このような実験を!」


青年は、必死に訴えかける。彼らの死んだような目に向かって。


「……どうして」


しかし彼の声は届かない。

彼は呆れと悲壮感から、下を向いてしまった。

だがそんなことはお構い無し、というように、科学者は彼の隣を横切った。

そして、閉ざされていた瞳を開き、彼の耳元で囁いた。



「下らない偽善を並べる所は、本当に父親と変わらないな。エドガー」

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